昨日の夜、友人からユーチューブを見た友人からこんな内容のメールをもらいました
略
若い頃の千枝子の苦悩を知って、友達として何も出来なかった事を謝りたいと思いました。
略
私は大人になって、自分の思うようにいかない時期が色々続いてから、やはり幸せだと感じた事があまりなかったかなぁ。自分に自信がない事もあってか、気持ちに波があって、今でもどう生きていったらいいか分からないね。
ただ、やりたい事、好きな事、やらねばならぬ事、決心する事を行い、悶々として暮らしていくしかないですかね。
以後略
小学校からの同級生の彼女が
25年前の私の苦悩の時期のことをわずらって、謝りたい気持ちになった
私は
彼女にそのような気持ちにさせてしまったことを謝りたいと思いました。
当時の私に
どんな言葉をかけたら元気回復⤴となったのだろう
私にはそれが浮かびません
たぶん
誰も私のことを助けてくれないし、助けられないと思っていたと思うのです
彼女は、今の私がまぶしく見えると言ってくれるけど、当時の私は同級生やバリバリ働いている友人たちが別世界の人になってしまったかのようでした
自分の目で見るこの世の中を
自分の認識という目で見るこの世界を
他の誰かの力で変えることは出来ない
他人の寂しさや苦悩から真に救うことは出来ないのだと思うのです
ヨガをしているから
長く続けているからと言って体の不調がないわけではない
ずっと、そしていつでも心穏やかでいられるわけでもない
過去
息子が後遺症が残るほどの大けがをしたとき
どんなに自分がなり変わりたいと思ったか
気の毒過ぎて息が詰まりそうでした
でもそれも
自分の目で見る世界なんです
気の毒に思うことすら自分の色眼鏡なんです
障害のある人が不幸なのか
子供のない人は?片親の人は?
そうしてそうでない人が幸せなのか
共通認識はなくて、正しさもなくて
生きてきた環境によって作られたメガネがあるのみです
今も
親族の問題で話し合いがもたれるほどの状況です
何とかしたいという気持ちはあっても
人の認識を変えるということは困難です
そんなもどかしさ、歯がゆさを繰り返し繰り返し感じていくことは今後もずっとあると思います。
ただ
心はいつも安定したがっている
神秘的な力ではなく
体を丁寧に観て
体の中立を保ち直しながら⇒これもすぐ不安定になるので
それを向かい入れる。
繰り返し、繰り返し。
実は私は
相変わらず心を馬車馬のように走らせています
そういう馬車を持っています(笑)
今は
幸せの境地に向かおうとしていません
ただ
坐法を安定させるためのより有効な方法がないかと
その方向に向かって
行きつ戻りつしています
あ
あともう一つ!
自分の安定は
自分の居る場の安定になります
皆さんは
誰とのどのような場で
そうしたいですか??
あともう一つ
行為は義務でもある
それをこなすのもヨーガなんです。
悶々とばかりじゃなく
時には颯爽と
時には淡々と
色んな言葉がイイかもね!!