年末年始、読み切れずにためておいた新聞をまとめて読みました
すると
元旦の朝日新聞の対談に興味をひかれました
探検家と美学者(大学教授)の二人。
話の共通点のひとつは
不確実性の受け止め方
自分の想定から外れた現実を、どうみるのか
目の不自由な人は?
イヌイットは?
両者とも
想定外が想定内なのだそうです
目の見えない人は地面があるつもりで歩いていても、もしなかったら大変な事態を招くから、それが“無いかもしれない”という可能性を常に意識している
イヌイット語で『ナルホイヤ』(わからない)は彼らの決まり文句で、天気を聞いても予定を聞いても『ナルホイヤ』で会話が途切れる
イヌイットの生活は自然と共に在るので、予期不能、不確実な自然を長い年月で知りつくしている。『ナルホイヤ』は、未来は予測不能、何事も今目の前で起きている現実から判断しなければならない、さもないと進む道を誤る、という彼らの道徳観でもある
イヌイットは帰路の食料を持たずに500㌔もの旅をするのだそうです
なぜ?
彼らにはおそらく狩りをして捕れる自信があるんだろう。捕れると思うことに飛躍が無い。裏付けもないけど、
自然や大地という制御不能なものを受け入れることが出来る、そのことを信じている。そういう姿勢でいることが出来るという意味での信頼がある。
イヌイットには不確実性やリスクのない『安心』ではなく
不確実性があるけど『信頼する』という態度がある。
美学者の伊藤さんはそれを受けて
不確実さがないもの、100%リスクのない制御可能なものを人間は信頼しないんでしょうね、と言っています
そうですよね
不確実なものだからこそ私たちは信頼する
お金の価値を信頼している
家族を、友人を信頼している
自分の体が明日も明後日もあるということを信じている
信頼するのはなぜ?
それは
安心したい!から
そして
信頼するのは決断だと思うのです
信じる、という意志、信じよう!という決意です。
決断できなければ、信頼出来なければ、安心はいつまでもないままですよね
自然は予測不能で不確実なもの
身体も、心も自然の一部です
自然とはいえ
『死にたくない』は人間の本能。
危機は出来るだけ回避したい
死にたくないから
ウイルスと共には生きていくことは出来ない
でも
どうにも逃れようがないから
ウイルスと共に生きていくほかない
いやいや同居する、同じ空間に。
この真逆さを同時にもっていけばいい
不確実なもの、不安定なもののなかでも何かを信頼することが出来たら
そしたら
今、不確実さに翻弄されることはなくなる
今の決意なんだと思います
イヌイットになろう!皆で!(^^)!
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今日は畑で白菜を22個収穫
再来週のキムチ漬けのために~
霜に当たらないように~