時間てなんだろうと思うことがあります
時間に追い立てられるッ
とか
時間が足りないッ
忙しいときってそう思います
また
年齢を重ねていくことが嫌だなあ
と思う時もある
老眼とか、顔のしわとかが気になるとき
また
もっと早くにあれもすればよかった、ここにも行っておけばよかった
と思う時もある
まあ
ほんの一瞬思うにすぎないのだけど。私の場合は。
時間感覚って人それぞれだけど
時間という概念が変わったら、
時間にせかされたり、年齢を気にすることも少なくなるはず
そんなことを思って時間のことについての本を読みました
そうして
もうちょっとふみこみたくて
昨日と今日でこの本を読み返しました
中々西田哲学が理解できなくて
何度も同じページをを行ったり来たりしました
多分
福岡さんを介して出ないと放り出していたと思うけど
さすがの哲学的科学者である福岡さんは
西田哲学のプロに質問を投げかけたり、共感したりして
私達に近いレベルで(それでもだいぶだいぶ背伸びしないと追いつけない(´;ω;`))
一緒に理解をしようとしてくれる。(と、思える( ´艸`))
それでも一筋縄では時間の観念にふみこむ、までいかせてくれない感じ。
時間の概念を変えるって至難のわざです
それだけ今の時間の概念に縛り付けられてるってことだあ。
そもそも時間のその前に
生命とはいかなるものかという理解が前提でした。
その上での時間の話ですが
時間とは人間が生きる都合上つくった概念で
今の私達は普段は、時間は過去から未来へ直線的に流れていくもののように感じている
でも時間と世界、生命について西田さんはこのように言っています
かかる(この)世界は単に過去から未来へではない(単に過去を基に未来が作られるわけではない)
単に機械的ではない(因果律、原因と結果に機械的にしばられるものではない)
単に未来から過去へでもない(未来があるからそれに基づく過去があるわけではない)
そして
単に目的的でない(生命が何かのゴールに向かっているわけでもない)
これってすべて
私たちの考える概念と違いませんか?
頭で真逆に考える
因果応報も夢も希望も時間が生み出す考えかたですよね
よく考えると。
私たちは
世界(外部の環境)に影響を受けている
と同時に
私たちの内部にそれまでの環境(世界)が内包されているのです
ここでいう環境(世界)は時間でも言い換えられて
私たちはこれまでの過去の経験で出来上がっていて
それはつまり
体内に過去の経験といういわゆる時間を含みつつあるということです。
木の年輪はを見ると
そこに時間を内包していることが見て取れます
木は
時間に影響を受けながら
時間をそこに残しているのです。とどめているといってもいい。年輪として。
時間に作用を受けながら、それを形として表出することで時間をあらわにしている
これは
私たちの体内でも同じことが起こっています
私たちのどこを分解しても時間を目で確かめることは出来ないけど
今この時も①時間に影響され
同時に
②時間を内包しているのです
⓵の時間は直線的に進む時間
だから忙しさは免れないし、老化もショーがない!?
ただ
②の時間、生命体の中での時間は
直線的に進むのでなく
円環的に続く
過去と未来は循環しているのです。
何が起こっているのか?
生命はその内部で破壊と再生を繰り返しています
真逆のことを同時に行っている
しかも
破壊のほうがほんの少し先を行くのだそうです
再生を見越して破壊を先走って行う
代謝と言われるものです
細胞の破壊が進み過ぎないうちに細胞の新生が追いついていく
だから一見昨日の自分と今日の自分は同じに見えます、一週間後も、一か月後も
代謝は円環で続くから
その円環は
それが円環だとわからないほどのスピードで進むから
身体は
身体は切れ目があることなく同じ形態を保てるのです
円環しているということは
未来と過去がないということでもあります
過去は未来に代わりそれがまた過去のものとなる
そこに時間はない!!!
私たちが区切りをつけて時間を作っているのです
外側で
⓵で。
生命体内部での円環作用は無意識下に隠されているため直線で進むような時間が明らかとなります
また円環は絶え間なく続くのでその切れ目がない
だから体も直線的な時間に乗っていると思えてしまう
体を観るとき、
②を観るようにする
⓵と同時に
するとそこには
過去も未来もなく
それらを同時に備えた今があります
⓵から見る(ここからしか見れない)私達には、まるでとまっているかのようにも思える時の円環がある
言葉で言うと、です。②はほんとは言葉を超えてます
生命には
未来も過去もなく
因果もなく
目的もない
そう思う時
時間の概念が揺らぐのです
⓶の時を思うと
⓵の時間の感覚も変わるのではないでしょうか
身体を今、丁寧に感じていくということは
未来も過去も丁寧に感じるということです
この時間の感覚への考察
どうしても書き留めたかったのです
難解になったかもしれませんが・・・
皆さんはどう感じますか???