昨日いただいたもう一人の方の感想です。
私はもちろん
このブログを読んでくださっている方
皆が一緒に考えられたらいいなあ、と思ってここに紹介いたします。
今日の東洋医学のお話や、お誕生日の時や、
訂正していくという東さんのお話など、 いつもブログを読ませてもらったり、貴重なお話しを、 そっかぁ うんうん私も一緒!などとおもいながら聴き、とても勉強になります 今私は58才ですが、
ひとり暮らしになった母の支えが色々あったり、 ひとり娘が結婚することになり、手紙を書きながら、 子育てを振り返るとこんな日が来るんだ生きててよかったみたいな、 最近は 私自身と家族の過去や未来を想う日々が多いんです 好きなこともして、
ストレスの言葉をすこし前向きに訂正できるようにしようって思い ます。
まずは
いつもブログを読んでいただいていることが嬉しい(⋈◍>◡<◍)。✧♡
「家族」
ここにも当然ながら人間関係は存在します
ってことは
家族=安らぎの場
なーんてこともあるかとは思いますが
家族=葛藤の場
であるといえますよね。
皆さんはどちらが多いでしょうか?
私は断トツ“葛藤”優位(笑)
感想をくださった彼女は、一人娘さまの結婚を迎え
「生きていてよかった」
と思ってみえます。
それは
きっと
娘さんとの葛藤があったから
なのでしょう。
家族について、東浩紀さんはこんな見解を持ってます
★家族には強制力がはたらいている
家族って自由にに入退室が出来ない(密室状態!?)
強~い感情に支えられている、それは合理的判断超えてる!
★家族は偶然に成っている
子供が親を選べないのではなく、親は子供を選ぶことが出来ない
(膨大な精子の数からたった一つが偶然にも出生につながる)
★家族は拡張する
家族の輪郭は私的な情愛によっても決まる
人間の持つ感情の一つ、憐み(あわれみ・相手の立場を鑑みることで想起するもの)は種の壁を越えて家族的類似性を広範囲に拡げられる
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にわか
東ラー(笑)
な、私は
うなずいちゃう見解。
家族って偶然一緒に、そして親子に関しては強制的になるもの。
そして
逃げ場がないもの。
逃げ場がないのに色んな出来ごとが勃発する!
合理的とそうでない時がある(時に喜びであり、時にめんどくさい)
孤独な時とそうでない時がある(時に寂しく、時に充足感がある)
期待通りの事とそうでないことが起こる(時に怒り、時に感謝する)
さらに
その(家族的類似性)家族観は拡張可能
と、東さんはいいます。
家族には、まるで
偶然起こる想定不能なその場限りのゲームをしているのような性質がある
そして
コミュニケーション、会話にも同じ特性がある。
確かに、会話の時こんなことを考えることがあるなあ
「この人と私は何となく似ている!?(顔が、体つきが、考え方が、嗜好が)」
とか
「どこかに共通点がある!?(ないかもしれないッ)」
って。
私たちは
家族をそして家族的類似性を構築し続けているといえる
まるでゲームのプレイヤーのように
失敗したと感じたり、思い違いだったと一旦は引きながらも
それでもそれは限りなく続く
会話も同じ
波乗りみたいに順調な時ばかりではなくとも
楽しい時とそうでない時もありながら
それは続くんだ~
いただいた感想をもとに
家族を再考!
自分の頭がまたぐるるぐるりと循環しました
きっかけをありがとうございました。