京都2日目

京都2日目。

バスのルートをさんざん確認しておきながら

結局

ホテルから会場まで歩いて向かうことにしました。

こちらは寄り道

小雨だけど

会場へ向かおう!

吉田神社です

この横に

京都大学がある

鴨川をまたいで

平安御所を通過

朝は人気も少ない

町に入りました

会場はもうすぐそこ

一日の学びを通して

考えること色々。

頭で理解したと思っても

それは主観に過ぎなくて

客観視の難しさを思いながら

何とかそれが出来るようになりたいと思う

 

自分の骨にしみわたるまで

まずは自分で実践していきます

 

 

京都です

午後の小泉のレッスンの後

京都へ。

東洋医学の勉強会。

夜の部の参加のために、、、。

 

京都駅に17時半に到着。

駅で30分、時間を潰そうと思っていたけど

雨が止んでいたので☂️

白川通りの会場まで歩いちゃおう‼️

と思いたち

歩き始めた

鴨川沿いを延々と歩き

半分ほど 約4キロ歩いて

時間が気になって電車に乗る🚃

  • 叡山鉄道はこんなおチビさん

“京都です” の続きを読む

会話の大切さを重視した人

先日、月曜に放映された

❛100分で名著❜を見ていたら

まさに

今学んでいる東洋医学の内容にリンクするところがあって

その相似が嬉しくて

ここにしたためます

https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/blog/bl/pEwB9LAbAN/bp/poVnBqWgLo/

 

NHK 100分 de 名著 ローティ『偶然性・アイロニー・連帯』2024年2月 電子書籍版 / NHK 100分 de 名著編集部|ebookjapan

番組では、解説の朱さんの言葉が

明確で無駄がなく、それを受けてナビゲーターの伊集院光も自分の経験を語りながら理解を深めていきます

その会話のやり取りを聞いて、自分も納得できるのです。

 

ローティーという哲学者は、哲学的思考や言葉の限界を言い

哲学者でありながら、伝統的な哲学というものの無用さを示したのです!

真理を深追いするために言葉や理論を重視するのではなくて

言葉によって人間同士が分断されてしまう危機から逃れるにはどうしたらいいのか

それを考えた人のようです

私なりの超簡単な解釈ですが、、、。

この回で学ぶローティの主張は

★感情教育が必要だよね、ということ

戦争や事件、事故、天災を被った犠牲者に対して

それって自分のことだよね、と考えることができるか、ということ。

理論であーだ、こーだと分析することは「しょうがない、よねこういうことだから」と、あきらめさせ、彼らを切り捨てることになるから

 

そして

人々が分断することで起きる弊害を避けるには

★会話を続けるしかないよね、もはや。

ということ。

私の注目はこれです

会話を持続させるということ!

 

会話を続けるには

相手を黙らせるのような論法は使ってはいけない×

相手を追い込むような論法もダメ×

どうせ分かりっこないだろうとかバツ×

そうしないと続かない(´;ω;`)

朱さんも言ってますが

絶対主義のこうでなくっちゃいけない

でもなく、かといって

相対主義のなんでもありでいいよ状態でもない

正しさや正解をどちらかに求めるのではなく

その間でバランスをとる

そのために

対話を続けることをローティは重視したようです。

 

東洋医学では

インプットを大切にします

アウトプットありきではなく、です。

ただ

相手に学ぼうとする

学びたくない、と思うことも

苦手だな、と思うことも。

 

インプットし続けたら

それが極まると

自然に話すべき言葉が出てくる、と。

そのように

会話を続けよ

と学びました。

それを思い出しました!

 

 

 

 

 

 

家族ってゲームだから、所詮はそんなものだから

昨日いただいたもう一人の方の感想です。

私はもちろん

このブログを読んでくださっている方

皆が一緒に考えられたらいいなあ、と思ってここに紹介いたします。

今日の東洋医学のお話や、お誕生日の時や、訂正していくという東さんのお話など、いつもブログを読ませてもらったり、貴重なお話しを、 そっかぁ うんうん私も一緒!などとおもいながら聴き、とても勉強になります

今私は58才ですが、ひとり暮らしになった母の支えが色々あったり、 ひとり娘が結婚することになり、手紙を書きながら、子育てを振り返るとこんな日が来るんだ生きててよかったみたいな、 最近は 私自身と家族の過去や未来を想う日々が多いんです

好きなこともして、ストレスの言葉をすこし前向きに訂正できるようにしようって思います。

まずは

いつもブログを読んでいただいていることが嬉しい(⋈◍>◡<◍)。✧♡

 

「家族」

ここにも当然ながら人間関係は存在します

ってことは

家族=安らぎの場

なーんてこともあるかとは思いますが

家族=葛藤の場

であるといえますよね。

 

皆さんはどちらが多いでしょうか?

私は断トツ“葛藤”優位(笑)

 

感想をくださった彼女は、一人娘さまの結婚を迎え

「生きていてよかった」

と思ってみえます。

それは

きっと

娘さんとの葛藤があったから

なのでしょう。

 

家族について、東浩紀さんはこんな見解を持ってます

★家族には強制力がはたらいている

家族って自由にに入退室が出来ない(密室状態!?)

強~い感情に支えられている、それは合理的判断超えてる!

★家族は偶然に成っている

子供が親を選べないのではなく、親は子供を選ぶことが出来ない

(膨大な精子の数からたった一つが偶然にも出生につながる)

★家族は拡張する

家族の輪郭は私的な情愛によっても決まる

人間の持つ感情の一つ、憐み(あわれみ・相手の立場を鑑みることで想起するもの)は種の壁を越えて家族的類似性を広範囲に拡げられる

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

にわか

東ラー(笑)

な、私は

うなずいちゃう見解。

 

家族って偶然一緒に、そして親子に関しては強制的になるもの。

そして

逃げ場がないもの。

逃げ場がないのに色んな出来ごとが勃発する!

合理的とそうでない時がある(時に喜びであり、時にめんどくさい)

孤独な時とそうでない時がある(時に寂しく、時に充足感がある)

期待通りの事とそうでないことが起こる(時に怒り、時に感謝する)

 

さらに

その(家族的類似性)家族観は拡張可能

と、東さんはいいます。

 

家族には、まるで

偶然起こる想定不能なその場限りのゲームをしているのような性質がある

そして

コミュニケーション、会話にも同じ特性がある。

 

確かに、会話の時こんなことを考えることがあるなあ

「この人と私は何となく似ている!?(顔が、体つきが、考え方が、嗜好が)」

とか

「どこかに共通点がある!?(ないかもしれないッ)」

って。

 

私たちは

家族をそして家族的類似性を構築し続けているといえる

まるでゲームのプレイヤーのように

失敗したと感じたり、思い違いだったと一旦は引きながらも

それでもそれは限りなく続く

会話も同じ

波乗りみたいに順調な時ばかりではなくとも

楽しい時とそうでない時もありながら

それは続くんだ~

米カリフォルニアで犬のサーフィン大会 波乗りは「お手」のもの ...

 

いただいた感想をもとに

家族を再考!

自分の頭がまたぐるるぐるりと循環しました

きっかけをありがとうございました。

 

 

 

 

 

東洋医学的な回答として

東洋医学を学んだ時に感じたことをレッスンの最初にお話ししています。

そしたら

今日だけで二人の方に感想をいただきました。

どうしても波長の合わない人と会うのがストレスになっていてその状態から逃げようか頑張ろうかずっと考えています

出来れば逃げたいです

とのことでした。

人間関係

これは

誰にとっても大きな問題ですね。

 

私は

自分の私見ではなく、東洋医学のルールにのっとって考えたくて

テキストを見直しました。

思い出しながら

それの答えに近づくといいな、と思っていくつか言葉をピックアップします。

 

★東洋の医学は「自分自身」に向けての内容です。

(決して人を変えるものではなく、自分の調子がよくなり、その結果周りもよくなる学問)

★負のストレスは必要不可欠、それに対して鈍感にならない、排除しない

★快を増やすより不快を減らすためには「価値観を広げること」

(もやもやは自分の(価値観の)問題なのだ!)

★一つの存在には必ず二つの相反する要素(太極)が含まれている、それを同時に考えることが客観視

(自分にとっての快はどんな状態?では、自分にとっての快でない状態とは?)

★太極が循環している状態を健康という

(体調がよかったり、悪かったり変化するのが健康)

(適・不適を感じられる)

(相手を受け入れ、会話が成立している状態)

★太極が対立している状態はストレスの占有時間が長くなる

(正解不正解にこだわらず、いい塩梅を探す、そしてそれは常に変化する

★我慢でなく忍辱(にんにく)をすべし

我慢とは自分を変えず、相手の意も聞かない状態

忍辱とは仏教用語

https://osyaka-sama.com/ninniku-to-gaman/

争いの心から離れられないのが我慢

心の平安を目指すのが忍辱

(異物を受け入れて同化するのが生きること、栄養代謝と同様)

 

 

こんなことが答えへのヒントになるかと思います。

(ヒントになればいいな)

 

感想いただきありがとうございました。

感想いただけたからこそ

それを受けて言葉を返すことができます。

会話(循環)を起こすことができます

この

循環としての会話が肝心!と学びました。

なぜか「会話が続かない人」の意外な共通点 | おもろい話し方 ...

出来れば3人で

出来なければ3人をイメージして・・・

 

東洋医学は易学(やさしくなる学問)からきています。

特別なものでなく

難解なものでもなく

日常生活で大いに生かせるものなのです!

一緒に役立たせていきましょう!!

 

京都での学び

京都の朝。

予定より早い時間に着いたので

京都駅から京都市役所そばの研修会場まで徒歩で向かいました。

鴨川

今日はどんよりしてます。

楽しみにしていた東洋医学の学び

9時半から6時前まで

頭にどっぷり叩き込みました~

言いたいところなのですが

スタートから濃すぎる内容で

交感神経が興奮しっぱなし(笑)

先生の爆走についていききれなくて所々息切れ(´;ω;`)

4時半以降は

頭の限界を終えてる感じでした

帰宅して

理解のポイントを4つ書き出しました

これは自分の覚書ですので解読不能と思います。

この学問に触れることができてよかった。

東洋の学問は

(他者を扱うのでなく)「自分自身」に向けたものだから。

幸せとは

好きなことを増やしたり、友人を増やしたり、楽しいことをする

のではなく

ストレスに占有されてる時間を減らす

こと。

そのための秘訣が陰陽五行に含まれている

と考えるのです。

 

今日、

もやもやッとしたことのひとつに

扁桃体という脳の情動と関係する部位にとって

自分と違う価値観は負のストレスとなり

自分と同じ価値観は味方ではあるけどこれは正のストレスになる

つまり

「嫌い」もストレス 

「好き」もストレス

ってこと。

好きなことばかりをするとか

好きな人とだけ付き合う

ということは

それ以外を受け付けにくくする、他の価値観をシャットダウンする

という意味で自分でストレッサーを増やすことになるんですね。

そんなストレスに占有されすぎず

ストレスがあっても

そこに対する恐怖が薄まっていけばイイ

それは

ストレスから眼をそむけることではなく

自分の価値観を広げていくこと

会話をすること

なのですが

ここでのポイントが

身体の使い方なのです。

心の在り方は

身体の在り方

その逆も真なりです

 

来月、再来月と学びは続きます

今日は

ここまでのまとめです! ってそれも道半ばですが、、、

 

すべてのものは自分の表現

先日のEテレ、日曜美術館で

河井寛次郎記念館が取り上げられていたので見てみた。

昨年、6月に京都のそこに訪れた時に感動したので。

かつて河井が暮らしていた家が記念館になっているのだけど

その中には

彼の作品が展示されている

陶芸(内部には窯もある!)家具、雑貨、本、彼の残した言葉

あっちもこっちも作品に満ち溢れている

そして

その一つ一つに味がある

もう

ずっとここにいたい感じ。

何をしに来たか忘れてたたずめる・・・

しめ縄は一年中あるんだって。

家の設計もしたんだって。

彼は

書の腕もあって、自分の人生哲学も持っていて

だから

こんな言葉に説得力がある

❛すべてのものは自分の表現❜

この記念館をもってそれがよくよくわかる

ここは彼そのものを現わしてる!

私は思わず今いる部屋の中を思ってしまった💦

今日は一人の夕食だったから

こんなんだけど、これも自分が現れる

恥ずかしいけど予定外の写真アップ、小さくね

そして

この言葉は覚えていた!

暮らしが仕事 仕事が暮らし

繰り返し頭で復唱してしまう( ´艸`)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて

今日のお昼散歩は

鳩吹山へ。

一時間半は歩けるぞ!

鳩吹山頂から

西山到着、12時1分

引き返し~

ず~ッと

足裏を気にしながら歩く、

今日のレッスンで行ったことを身体で復習しながら。

向こうに見える鳩吹山まで戻るよ

快足でっす

戻って再び鳩吹山

白山も見えた!

おまけ

下恵土に来てくださっている勝田さんより

皆さんにお土産をいただきました

わーい!靴下だ!!

勝田さんはどこに行かれたのでしょうか???

 

 

古代史に魅力あり!

今日

多治見の学びパークの主催で

崇神(すじん)天皇

を学ぶ講座が行われました!

古事記や日本書紀によると

崇神天皇は

ハツクニシラス天皇(すめらみこと)という

「初めて国を治めた天皇」として称えられています。

崇神天皇 - Wikipedia

崇神天皇がどんな天皇だったのか

どんな力があり、どう治政したのか

古代史の先生が

脱線することなく

無駄なく

ずーっと解説してくださいました。

1時間半

話についていくのがやっとの私。

時々脱落そました💦

漢字の神様の名前がたくさん出てくるし

古事記も日本書紀も原文はもちろん解説文もわかるようなわからないような

なにしろ

神話ですもんね。

事実がどれだけ含まれているのか??

謎です。

そこは深堀せず(というかできない)(というかその謎が魅力なのか)

自分が聞いたことのある神話の場面をよりどころに何とか追いつこうと必死(笑)

最近読んでいたこの本も役に立ちました。

日本神話の迷宮 続・幾千年の時空の彼方へ | 藤井 勝彦 |本 ...

会場は満席で

リピーターが多いようでした。

私の周囲の歴史ファンはうなずきながら聞いていましたよ。

神話の迷宮

迷い甲斐がありそうです!!

 

 

 

当時蔓延した疫病を神のお告げを頼りに

 

古代人、目指す!?

昨日のこの本

現代思想入門

3回くらい読み直したけど

そのたびに新たに納得できる箇所があって

また時間をかけてしまう

今日はフーコーの言わんとしていることに再び注目

フーコーが大胆なところは

我々が今当然だと思っている「個人」の在り方は、歴史の中で作られた結果であって、そもそも「個人が個人であるとはどういうことか」自体が歴史の中で変わってきたのだ、と考えるところ。

個人が個人として新たに成立するタイミングがあった

それが

キリスト教世界のはじまり

昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです ...

ここで

「やってはいけないこと」をくくる罪の概念が生まれて、人は常に在罪感を心に抱くようになった

それ以前の古代は

心の問題として自分をとらえていなかった

というのです。

心がそのように作られていった、というのはかなり特異な視点かと思います。

誰もが

自己規制しながら生きているのは

誰かが見ているから

何者かに監視されているから

そして誰かに見つかったら自分にバチが当たると思っているからです。

視線を感じるその先に…猫が物陰からこっそり覗く心理|ねこのき ...

近代的な心の発生

そんなタイミングがあった。

そこから

正常異常

よいアイデンテイテイーそうでないアイデンティティー

秩序逸脱

様々な概念が誕生し始めます

さらに

人間は過剰さを持っている

エネルギー溢れる | 魔法の質問

本能的な行動をはみ出して行動する柔軟性がある

だからこそ出てくるこれらの多様性がある

私たちは心を成立させてきたのですね

 

闇を抱えるようになったと感じるのは

思考することで思考から逃れるものが生じていると感じるからで

意識・無意識とか理性・非理性という言葉がそうさせているとも言えます

本当の自分、とかもそう。

 

近代的「心」が発生する以前の古代人の自己抑制を

〝自己への配慮〟

というのだそうですが

フーコーはこの〝自己への配慮〟をポジティブにとらえていて

これはあくまで自己本位で罪責性に至らないような自己管理をする、ということ

としています

本の著者、千葉さんのフーコー的解釈も面白いです

千葉さんはフーコーが推す生き方は

新たに世俗的に生きること

と言い換えてます

簡単に言うと

変に深く反省しすぎず、でも健康に気を遣うには遣って、そのうえで

「別に飲みに行きたきゃ飲みに行けばいいじゃん」みたいなのが一番フーコー的。

こういう世俗性こそがフーコーにおける「古代的」あり方なのです

と言ってます

突き詰めて考えた方の結論

現代に生きる私たちが

新たなる古代人をも目指す!

 

皆さんはどう考えますか?

 

私の今日の享楽の一ページ

行きは雪をかぶった恵那山見ながら

 

土岐川をまたぐ

3時間後

帰りはこれと一緒

は?(笑)

おしまい

陰主陽従を学ぶ

今日は午前中オンラインでの講座に参加しました。

私の学んでいるA-yogaではブラッシュアップのためにとっても役に立つ講座が常に紹介されます。

主なものが春と冬にあって、その一環の講座の一つです。

今年の春は

東洋医学とポリヴェーカル理論(第二の副交感神経が存在するという考え)

でした。

どちらも自分にはとてもよかったので

今回も東洋医学を選びました

今日の学びは

難解な部分がありました。

それは

自分の今までの身体と心のとらえ方と違うなあ、と思ったところがあったから。

健康の概念も違う

健康のためにすることが違う。

 

基本のルールは

「陰主陽従」「太極」

一言でいうと

骨が主、筋肉は従

超!簡単に言うと

骨が大切

ってことなんですが

これが感情にまで影響するということなんです!

頭をフル回転して聞いていましたが、

よーし、わかった!と、納得することが時間内に出来なくて

夜に復習してやっと腑に落ちてきました。

この分野の分厚い本があるとしたら

その表紙がやっと開けられた!ってところです。そんな気分です。

Open book on wood planks over abstract light background 光の抽象的な背景に木の板に開いた本...

さらに租借してから

レッスンでもお伝えしていきますね!

そして

もっとページがめくれるようにしていきます!

 

昼で頭がパンパンに膨らんだので

午後は違うことに専念しました

午後は床のワックスがけ!

外は雪が舞い始めた寒い午後、

部屋の中は半年ぶりに心地よい床が戻ってきました

玄関もお正月仕様のものに

早ッ