- 年末年始にとりこになっていた本を紹介します
長文ですがどうぞー
現代思想というものを理解するのにとても役に立つ!
はい
大いに役立つ、気がします(笑)
そもそも
現代思想って何?
って感じですが
20世紀を代表する3人哲学者、デリダ、ドゥルーズ、フーコーの紹介がまずなされます
この紹介の仕方がとても端的でわかりやすいのです!
この3人の主張を中心に進んでいくのですが
彼らの主張に、私たちの人生における問題意識を解いていくための共通の手がかりを探していこうとするのです
その共通点のすり合わせ方がなんとも面白い!
すり合わせはデリダの考え方
2項対立(必然と偶然・主体と客体・男と女、安心と不安・・・・)からの
【脱構築】がベースです。
でも
難しくないんですよ!
脱構築って2項対立のどっちにも振れすぎないで思考する、生きていくってことだけど
例えば
自己と他者は2項対立だけど
自己都合と他者都合の間で私たちは常に物事を選択したり決断します。
そんなとき
自己中心になりすぎず他者へ配慮しながらも
それでもなお
どちらかに偏った決断や選択をせざるを得ないよね、それを自覚しようね、
という解釈が脱構築。
また
〝一切泡立ちのない、透明で安定したものとして世界をとらえるのではなく、炭酸で泡立ち、ノイジーでざわめく世界として世界をとらえるのがデリダのビジョン〟
なんて
視覚的にも分かりやすく教えてくれます!
そして
ドゥルーズの主張
世界では
〝一見バラバラに存在しているものでも実は背後では見えない糸によって絡み合っている〟
〝関係性(つながり)と同時に無関係性(断絶)の繰り返しでもある〟
そして
〝世界は運動のただ中にある、あらゆる事物は異なる状態になる(生成変化の)途中である〟
という主張。
庭の夏ミカンも運動中ってこと
だから
「ホントの自分」を探求するより生成変化する自分を見ていこうよ!
そのために行動してみようよ!
と言ったり
接続ばかりじゃなく、断絶だってありなんだよ
と、言ったりしていて
私は実はそこになんだか包容力を感じました。
著者はこれを仕事術にも応用しているのです!
また
フーコーという人は
社会の脱構築
を主張した、という分類になります。
フーコーはさらに古代の人々の思考にも回帰していて、それを見習うべきものとして取り上げています、そこにも著者は注目しています!
そして現代思想への布石としてさらに3人の哲学者が紹介されます
それが
ニーチェ、フロイト、マルクス
彼らの2項対立の部分に焦点を当てているのです。
ここが一貫しています。
ニーチェは
理性(秩序)に対して非理性(混沌)の拮抗とそのせめぎ合い言った最初の人
フロイトは
意識と無意識を探った人
マルクスは
労働と資本の二項対立に搾取というメカニズムを見出した人
ここにショーペンハウアーやカントまで登場してきます
それらのエッセンスを紹介しながら融合していくのです!!
この本は
まるで
ミツバチが花の蜜を吸うように
それぞれの花の美しさを深堀するのでなく
美味しいところをかっさらってブレンドして
そうしてその独自に集めた蜜をエネルギーにして現実世界で快適に羽ばたこうとする
そんなイメージで読み進められるのです
そして3人の哲学者の主張を
私たちの今へのメッセージとして帰着させるのです
自分の生い立ちを深追いしすぎず、境遇を偶然の産物とみてそこにとどまることなく、たまたまここにある自分に出来ること(タスク)を見つけ続けていく
なんと前向きで簡潔な帰着でしょう(笑)
さらに
ラカンなど複数の哲学者が登場しますが
すべてエッセンスを組み込んでいきます
私が2項対立で葛藤しやすいのが
意味と無意味
そして
有限と無限
なんです、他にもあるけど。。。
深く考えることに意味がある
絶対的な存在があると信じていることは大切なこと
なんてことを思うことがありますが
思考を深めるということはその無限の泥沼にはまっていくことでもある
そんな私へのヒントになるような言葉もちりばめられていました!
*世界の意味を問わない、そこには偶然があるだけ
*意味は常に逸脱、多様化するから世界は常に全く別のものに変化する可能性がある
*人間の有限な感知能力を超えたものが世界にはある、そんな無限の謎に向かっていくのではなく有限なる行為をこなしていくこと
「淡々として有限を生きる」
この有限
これはまさしく身体が教えてくれることです。
無限は脳内で考えるイメージの産物でしかない
その脳内の無限ループを払拭させてくれるのは有限なる身体性なんだ
このことに
今朝2時間ほどウォーキングしていた時に気づきました。
呼吸も身体も有限
庭の山茶花と同じ
そして
身体がここに存在するのは偶然でしかない。意味はない。
運動し続ける内部の一瞬の仮固定としてただあるだけ。
そんな内なる有限性、無意味さを肯定すること
これは
無限や意味を思う脳と、有限、無意味である身体という2項対立からの脱構築だといえると思うのです。
哲学書って取り付く島のない難解なものが多いと感じますが、著者は彼の膨大な哲学に関する知識の中から選択して非常にわかりやすいストーリーに仕立てています
それを日常にも応用し、本にもしています
哲学に関する本をこんなに面白く読むことは私には珍しかったです!