この本を読み終えました。
東さん、YouTubeでの話も面白いけど
著作もとても面白い!
東さんは哲学の専門家だけど
それにとどまらない知の宝庫みたいな人に思えます。
ウィトゲンシュタインとか哲学者や外国の思想家の引用だけでなくて、歴史上の人物、福沢諭吉とかルソーとか、作家とかがどんどん飛び出してきます。
明治維新から今の日本の政治問題にも介入します。
うま~くうま~くそしてわかりやすく引用して本題に結びつけています。
本題とは
「(過去を)“訂正する力”を持つことが大事だよね、私たち一人一人も、政治家も、社会全体も。
それが
私たちの未来を変えていくよね」
と、いうこと。
まずは「訂正する力の」哲学的な本質って何かを教えてくれます。
訂正なんてしょっちゅうしている事なんだけど
それってどういう力なのかを改めて考えさせられます。
まずは
訂正って人間社会の本質で
だからこそ訂正は終わらないってこと。
たとえば
誰かと対話するときに、相手に伝わるように言葉を言い換えるのも訂正の力。
対話は訂正の連続なのだから決して終わることがないって。
自分の思考をその時の状況に対応させて変化させるのも訂正の力。
だから
生きていく限り続くものですよね、確かに。
そして
訂正は過去をきちんととらえることで出来る。
辛い出来事を違うストーリーに変化させる力を私たちは持っている。
今までこう思っていたけど
それって
「実は・・・・・だった」
こういう訂正が出来る自由さ。
それが人間の本質。
稲垣さんてこういう人だと思っていたのに
実は・・・・なんだね
って言われたい。
そして
それを再び、何度も更新していきたい。
そして
自分の周囲にもそういう人たちを発見していきたい。
その方がワクワクします!
東さんは
人間は結局のところ誰のことも理解できず、誰にも理解されずに孤独に死ぬしかない。できるのは「理解の訂正」だけ。
「実はこういう人だったのか」という気づきを連続させるだけ。
と、いいます。
そういう前提は
なんだかホッとするものです。
訂正する力って自分を更新する力でもあるんだ!と思えて。
最後のほうでは
なんと
鎌倉仏教を代表する親鸞と日蓮を対比させているんです!
端折りますが
自然(すべて成り行きに任せる)
と
作為(頑張って国をなんとかするぞ)
の対比。
両極のどちらかに立つのではなく
どちらにつかないのでもなく
作為があるのに自然のままだと思わせる力こそが必要なんだと。
あれ?
いつの間にかそうなっている
ってのを生み出す力と考えます。
たとえば
遊びが仕事になる力
仕事が暮らしになる力
過去を変えたのに変えたと思わせない力
訂正する力は
そこにも宿っているというのです~
こんなふうにできたら最高です。
あ
ご安心を!!
私たちにある力です!!