ヨガの勉強を一緒にしてきているインストラクターのRさんとレッスンの後に
久々利城址に行ってきました。
Rさんはとても物知りな方なので、まるでガイドさんのように城址を見る楽しさを教えてくれました
今、城址巡りはブームなのだそうですよ~
そうそう久々利というのは人名なんですって
その城址には建物はありませんがそれが建っていたであろうことが山の形状でわかります。
敵の攻撃をかわすために堀切という谷があったり、入り口に直進させないような工夫があったり
戦国時代にどのようにして高い山を切り崩し、仕掛けを作って城を立ててのか
実際に歩いてみると想像する楽しさもどんどん湧いてきます
武者走りとは!
このような道
思わず走りたくなる!
色んな形状を歩いて楽しめます
ところでRさんは先月から今月にかけて南インドのお寺をめぐる旅に行ってきたところで
その興味深い話も聞けました。
インドカレーの美味しさ、
食事うやチャイなど飲み物の量が日本と違って少な目であること、
一元論者も二元論者であるヒンズー教徒も同じお寺を参拝すること、
どんな人がその旅行に参加したのか、
ヨガをかつては一緒に学んだ仲間たちがそれぞれの意向の差異から別の学びをしている人もいること、
などなど・・・
すべての話はなんとなくつながっているのですが
特に一元論・二元論の話や別々の学びをしているというところの話が多かったです。
表面的には対立していると思われること、私たちはそれをいくつも、何回も黙認している。善悪とか、損得とかいろいろ。
日々、です。
話を聞いていて私は自分が今読んでいる河合隼雄さんの本のことを思い出し
彼女にも言いました
「河合さんは聞く達人でね、そのことでクライアントが出した想定外の答えにもいい悪いをつけないんだよね
例えば、一時的な快楽を先行させることと、地道に努力することとどちらがいいかとか教えないんだよね、押し付けないんだよね」、と。
彼女は
「私は身内の相談で河合さんに手紙を送ろうと思ったことがある」と言ってました。
河合さんなら何と言って導いてくれるのか話したくなる気持ちわかります!
例えば私が
幸福を考えた方がいいのか、そうでないのがいいのか、とかいう質問したとして
どちらでもいいと手荒く野放しにはせず、暖かく放される感じの印象で答えが返ってくるだろうなあと想像できるのです
はい
それって
答えは自らの中にあるということです。間違いなく
私自身
彼女と様々な話をして
私は彼女との会話の中からちょっとした心のどこかに眠っている自分の思い煩いを解決しようとしているのです
自分の思いを整理しようとしているのです
自分の現地点を確かめ
それでよしと確信するのです
だから
さよならした後に
何だか「よし!」という気持ちになれたのです
はい
答えはいつもあなたの中にあるものです。