プレジデント、最新刊は
様々な分野の方が気持ちの切り替え方、考え方の転換法を示してます。
その人オリジナルの思索法というより
ほとんどはその根底に
自分の信仰のもととなっている宗教の思想や、その中において自身の人生の助けとなってきた先人の言葉があります。
人の心の助けとなるのは
誰かの言葉。誰かの振る舞い。誰かの生き様。
その中のひとり
佐藤優さんは
投獄されたときに、クリスチャンの自分が感化された言葉を挙げていました
どの人のどの言葉も納得のいくものでしたが
宗教色の強い家庭で育った私は
仏教のこの言葉を再び思い出して
『そうだそうだ』、と。
仏陀が死に際に弟子に残したといわれる言葉
「これからは私に頼ることなく、自身が(周囲を明るく灯す)灯明となりなさい」
『利他』とも近いですよね
キリスト教の新約聖書にも同じような教えはあるようですね
『利他』
誰かの為に行為する、その行いこそが自分の助けになる。
『利他』は『利己』から遠ざかること
これを
無意識にできれば素晴らしい
助け合いは本来本能的なこと。
でも
いつもいつもは出来なくて、利己的な自分に気が付くとそんな自分にちょっと嫌気がさす
そうであっても
『利他』とか『奉仕』とか『献身』とか『人情』
そういう言葉があるから
それを思い出して実行できるってこともある(行為があって言葉が出来たのだろうけど、言葉に行為が従うというか・・・)
誰かの行為にそれを感じて
「ああ、自分も」と思い立って行為を変えたり
雑誌の特集だって行為の変化のきっかけ(→わたし!? 😆 )
あ
そんなチャンスがなかったとしても
身体で気持ちを変えることもできます!!
頭を動かしながら、目で見る景色を変えながら動いてます
視野を変えて空間認知力も使ってます
これしたら
どんな世界が見えるかな~~
繰り返し行ったら
どんなふうに世界を見る自分になるかな~~
言葉じゃなくても
気持ちを切り替えるスイッチは
身体が持っています!!
おまけ
あの悪評高いトランプ大統領も
その言動は強い宗教心に裏付けられている、ともとらえられるようです(佐藤談)
そう思うと
『利他』と『利己』は表裏一体なんだなぁ