アジア病問題というのを知っていますか?
https://gooday.nikkei.co.jp/atcl/column/14/091100013/112500003/
当選確率とか危険回避、病気になる確率というものを私たちはよく気にかけます
それは
頭で抱くイメージに左右されやすい
必要以上に危険回避しようとしたり
当選の期待を込めて買い物したり
たとえそれが不合理な行いになるとしても。
脳は現実的な数値よりそのイメージ下で行為しようとします。
これが
感情が結びついたらさらなる確固としたものになるようです
https://www.jmrlsi.co.jp/menu/mnext/d01/2020/covid-19.html
こんな感情に加えて
私たちの心の中には
社会の秩序を乱す物事に対してそれを
穢れ
とみなすスイッチがあるそうです
穢れ(けがれ)=危険=排除するべきもの
でもこれがまた自分勝手な基準でスイッチ入っちゃうそうです。
例えば
唾液は私たちの栄養代謝の為に必要不可欠で、超~大切なものなのに
一端体外に出てしまった瞬間に!
それは汚物となります
美味しい食品も床に落ちた瞬間からゴミになる
靴は置き所によっては不潔なものです、日本では。
つまり汚れも相対的な概念で道徳的判断に委ねられるものです
落ちたもの、食べちゃう人だっているかもしれないし。
家の中靴っていう国もある
この
道徳的判断というご立派なものが
パニックを起こすこともある
それが
一つの犯罪や非行を悪の象徴として犠牲者を非難して悪者扱いすること
そんなやつは集団の敵だ~と共同体を守るための生贄を作り上げているんですね
これが
いじめとか犯罪者だけでなく犯罪被害者への非難とかコロナ患者への非難とかになる
社会は『こうあるべきである』という架空の概念があって
そこから外れた行為、出来事、つまり秩序から外れたことは〝穢れ〟として葬るべきこととみなされる
ただ
秩序ある世の中であるというのは
私たちに幸福感をもたらしてもくれます
この世の中は
公正であるという意識を生むから。
因果応報、原因が自分に返ってくるとか
頑張った分だけ報われるとか
病気も自己責任で納得できるとか。。。
そういうことは、気持ちの安定材料ではある
でもその意識が高すぎると
秩序を乱す物事に対して敏感に反応しやすいということにもなるのです!
実は
私はこの世の中公正である、と判断すること多いような気がしています
だから
それがもたらす弊害についても胸に留めておこう、と思えました。
昨日の
オンライン講座より、の学びでした~。