今日のオンライン体操教室、
レッスンの冒頭で
今読んでいる本の紹介をしました
「日本をどのように見るか」
それが変わるような気付きが沢山得られる内容です。
島国である日本が
その自然環境の中で外来(特に中国)の物や政治、生活様式、宗教、文字等々を受け入れていく。
受け入れながらも、日本独特のものと融合、変遷して今に至るのですが
そのときどんな「方法」がとられていたのか
を解き明かしてくれます。
なんだか謎解きみたいな感じで心地いいです。
ざっと本の説明をします
ここ
読み飛ばしていただいても結構です(*’ω’*)
この本で何を追っていくかといいうと
まずは文字
建国のために文字を必要とした日本は中国伝来の漢字を日本語の❛読み❜に組み込みます。
その万葉仮名からひらがな、カタカナが派生してきます
宗教でいえば
古来、日本では神への信仰があって
その信仰は山の頂や山中に霊力、威力を感じたりすることから始まっているそうなんです。
何となくそんな感じがする、ということから。
そしてその神は
絶対的にそこに常時居るわけではなく、お留守にすることもある!?
屋社(やしろ)という場に時々降りてくる、あるいはいざというときにお願いして降りてきていただく
日本古来の神の存在は極めて感覚的なものだったのですね!
そんな日本に大陸から仏教の経典や仏像という実在のものが伝来して合わさり
神様が常に見える形で、寺に像に在るようになります。
ところで
日本の神話には
「うむ」「なる」という言葉が多用されていて
無かったものが(神によって)生まれ出るという、そんな言い方で
そこに神の力を彷彿とさせていたようです。
一神教の神が主語で、すべてを「つくる」ユダヤ教、キリスト教とは違う観念です。
「なる」
を感じたらそこに ❛ムスビ❜ → ムス(産出する)ビ(霊威)
として
しめ縄をしたり、歌や句を残したりして❛❜しるし❜を残したりした。
姿が見えない神様を感じてそれを形にして
ウツ(空)からウツツ(現)を生じさせたり
ウツツ(あるもの)からウツ(ないもの)を感じたりしていた
それが
❛ウツロイ❜
もののあわれ、という感覚。
日本語にはそんな由来のある語があるんですね!
なんだかとても長くなりましたが
無(の感覚)と有(の感覚)を行ったり来たりするのは
身体でも味わえます
身体のウツロイ、です
それは
どこか一点に求めるものでもなく、本来と将来の間に絶えずあるもの
ムスビは
❛今❜なのですね
では
もののあわれ、その現われを感じてみましょう
ということをお伝えしたかったのです
とても言い切れなかったので
ここでまとめておきました
さて前屈は
後頭部の位置
骨盤の動き
股関節位置
などの動きの中で変化をつけていきました
皆さんの背面に変化はありましたか?