ヒューマニエンスという番組で
“言葉”
が取り上げられていました。
この番組の中で興味を持ったのは
言葉を発するときの脳の働きのこと。
ブローカ野という脳の部位があります。
ことばを組み立てて文章を発話するときに働くのがブローカ野
また
言葉を理解するときに働くのはウェルニッケ野
コミュニケーション時に働く脳の部位ですが
実際には
この二つの領域だけではなく(下図のA)
言語表現にはBのようにさらに他領域も参加しているそうです
そして
目で見たものを言葉として発するまでの間に働く脳の部位は、
言葉によって違いがある!
ということが研究で分かってきているのだそうです!
例えば
櫛を見て「くし」と言葉にするときと
寿司を見て「すし」と言葉にするときでは
脳の活動部位が違うのだそうです
似たような音ですけどね。
どうですか???
まあ
さっぱり実感としては湧きませんが、
言葉を発するというのは実にさまざまに脳を働かせているということ。
・・・・・・・・・・・・・・
ところで私は時々
言葉や文章でインスピレーションを受け
おおおおお~
と思ったその感覚をヨガのレッスンで皆さんと共有したい
と思うことがあります。
先日紹介したこの本にもそんな箇所がありました
それは
無から有が生まれたり
有から無を感じ取る
そこにウツロイがある。
そんな言葉です。
もうちょっと説明すると
ウツロイ
のウツは、内部が空洞になっている状態 内側に何も無い状態を表します。
うつろな目、というと生気が無い状態の体を指すし
うつせみ、はセミの抜け殻の意。
古代、シャーマン(巫者)は銅鐸という中が空洞の鐸(サナギ)を腰や手にぶら下げてジャラジャラ音を立てて未知の情報の到来を感知する媒介にしたそうです
小さいのもあったみたいですね、知らなかった、、、
空洞から(有)音が表出する
無から生まれる有です。
サナギは虫の蛹にも通じてて
空っぽだけどそこに新たな生命が誕生するところ
蛹に似たものに鈴があって
鈴は空洞の蛹に舌(棒)をつけることで鮮明な風音が鳴るようにしたもの
これを振ると神威が沸き起こる、とみなされていたのだとか
神を呼ぶ、ということかな。
だから
神社に鈴があり、
巫女が鈴で神楽を舞うんだって!
“ウツ”とは内側が空、という意
でも
そこから
なにかが生まれたり、なにかが宿ったりするところでもある
そんな
生命力を持った言葉でもある。
このウツロ、なるものから
何かが写し出されたり(ウツシ)
映り出てきたり(ウツリ)
どこにかに移り出たり(ウツス)
そのことで
何もないところに何かが見えてきたり、何かが産まれ出たり
面影もそれ。
この
見えないものと見えてくるものをつないでいる現象そのものが
ウツロイである
って。
ちなみに
“ウツツ”とは明かな現実のこと
「夢かうつつか」って言葉は反対のことばの合わせで
「夢うつつ」って同義語かと思っていたけど違うんですねっ(‘◇’)ゞ
この
ウツ(空)とウツツ(有)
の間にウツロイがある
空からウツロイ出てウツツになり
ウツツ(現)はもとをただせばウツなるものに結着する
ウツとウツツをウツロイがつなげている、ということ
ここが、この本の著者が最も好きな「日本という方法」。
そして
ここが、私がこの本で最も印象に残った文章でした
ウツロイは無常という言葉と結びつくけど
無常って決してあきらめモードの言葉ではなく
何もないところから何かが生まれてくる、という
なんだか創造力を思わせるような言葉でもある
身体の無常観もそうとらえることもできるわけです。
サンスクリットのプラーナは和語で“風気”
プラーナは生命のエネルギー、と学びました。
これもとらえどころがないものです
この身体にいきわたる生命のエネルギーは体のナーディーという空洞を駆け巡っています
無感覚のプラーナから生まれる有としての体、その動き
身体の空洞を観ていくことで感じていきたいです!!