ヨガでは体感していきますが。

週刊文春のこのぺージ

読めますか?

メールで卓球という表現は作家さんらしい表現で笑える

そして

体はヘルプに開かれている

この表現とその内容もうなずけるところ

ヨガのレッスンも同じ

人がそこにいて、同じようにポーズをとっていると、

同じことをしながらも

「自分のこれ、あっているのかな」「自分はここまでしか動けないけど皆はどうかな」

疑問やヘルプ(?)が飛び交う。色々頭に浮かびながらも

でもまあ

何となく出来ているんだろうと、納得する。

皆でやることが自分の疑問やヘルプ感の助けになっている。

安心感になっている

場の力

人がいるってそれだけで安心感になるなんて言うことは、今まで散々そうしてきた中では気づけなかった事。

それが出来なくなったからこそ感じられる事。

場の力。無くして初めてわかる力。

ご都合主義だよなぁ。人間て。

もう一つ

今日の中日新聞の記事

お坊さん自身がお坊さんの存在意義に問題を持っている

このように言えるお坊さんばかりではないだろうけど。

 

今や

オンライン祈祷を始めるところもあるようで

それを見た時に

オンラインの仏事なんかも始まるのではないかなと思い浮かんだ。

そうなると

やはりお坊さんは遠くの人になっていくのかもしれない。

オンライン旅行、バーチャル旅行なんてのにも需要があるみたい。

リアル世界旅行は、東洋人である私たちは数年は安心していけないと思うから

ここにいながらバーチャルで世界各地を体感するってことが楽しみになっていく可能性もある。

これから先

今いるこの場で一人でできることが増えていくと思う。

集団の場

個人の場

両方の良さを自分でうまく使い分けて選択していけるのだと思う。

お坊さんのように遠ざかるものもあれば、今までそうでなかった世界が身近に感じられるようになるかもしれない

いずれにしても

〝個〟が生きてくる

今までもそうだったのだけど

自分がどう感じるか、何に価値を感じるか、そうでないのか

自分の軸、自分の場を改めて感じていくことが一層大切になっていく

そんなことを感じた今日だった。