それでも人間は生きる知恵を探す

最後まで

本日読了!

寂しさと達成感とそれから

自分の頭でまとめきれないそのもどかしさ

読んだ瞬間から頭に溢れかえるほどの言葉たちが飽和状態の器から少しづつこぼれ落ちていく

何度も読み返してみても

しばらくそこにあって、またこぼれ始める

暗記して覚えようとしてもダメなんだなあ、言葉をいざという時に生かしたいのに。

 

ただ

本の最後に出口先生の言葉の中に、ここは忘れないだろうな

と思えるところがありました

その前に

それに行き当たるまでのお話なのですが・・・

神がいるのかいないのか?

天国と地獄はあるのかないのか?

人間の脳みそとAIとどちらをとるのか?

どちらの説をとっても人間の生老病死にあたっては何の解決にもならない

紀元前600年から始まる哲学

紀元前1000年から始まる宗教

ここから様々な宗教と哲学者が生まれます

何を神とみなすのか

生命とは何なのか

どうしたらより幸せに、よりよく生きることが出来るのか

どの時代もこれらは最大の人間のテーマだったのですね

でも

この問題に対して私たちは答えに近づいているわけではないようです

なぜなら

19世紀に生きた哲学の巨人ニーチェの主張はローマ帝国の指導者層に取り入れられた紀元前から始まるストア派に似ている

「揺れ動く感情を理性で制御して心の平安を得る事

運命を冷静に受け入れて徳を追求していきることが理想である」

これがストア派が教えたことです

ニーチェも

「神は死んだ」と断言して

「神もいない、進歩もしないという運命を受け入れて頑張っていくのが超人であって

その力への意志によって世の中は動く」

と考えました。

だから

人間の考えることは繰り返す、驚くほど優れた思想は中々登場してこない。人間はさほど賢くはないのです

なるほどね。この間脳みそは進化していないそうですし。

そして

色んな哲学者が色んな主張をしてきたけど

20世紀を生きたレヴィストロースの考え方が今日では自然科学的にも正解に近いとされているそうです

それは

『社会の構造が人間の意識を作る。完全に自由な人間なんていない』

とううもの。

彼の主張は

【自由な人間も人間の主体的な行動もじつは存在しない、人間は社会の構造の中でそこに染まって生きるのである

常に進歩があるわけではない、先進国ばかりでなく未開の社会もある

人間は社会に合わせて生きていくことしかできない】

というものです

構造主義というものだそうです

これが科学な正解かあ

そしたら

菅内閣に過剰に期待するのは×だし

未来へのそれももちろん・・・ということになりますね

 

神の存在を考え出した人間がやがて神に支配されるようになり、次に神の手からもう一度人間の自由を取り戻したところ、その次には自からが進歩させた科学に左右される時代を迎えている

 

すでに自然科学も、脳科学も構造主義の論理と同様に

人間の意識は自分たちの存在する社会のコピーであって、自由な意志など存在しないと断言している時代である

でも

たとえそうであっても

人間の秘められた才能をもっと開花させようという努力は様々な分野で取り組まれている

未知なる可能性にかけていきたい!と私たちは考えるものなんですよね

本の最後には

たとえ科学的な限界が言われているとしても

自分の環境にどんな制約があったとしても

それでも

何とかしていけるでしょ

って

書いてないけど

そういう風に私は受け止めたのでした。

私自身も

両親の信仰している宗教の中で育ち

一時は自分もそれを実践し

自分でも様々によりどころを求め

ヨガにつながる

ウパニシャッドやヨーガスートラ、ヴェーダーンダ哲学を学んだりしてきました

そのすべては

今の私になっているはずだけど

私が進化したのかどうか

人間的に成長したのかどうか

全くわかりません

結局自分は構造主義の論理から出られないのです

それでも

やっぱり進化したくてこの本を手に取ったのです

それでも人間は生きる知恵を探す

最後の章はこれが題名となっていました

はい

明日からも!