ヨガと西田哲学

今週は足首&足の甲をよく使ってます

身体を動かす際に、力んで体勢を取ろうとしたり、無理矢理に体を連れて行こうとすると、私たちの脳は危険を察知してそれにブレーキをかけようとします。

身体を安全な場所に引き戻そうとする脳の自己防御機能が働くのです。

このブレーキを解除する働きを持つものが特に3つあって

視覚、前庭器官、深部感覚です。

どこを見ているか、どう見ているか、どこがどう床に触れているか、離れているか、他の関節との位置やバランス状態はどうか

脳はいつも体をモニターしています

脳のブレーキ機能をうまく生かしながら動けば、それと仲良くしながら動けば、同じ動作が難なくできたり、可動がぐんと増えるのです。

例えば

今日は膝を寄せ合いバランス動作とスクワットを合わせた動きをしましたが

頑張ろうと思ってやるより

足の側面を「いい子、いい子」と、両手でなでるように触れながら行うと

あれ?

不思議とスムーズにいける!!

あと、こぶしでトントンたたきながら、というのも効果アリでしたね。

側面に優しく触れることで脳のイヤイヤを解除できたからなのです

そんな風です。ちょっとしたことで脳のブレーキ外せます

あえてバランスを崩しながらこんな動きもしました~~

ところでその後、お昼に家に戻ったら

NHKで100分で名著がやっていて興味深く見ました。

https://www.nhk.or.jp/meicho/

西田幾太郎著【善の研究】です。

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私たちは

世の中のものすべてを、自分の脳のフィルターを通してみている

純粋にそれを見るのではなく

それを常に何かにカテゴリー分けするように見ている。

本来は

そのものをありのままに、純粋意識で観る事がそれそのものの実在を見るということであるのに

純粋意識を邪魔するものは

私たちの

思想、思慮分別、習慣である

すなわちすべてをカテゴリー化するために生まれた「言葉」の呪縛がそこに在る

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以上私の解釈でした。

 

この番組を見て

早速午後のレッスンでそれを紹介しました。

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身体に起こる感覚は

すべて経験として残り、私たちを作り上げていくものです

私があるから、私という実在があるから経験できるのでなく

経験が、私を作り上げていくのです。

だから

これから起きる身体感覚を言葉でカテゴリー化せず、

ただ、観てください、と。できれば初めての経験として。

そうすれば、私はその都度再生され

日常はすぐさま非日常となります。と。

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そのように意識を変えられるのも

他ならぬ私たちの脳の力なのです

仲良くしていきましょう~~