この本を読みました
本の引用と自分の思ったことを紹介しますね
対話は相手がいることで成立する
もっというと
相手を理解しようとすることで成立します
自分の言う言葉をどこまでわかってくれるか
そして相手の言う言葉をどれだけ受け止められるのか
言葉一つ一つの意味を追って、その文章を解釈するだけでなくて
その時の互いの環境や価値観や経験を想像して
相手の存在そのものに触れにいこうとするものです。
相手の価値観や環境なんてわかり切れない
言葉は氷山の一角です
その人の意識の中のほんの一部の表出に過ぎない
だから
わかり切れないこと前提で
会話は協力のもとに成り立っていくものなんですね。
これは
判断材料が多いほど理解も進みます
相手が何を知っていて何を知らないのか
今、どんな気持ちなのか、何を気にしているのか
とか。
米国では科学コミュニケーションを向上させる目的で即興劇が利用されているそうです
例えばミラーリングといって
二人一組になって代わる代わる、一方が始めた動作をできるだけ真似て鏡のように真似していく
俳優さんがやるレッスンみたいです。
最初は鏡の者は遅れをとるけど
練習を重ねていくと二人の動作はだんだん同期してくる
互いに相手の心を「読む」ようになるので
何となく次の動作が予測できるようになる!
こういった練習は
2人の俳優の間の協調性を生むだけではなくて
芝居を見ている観客の心理状態を俳優が気付きやすくなる、ということもあるそうです。
で
この取り組みを
アラン・アルダという俳優、作家さんが
科学者にやってもらったのだそうです。
アルダさんは
多くの科学者が熱意をもって自分の仕事に取り組んでいるにもかかわらず、それがうまく聴衆に伝えられずに苦労していることに気づき、
自分がやているミラーリングなどの即興劇を科学者に勧めた!おお~
科学者が聴衆の視点で世界をみていないのでは、と考えて
俳優がやるような練習をしたら
科学者はてきめんに他人の気持ちを読むのがうまくなったのだそうです!おおおおお~
上から目線でなく相手と同じ目線で話せるようになったって。
このアルダさんのメゾットは全米の大学や研究機関を中心に広く採用されているのだそうです。
コミュニケーションは一方通行のものでなく
〝自分が言いたいことを相手がいかに理解しているか〟
に注意を向けると深まっていく。
それは
言葉に現れないものを観察する、ということですよね。
筆者は
会話はジェスチャーゲームだと言っています。
だから
身振り手振りや表情を変化させながらのジブリッシュでも理解は進むはずなんです!
これが言いたかった(笑)
そらから
ここ面白いところ、と思ったのですが
人間の脳には限界があって
記憶の容量も認知能力にも限界がある
その制約の中で私たちは会話している
そのため聞くときは
聞こえてくる言葉の塊を小さな塊に区切って、塊ごとに処理してから、それをつなげて全体を理解する
逆に
話をするときは
漠然と頭にある大きな塊を小さな塊に分解してから口に出してる
のだそうです。
なんと素晴らしい脳内調理!
この調理はその場でしか行えないもの
だから
会話って
その場限りで成立するもの、
今を逃したら二度と同じものとして成立しないもの、といってます。
だから
人は自分の言いたいことを心の中で用意してそれを言葉にするのではない
(それなら再調理できそうだけどね、、、)
そうではなくて
その場で即興的に共同で意味をこしらえている
会話はたった今だけ成立するジェスチャーゲームだということなんです。
単語に本質的な意味があってそれが世界をすべて表してくれる、またそんな言葉ある、というのは幻想で
言葉って会話の中で突然に出てくるもの
その言葉は絶えず矛盾だらけの自分の世界の中から(瞬時に)呼び起こしてくるものだから
その次の瞬間には水面下に沈んでいく
嬉しい、悲しい、楽しかった
は過去の一瞬のこと
思ったこと、感じたこと、見たことも
それを現す言葉もはかなく消え去る
相手の世界から発起された言葉は自分の理解と合致しないかもしれない
でも
なんとかその場ですりあわせようとする
そうして
言葉を含めた2人の身体的やりとりで世界を創造しようとする
たったその時だけ立ち上がる世界を。
やはり
会話は結果のわからないゲームという例えもわかります。
会話を考える
言葉を考える
ジブリッシュを考える
いい機会となりました。