Eテレで
❝心の時代❞がやっていました
今日のは
瞑想でたどる仏教 全6回シリーズの最終回
『心と身体を観察する』
でした
https://www.youtube.com/watch?v=WoM7-2zRacw&list=TLPQMjUwOTIwMjHGFL4W29tPFA&index=2
飛び飛びで数回見てきました
仏教学者の蓑輪先生の、仏教そして瞑想の解説は大変わかりやすい!!
こういう方がいると
それへの道も門戸が広がると思います。
為末さんも、さすがの走る哲学者の応答ぶりでした
最終日の今日は
瞑想をするときに沸き起こってくる邪魔ものにどう対処していくかという話がまずありました
煩悩3つの対応法は
貪欲さが浮かんだら・・・執着の本質は何なのか?を見極める
怒りの感情が沸いてきたら・・・慈悲観をもつこと
愚痴が出てきたら・・・12因縁を思うこと(すべての不満は無明であることが原因であることにたちかえる)
(稲垣解釈)
そして
考えがとめどなくあふれてくる場合には呼吸を観察する
とか
過去の記憶にいっちゃう方は
心は揺らぐもの、とまずは受けとめて
そして
言葉を変えていく、ということをする。
それによって受け止め方が変わったとしても
それも
手放していく
そんな魔訶止観にある方法を説明していました。
瞑想には
注意を変える力がある
感情を変え得る力がある
マインドフルネスにもそんな効果がある
あ
マインドフルネスとは
価値、判断せず、ありのままにみる
ことです
先生が言うには
マインドフルネスは心のコントロール法になるテクニック
仏教にある瞑想は
同時にそこに慈悲が存在する
他者との関りが担保されている、、、のだそうです。
マインドフルネスが自分の乗ったボートをこぐテクニックだとしたら
仏教においては
それと同時にボートがどこに向かっているかが明確にある状態
ということですって。
為末さんは
自身の陸上の経験から
テクニックを教えることは言葉で出来る
でも
身体感覚を言葉で伝えるには限界がある
と言ってました。
仏教は
心を整える技法を伝えるだけでなく
私たちがどうあるべきか、どう生きるべきなのか
言葉にすることが非常に困難な問いに対して
言葉で導いている
そこに
その価値を見出していました。
一切は空である、とかですね・・・
生活の中でも知らずに使っている仏教用語は沢山あって
言葉の含有する意味が深いですよね
https://houga-blog.com/buddhism/glossary/
自分に出来る
自分の調え方がある。
身体も、心も。
まずはボートのこぎ方のレッスンから
一緒に取り組んでいきましょう
対面レッスンも来週から始めますね!
そうそう
テーマ曲がとてもいいんですよ
https://www.youtube.com/watch?v=2TdZ_tS75aU&list=RD2TdZ_tS75aU&index=1
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今日は夕方、出先から散歩。
虎渓山へ。
線路のそばに駐車して永保寺へ
紅葉が始まってる
よく見ると沢山のお地蔵さんが。
ここから
新たな道を発見!
19号線に降りて修道院まで行って
中を大きく回りました
広い敷地なんですね
夕方は歩きやすかったです