この本読んで
自分の学んできたことに近いなあ
と思いました。
冒頭部分を引用します
怪我とは、怪しい我(自分)と書きます。
昔から、人が怪我をする原因は自分にあると考えられてきたのでしょう。
相手がぶつかってきたから怪我をしたのだと普通は思います。これは相手に原因を求める考え方です。
でも、相手とぶつかったときに、
避けられなかったのはなぜでしょうか。
大怪我にならずに軽い怪我で済むには、どのような体の使い方をするべきだったのでしょうか。
怪我につながる「怪しさ」を持っている人が怪我をする(怪我の原因は自分である)。これが本書で伝えたい基本的な考え方です。
また
欠点に意識をおくと怪我をする
理想の動作を意識することによって逆に動作は理想形から遠ざかる。
体の一点に対して、何とかしようという気持ちが強くなるのは、その気持ちのままでやってもうまくいかないサインで
うまくいかないから意識してこだわる
こだわるから力んだり、全体のバランスが崩れたりして、結局ほかの欠点が生じてしまいうまくいかない
これが、〝怪しい我〟が顔を出してる状態、だというわけです
この本で取り上げる怪我とは、あくまでスポーツ選手に限ってのことで
不慮の事故などによるものではありません。
ただ
怪しい我は
競技としてスポーツをしない者の中にも潜んでいると思います。
かくいう私も
ここ数日の右の手首に痛みがあって、
指や手首を酷使しているなあ、と実感していました。
心の力みは体の力み
なんとかしようと心が力むと、体も力んでいく。こうしたときに怪我をする
確かにそうですね。
肩や肘を張って腕を上げたり、物をとったり、手作業を続けていたら
僧帽筋は緊張しっぱなしになります
肩が前に来て肩甲骨が持ち上がった状態になるので腕が上がりにくくなる。でも
それでもなんとか腕を上げようとする
こうして
知らずに筋肉の一部を酷使してしまっている、ということってあります。
それがコリや痛みの原因にもなる
動作はそうなるものあでそうするものではない
動きというのは体全体の反応として起こる結果ですね。
決して意図して操作するものではない。
自分でうまく操作しようと思うと
他にひずみが生じる場合がある。
筋肉トレーニングで部分を鍛えることが過多になると
怪しい我を増やすことにもなる、と。
自分が正しい動きだと思ってやる動作と(主観)
実際の正しい動作にはずれがあって(客観)
これをキャッチできないことが怪しい我になっているということ
これに気づくとパフォーマンスが上がる
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例えば
腕が上がりが悪いなあ、と感じるとき
自分で腕を操作して楽に上げることはできないけど
関節の本来の位置やその動きを観察できる状態にすると
腕は楽に動き出します。可動も変化します。
腕をなんとかしようとするより
首まわりを緩めたり呼吸をしたり小脳を刺激したりもします。
連係プレーで本来の関節位置を取り戻したら
自然に腕の動きが変化する。
また
歩く動作を楽にするのに
脚力をつけてそうしようとするより
そうなるように姿勢を観察します。
今週のレッスンはそのように行っています。
身体の一部を思いのままに操作しようとするばかりでなく
その思いを変化させていく
どう視点を変えたらどう身体は変わるのか
変化は無限大です。
思いを超、超越してます!!
あ、
笑顔で行うってことも大事ですよ(笑)