昨日、友人と話をしていて気づいたことがあったのでシェアします
会話ってときに思わぬ方向にワープしていくことがありますよね
そんなこと話すつもりはなかった!とか
そんな情報もらえるなんて!とか
よくありますよね。
下恵土の教室に来て下さる方々とお話ししていると
戦国時代にとんだり、中国にいったり、本やYouTubeになったり、、、とよく飛びます(笑)
昨日もそれに似た感じだったんです
で
以前ブログに書いたことを思い出しました
この本を読んでの感想をつづったものです。
以下青字はブログからの引用です
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コミュニケーションは一方通行のものでなく
〝自分が言いたいことを相手がいかに理解しているか〟に注意を向ける
と深まっていく。
それは
言葉に現れないものを観察する、ということですよね。
筆者は
会話はジェスチャーゲームだと言っています。
それから
ここ面白いところ、と思ったのですが
人間の脳には限界があって
記憶の容量も認知能力にも限界がある
その制約の中で私たちは会話している
そのため
聞くときは
聞こえてくる言葉の塊を小さな塊に区切って、塊ごとに処理してから、それをつなげて全体を理解する
逆に
話をするときは
漠然と頭にある大きな塊を小さな塊に分解してから口に出してる
のだそうです。
なんと素晴らしい脳内調理!
この調理はその時、その場でしか行えないもの
だから
会話って
その場限りで成立するもの、
今を逃したら二度と同じものとして成立しないもの、といってます。
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話すときの脳のはたらきと
聞くときの脳のはたらきは違うんですね!!すっかり忘れていましたが。
以下再び引用です
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人は自分の言いたいことを心の中で用意してそれを言葉にするのではない
(それなら再調理できそうだけどね、、、)
そうではなくて
その場で即興的に共同で意味をこしらえている
会話はたった今だけ成立するジェスチャーゲームだ
単語に本質的な意味があってそれが世界をすべて表してくれる、またそんな言葉ある、というのは幻想で
言葉って会話の中で突然に出てくるもの
その言葉は絶えず矛盾だらけの自分の世界の中から(瞬時に)呼び起こしてくるもの
その次の瞬間には水面下に沈んでいく
相手の世界から発起された言葉は自分の理解と合致しないかもしれない
でも
なんとかその場ですりあわせようとする
言葉を含めた2人の身体的やりとりで世界を創造しようとする
たったその時だけ立ち上がる世界を。
やはり
会話は結果のわからないゲームという例えもわかります。
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自分が話す言葉は、自分の脳内の膨大なデータの中からその場に応じて編集されて表出するもの
でも
相手の脳はそれを理解するのには限界があります
同じ脳じゃないから当然ですね。
ときに
シャットアウトされたりエラーが起こっている場合もある
だからこそ会話では
相手のエラーに気づくことも大切です。
気づいたら編集しなおせばいい。
どうやったら伝わるか
聞くときも同じ、どういうことかのすり合わせ、およその合致点の探り合い。
相手の言っていることって、およそ大体こういうことか
即興で確かめ合ってる!
自分の脳を表出すると同時に相手の思考を身体を受け入れ続ける
それが
決して100%ではない相互理解になって
世界が創造されていく
その時、その瞬間瞬間に創造される二度と復元できない世界。
想定できない予期できない世界だからこそ
会話の楽しみはある
今日もそんな会話ができる日でありますように・・・・