ヨガと西田哲学2

 

昨晩、根本交流センターでのレッスンの冒頭で

西田幾多郎の哲学の話をしました。

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目の前にあるりんごが、りんごだとわかる前に私たちはそれを見てその物体を感覚器官でとらえます。

この場合は視覚情報

それをもって過去見たことのある「りんご」に当てはめてそれを同じ「りんご」だと認識する。

でも、すごく厳密にいえば、それは他にどこにも同じものがない唯一の物体で、言葉に現すとその瞬間にその他大勢と同じ「りんご」になるのです。

りんごと言葉に現す前、その物体と対峙した瞬間の感覚こそが真の経験だというのです。

まあ

ややこしい話ですが。

でもこれが

身体を動かしていくと、なんとなく理解が深まるのです。不思議と。

身体を動かすと

言葉に変換できない感覚の変化が様々に起こる。

いわば純粋なる経験の宝庫なのです。

西田のいうように

経験が私たちを作り上げるのならば

ヨガで身体を感じる時間はどの時間も体の再構築の時間となります

四つん這いになって体を回す動きも、どこを動きの源に置くかで体感が変わります

頭、股関節、みぞおち、膝、肘、手首・・・・

意識の置き方で動きの大きさも、その関節の位置の感覚も変化します

脳内でその都度体の地図を更新し続ける事。最新のナビゲーションシステムへの変換の繰り返しです。

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その日のレッスンに参加された男性Kさんは

石川県の西田幾多郎哲学記念館に行かれたことがあるそうで、その様子を教えてくださいました

安藤忠雄さんの建築の館。

とても素敵なところです!

https://ishikawa19.com/particular-people/dating-spot/nishidakitarou/

建物や周辺は哲学するに適した空間が随所に設けられているようです。

kさんは

「思索にはのぼり道が適しているのです」と、おっしゃっていました。

ということで

今日の私の思索の道

形だけは

いつも万端なんですけど!!!ね。