本の紹介 運動脳

今日はこの本読みました。

有酸素運動をすると

こ~んなにいいことがあるよ!

ということが書かれている本です。

要点を自分なりにまとめてみました!

 

著者の運動おススメ強度は

ランニング等の有酸素運動 20分 余裕あれば30~45分

最大酸素摂取量70% 息が上がるくらいの強度で

週に2回~

この運動することで得なこと

①ストレス耐性を強くする

海馬が作用してストレス時に放出されるホルモン、コルチゾールが過度になることにブレーキをかける

前頭葉の働きが増して不安の引き金である扁桃体の活動が抑えられる

脳内の興奮を鎮めるGABAの作用が活発になり気持ちが穏やかになる

筋肉にはストレス物質を無害化する働きがある

また

ストレスがあると

・情報伝達機能

・脳の可塑性(変化する特性)

・短期記憶から長期記憶への変化

が低下するけど

運動するとこれらを逆に促進していくことが出来る、といってます。

 

②BDNF(脳由来神経栄養因子)の生成を高める

これは大脳皮質や海馬で合成されるたんぱく質。

脳細胞を損傷等から守る、初期段階の細胞の生存、成長を促す、細胞間のつながりを強化して学習や記憶力を高める、脳の可塑性を促して細胞の老化を遅らせる、など脳の健康に欠かせない物質。

③海馬の細胞新生が起こり、加齢による萎縮の進行が抑えられる

海馬は運動で最も恩恵を受けている

海馬の働きは記憶の定着以外に

今体験していることを過去の記憶と照合してとらえて感情を暴走させない、空間の認知能力、ストレスの緩和作用、思考のスピードを上げる、、、

などの働きがある。

④前頭葉の血流が増えて機能が向上

アイデア、創造力がアップする

 

その他

運動とともに大切なこと

新しい環境や環境を変えることが脳の細胞の新生を促す!

この体験を記憶するために海馬に新しい細胞を作る。その細胞は運動の経験という刺激を受けて生き延びる。

あと

ヒトは生存の可能性を増やす行為をするとドーパミンが放出されて満足感、多幸感を得られる

私たちの祖先は狩りをしてそれらを得ていた

今の私たちは運動することでそれを得ることが出来る

といってます。

 

どうでしょう?

運動のモチベーションになりそうでしょうか?

最後の指摘にある、運動と合わせて環境を変化させる、ということが脳へのより良い刺激になりそうです。

そして

脳の活性化によって自分が何を望むのか

その辺りが問題であるとも思います。

脳のために運動するものアリですが

結果として

活性化していた、くらいの感じが楽しさを生みそうです!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私の今日の散歩

自宅から春日井3山へ

弥勒山山頂からは

雲海が見えました

伊吹山も

下山してモンタナで休憩

帰り道

昨日オンラインでお目にかかったミホさんと出会いました!

ご夫婦で仲良く散歩

素晴らしい~

今日も

散歩は新しい刺激にあふれていました!

 

片づけの意欲につながる本

年末の大掃除の季節

この本を読んでから始めるとモチベーションが上がりそうです⤴⤴

物を捨てなさい、整頓しなさい、掃除しなさい

頭ごなしには言わない。

だけど

家の中、家の周りをきちんとしよう!と読後に思える内容です。

 

片づけられないことには、そこに裏打ちされる原因が心のどこかにある。

片付けとは

カタをつけるということ

捨てるとか、掃除するとか整理整頓する、ということではなくて

過去に決着をつけること

こんな風に言葉の持つ意味を知る、ということから始まるのです。

 

家は神社同様(神様が下りてくる)神聖な場所

神社ですべき大切な作法が

祓いと清め

神社で行われることを同様に家で行うことが「片づけ」

不要なモノを処分して掃き掃除する(祓い)

整理整頓と拭き掃除(清め)

祓い、清められた清浄な空間に身を置いておくことで心身も整っていく

う~ん

そういわれると、、、、

どうでしょうか?

 

あと

部屋の玄関、寝室、リビング、台所と部屋の場所別に9つに分けて

その場所を象徴する数字、そこが片づけられない理由、場所の持つ力、片づけのポイントが書かれています

例えば

和室の数字は【4】四輪、四方、四隅など安定した形の象徴

エネルギーは「基礎固め・安定・継続」

和室は用途がはっきりしない場合が多いから片付けにくい

ポイントは四隅を隠さないこと!

・・・・我が家の1階の和室、物置に近い💦

などなど独自の解釈をしています

 

家の中の場所の持つエネルギーがそれぞれ違うと知ったり

自分の心や体はその場所に影響されているんだ

と、少しでも信じるのなら

その場所を見る目が変わります

その場所を大事に思えます

 

ちなみに

玄関の外、庭周りはその家に住む人の未来を投影している、といってます

キャーですけど、私。

あと

すぐできること、といったら

寝室

寝室に余計なものを置かないこと

タンスや押し入れをキチンと閉めること

眠る場所は毎日死ぬ場所でもあるから寝具や寝間着は清潔な状態にしておくこと

ですって。

 

過去にカタをつけるのは

より良い未来を生きるため、前を向いて生きるため

だと最後のほうに筆者はいっています。

ならば

生きている限り

片づけは続くんですね~

じゃあ

どこまでやるか

どうカタをつけるのか

これは

自分の気持ちにカタをつけることでもあると思います。

片づけは自分自身と向き合う行為

そう思えると

取り組む姿勢が変わってきます!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これそのものが

現代の片づけ

 

そして

片づけられないモノにはそれなりの理由がある

片づけは

しなければならない、でするものではない!といいます。

家の片づけと心の状態、身体の健康状態は密接におつながっている

 

特殊を育てる!

今日の小泉のレッスンは参加者が4名。

いつもより少なめでした。

終了後、皆で話をしました。

その時、Mさんが

ここ十数年間にご自分の体に起こったことを教えてくださいました。

「今、ここにいるのは奇跡的なんです」

とおっしゃるその言葉に

深くうなずくことが出来るほど、様々な病気を克服してきています。

そんな状態を思わせないユーモアと明るさをお持ちの方です。

私はその話を聞きながら

ご主人の圧倒的な愛を感じ

そして

昨日読んでいた橋本治の本の内容を思い出していました。

ちょっとふざけたような内容に思えますが

それは

「禿げた自分の頭を題材にして、物事を考える方法」

なんです

橋本治は

苦悩している人間はハゲるんだ、とか言ってます。

ハゲないで白髪になるやつは、苦悩する回路が体に備わってないんだ、頭の表面だけで引き受けてるから、とも言っちゃってます。

まあ

彼が言うと、何となくそうかもしれないと思う。

そう思う者がある一定数いることを前提にしているかのようにこう言っています。

「真理は誰かとの共同作業だ」ってのが私の生きていく前提です。

要は

根拠はなくても(苦悩=ハゲの話もしかり)説得力がありさえすればいいんだ。

説得力なんて「ほらね」って見せちゃえばそこで生まれるようなものだと思うし、根拠ってのは (説得された者が)勝手に発見してくれるもですよ

彼は自分のハゲを材料にしているのだけど

(ハゲに限らず)すべての問題はわが身の中に入っていて、その我が身から、どれだけ問題を引き出せるかが勝負だ

だいたい自分の中から何を発見するかっていうのが一番難しいの。だから他人をみて

「あ、なぜあの人はハゲて、自分はハゲないんだろう」ってそういう考え方をして

そういうところから【自分】というもののヘンさというものを考え、育てていくしかないんじゃなかろうか

 

橋本マジックで

なんだか気持ちよく説得される感じがしました。

 

すべて問題はわが身の中にある

その特殊性を育てていこうよ

そこに根拠なんか無くたってイイ

根拠なんて語った相手が見つけてくれる

真理は、誰かとともに作っていくもの、変化していくものだから。

 

これは応援ではあるまいか?

と、説得された私は根拠を探しだす

この会話の時もそうしていたのかも。

 

私たちにはそれぞれの特殊性がある

その体、その境遇、その環境、、、

そんな特殊性(ヘンさ)を

自分がどう育てていくのか

そこに面白さがありそうです。

いや面白くまつりあげていいんじゃないか!もっともっと。

 

ちなみにMさんは

6年前、薬をやめてサプリをやめて

水素水と、ウォーキングとそしてヨガを継続されています!!

 

さぶ 人新世の資本論 を読んで

[本/雑誌]/さぶ 山本周五郎コレクション (文庫や    78-  1)/山本周五郎/〔著〕

さぶ

を読み終わりました。

登場人物の行動、態度、話っぷりの描写から

彼らの性格がよくよく想像できて

物語に一緒に取り込まれながら

「ああ、もう怒らない怒らない栄一さん」

「サブちゃん何でそんなに謙虚かなあ」

と心でつぶやきつつ読む。

彼らの人間模様とその変化がこの物語の醍醐味、と思いました。

そして

物語を際立たせてくれたのが巻末の文章

編者解説

これを読んで

さらに

なるほど、そういうことね!!と膝を叩きました。

特に最後の一文

「さぶに近づくのは私たちなのである」

って

そこで再び私は

物語に引きずり込まれて引き戸(おそらく)を空ける自分を想像してしまいました。

編者先生さすがですね。

もう一冊今日読み終えたのは

昨年のベストセラー

人新世の「資本論」(集英社新書)

これは新しい資本主義の在り方を提言する本です

https://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/1035-a/

資本主義の負の面を克服するためにはどうしたらいいのか

マルクスの資本論の深~い洞察を基に

自身の見解を語っています

 

人権、気候、ジェンダー、資本主義 すべての問題はつながっている

本当に価値あるものを産生することに目を向けるべきだと。

これは

社会の問題はもとより

自分自身への問いかけとなっています。

この本がこんなにも読まれていることは(2021新書大賞)

そんな一過性でないメッセージがあるからなんだろうな。

図書館で借りられますよ~。

 

追記

美しい、赤きゃべつって。

 

活字にハッとする

私の実家は静岡県清水市

今は静岡市に合併されました。

お茶と言えば“緑茶”

夏でも熱いお茶

が普通でした。

今でも入れることが多いです。

今朝の朝日新聞の天声人語を読んで

いれたくなりました。

そして

最後の一滴まで落としてみました

ん~~

イイ朝だあああああああ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この本半分まで読みました

初の山本作品。

下恵土のFさんのお薦めでしたので読んでいます

 

半分あたりでこの小説の肝にさしかかったな、と思っています

ここのあたりまで

長~い伏線の物語があり

それはそれで引き込まれます。

そして

昨日読んでハッ箇所があったので載せちゃいます

これから読む!という方は流してくださいませ~~

 

復讐に燃える英二の心が変化が始まるところ

「おまえは秋の風を感じたことがあるか?

木犀の香りを感じたことがあるのか?」

という問いに自答している。

そして

そのすぐあとのページ

寒さをたった今肌で感じようとしている箇所

寒さから逃れることなく。

このあたり

身体感覚の観察が始まっている!!

怒りの炎に燃え

その目ですべてを見ていた英二は

その盲目さを自覚し始める

そして

ここでしようとしていることは

自分の身体の観察

これ

マインドフルネスじゃないかあああああ

まあ

こんなに単純に事は運んでいるわけではなく

物語の中で核心はゆっくりとゆっくりと見えてくる

この後が楽しみです!

ネタばれすみませんッ

 

時間の比較社会学

時間があっという間に過ぎていく

坂を転げるように歳をとっていく

よく使う言葉です

これって今始まったことではなく

1000年以上前から

移りゆく時見るごとに心いたく昔の人し思ほゆるかも

と万葉集で大伴家持は詠んでいる(700年代)

移り変わって戻らない時間の意識を持っているんだ、このころから。

国々の防人つどひ舟乗りて別るを見ればいともすべなし

万葉集は「今この時」「孤の時の感覚」「時の感動」を読んでいて

続く古今和歌集は

「時間」を対象にし始めているというのだ!

未来にもまなざしが向いているって

春霞たてるやいづこみよしのの吉野の山に雪はふりつつ

花のいろは移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに

このような古代日本の時間意識の例から

原始共同体の時間意識とか

ヘブライズム、近代社会、ヘレニズムの時間意識の違いとか

色んな例をあげて

時間の意識の差異、変遷を挙げているのです

この本!

真木悠介は

本名は

見田宗介

今月亡くなったそうです

https://news.yahoo.co.jp/articles/a65570969e5f5991df1515f9de73c76d422f7469

弟子で同じ社会学者の大澤真幸さんが

追悼文を朝日新聞にあげていて

それを読んで

代表作を読んでみたくなったのです

それがこの本。

「時間の比較社会学」

私は大澤さんの本は対談を読んだことがあるのですが

その大澤さんが18歳の時この先生に出会って、その話を聞いて開眼したのだそうです

その文章には無駄がない、という評価通り

的確な言葉を丁寧に選んでいる感じがする文章です

だから

読み飛ばすことが出来ないし

3回くらい繰り返し読まないと進めない文が1ページに複数あるッ

時間がかかりました

でも

手元に置いておきたくなる本です。

 

以下内容です・・・

人生が短いと感じるのは

「時が永遠に続くものだ」という思いがあるから

それから

人生ってはかないなあって思うのは

今をなおざりにしている証拠。

これから起こる(であろう)結果に意味がある、今は未来の原因なんだと

つまり

今、存在する意味は常にそのあとの時間のためにある、との思いは

未来を想定した地点から今を考えることになる。

未来に万全に備えるための今

その未来の

行きつく先は

であるから

存在の意味、生きる事がむなしいと思えるのは当然でしょうと。

未来のための今ならば、過去は無意味で、すぐ過去になる今も無意味なものとなってしまう!

そりゃむなしい(´;ω;`)

 

コンサマトリー(現時充足的)な感覚を喪わないこと

過去は無意味なものでなく

❝存在のうちに累積していく❞と考えるならば

取り返しがつかない過去であっても、それは現在に生きていると思える

そして時に対して

それを時を超えた視座でジャッジするのでなく時のうちに充足する感覚を疎外しないようにすること

そこが

虚無から離れること。

私たちが時の恐ろしい呪縛から解放されている時(コンサマトリー)は

他者や自然の中で自我が溶解している時である

現在は未来の理想実現のためにある。今にそんな価値しか見いだせないほどに空虚になるのは

周囲の人間や自然と融和する感覚を失っている時だといっています。

 

以下、引用した方が伝わるので引用。

ここ、私が最もうなったところです!

存在のうちに喪われたものを、ひとは時間のうちに求める

存在のうちに喪われたものを、ひとは時間のうちに求める (2回繰り返し)

けれども時間は我々をただ別の存在へと導くだけだから存在のうちに我々が見出すものを拒んでいるものを、時間が与えてくれることはない。

時間がニヒリズムの元凶であるのではない。

ニヒリズムが元凶としての時間を存立せしめる

たった今存在する感覚を持つことが出来ないそれを、ひとは未来という時間の先に求める

今感じられない充足感を未来に得られるはずだと希求し続ける

でもそれはかなうことはない

行きつく先にも何もない、求めるものはそのさらに先に在り続けるのだから。

その姿勢なら時間の呪縛から逃れることはできないのだ(わたし的解釈です)

以下引用

死の恐怖や生の虚無とは知の地平の範疇ではなく、ひとつの生きられる戦慄である以上、我々をそこから解放する認識は、我々の知によって知られるばかりではなく、我々の生によって知られねばならないはずだ。

知がそれ自体として開放する力を持つということはない。知が生き方を変える限度においてだけ、それは開放する力を持つのだ。

生の虚無から脱するのは

知識だけでなく、生の感覚に拠るんだ!

今、感じる生の感覚

自我の融解、これは何だか難解だけど

静かに座って

今ここで向き合える感覚なのだと思うのです。

 

いま

一緒に呼吸を~~~

星のや富士涼しい森の中でアクティブに避暑を楽しむ「夏の森 ...

痛みのこと、再考

昨日、この本を読み終えました

熊谷さんは東大の先端研の准教授

もとは小児科医だったそうです

小児麻痺のため体が不自由で、つらいリハビリを幼いころに行っていて

その時の痛みの経験や

今もなお感じる痛みがあるようです

その、痛みをテーマにした4人の方との対談が本書です

熊谷さんはこんな方です

http://shochou-kaigi.org/interview/interview_85/

私は一番最初の大澤さんとの対談が印象的でした。

自分のメモ書きで、読みづらいけどポイントはこちらです

⓵人の痛みは共感できない

痛みをわかろうとする、共感する姿勢よりその共感を脇に置いて社会的サポートをするのがよい
痛みは人を孤立へと向かわせるけど実はそれこそが同時に人を他者へと関係づける力にもなる

東日本大震災の時に被災しながらも人をサポートする人が大勢いましたね・・・

②人は知識を信頼できない、他者との関係を信頼する

痛みは内部の事のようだけど、実は体の境界線を越えて他者との関係の中で痛みの強さ、弱さ、あるなしが決まる!
人が信じるのは知識でなく、他者を信じるもの。痛みの回復の方法を知識として知っているのと、それを信じているのとは違う
誰がそれ(知識)を言うのかが問題
当事者の自助という態度も肝心

たとえ痛みにおいて、人とのコミニュケーションが不能だとわかったとしても、それもコミュニケーションである

③痛みの緩和は予測からのズレで起こる
覚醒とは、思い通りにならない予測不可能性のものが突然浮上してくること
見舞いのための優しさが痛い、笑顔が痛い、という場合がある
痛いと言ったら手当てしてくれるという予測可能性が悪循環になる場合がある
痛みの回復は予測不可能な覚醒から起こる場合がある

著者は自分の予測に反して痛みが治ったと経験があるようです

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日朝日新聞のお悩み相談に、

マスクを生理的に付けることが出来ず自殺を考えるほどに悩んでいるという女性の切実な訴えがありました

それに対して回答者が

熊谷さんの取り組みを紹介していました

 

障害は内側のものではなく

社会が生み出しているもの

本当に

私たちは

私たち様に世界を作りあげている

その力のなんと強靭なことか

熊谷さんの経験と思考と、鋭い洞察力とそれを言葉に表現する力で

多くの人が励まされ、力を得ているはずです

意識を変える方法って?

 

この本を読みました

養老孟子さんの視点にはいつも感心します

意識(心)の働きが世界を作り上げている

意識

「同じ」という働きを優先する

昨日の私と今日の私は同じ私だと思える

1000円のものと同じ価値があると判断するからそれ相応(と思う)物を買ったり交換ができる

他人と自分は同じだと思えるから人を思いやれる

苦手なあの人はいつまでたってもそういう人だと思って変えられない

それに対して

感覚

「違い」を感知するものである

変化があるから匂いを感じることが出来る

温かいと場所から離れるから外の寒さがわかる

同じ赤い色のりんごをみても隣の人と同じ色を感じているとは限らない

私たちは

感覚器官で常に体の内外の変化を感じてる!

でも

意識は

それら変わるを感じる私を、ずっと変わらない私とみなしている

幼児の頃から50過ぎた今まで私は同じ人間だと認識するのは意識の働き

体の内部はすっかり様変わりしていますが。

それに

意識は日々途切れるものですよね

寝ている時は私を忘れている

断続的なものなのに起きたら私は私として復活する

まるで

私の仮面をかぶるように装着できます

自坊的に、です。

私たちはそんな意識にしばられているともいえます

意識は

変わらない私、変わらない時間感覚、変わらない生活、変わらない世間を作りあげ

宗教を作り、神をも作りあげるのです!

こんな意識の呪縛から離れるためにはどうしたらいいか?

養老さんは

虫を追いかけるのだそうです

虫を追いかけることには

目的はないそうです

そうですよね

目的は意識が考えるわざです

そこから離れるには

変化を感じてみるということ

つまり

変化を感知する5感を働かせよう

ということです

目的は無くてもイイ、また一つでなくてもイイ

歩くこと

眺める事

集める事

何かを作ること

意識の外に出るには変化をとらえる感覚を観ていくこと

実は

その感覚の変化は

意識の土台になるものなんですね

何が意識を変えるすべになるか

意識という呪縛から離れる事ってどういうことなのか

それを探していくことが

成熟するということである、と養老さんはいいます

自分なりにそれを見つけていくこと

合理的でないことかもしれないし

経済的、社会的に有用じゃなくても利他の行為でなくてもイイ(もちろんそうであってもイイ)

それが

人生という作品を作っていくことだと

何だか格好よくいっています

そんな作品が長い人生をかけて出来あがるなら

それは

かっこいいと思う

誰もそう思わなかったとしても、です

私は

ヨガの時間を

まさに感覚を観る時間と考えます!!

 

 

 

 

 

幸せな贈与がある

少し前に

この本を読みました

【帝国の構造】 柄谷行人著

この本は

中々読み進めるのが困難で

何度も繰り返し読んで

「ああ、そういうことかな」

と、なんとなくわかる

読むの疲れる、けどうっすら納得できる。

 

ここ本に

過去にあった国家以前の氏族社会や農村共同体から

現在の国家にまでわたる

どんな社会構成体も4つの交換様式からなっている

とあります

 

その4つの交換とは

①贈与とそれへのお返し

貨幣の存在しない社会で互いに持ちつ持たれつ、守り守られて共同体という枠を維持して共存してきたときの交換様式。身近でいうと町内会とかはこの範疇かと思います

②支配(略取)と保護(再分配)

被支配者が支配者に服従することによって保護を得るという交換。私たち国民(被支配者)は税金を払うことによって国家(支配者)から守られている、これも交換

③商品交換(貨幣と商品)

もっとも一般的に交換と考えられる、お金を払ってそれと等価の商品を得るという交換。経済活動という交換。

④宗教的、道徳的交換作用

①の交換を高次元で回復することになるような交換が成り立つ、ということ。宗教というかたちをもとるし、私たちの無意識(まだ意識されないもの)がなんらかの機会に未来に意識されるものとなって現れる、その際にとらえられる交換作用。

この④がイマイチわかるようなわからないような・・・

道徳も交換作用からくる

すると、罪とか恩という感情も交換という意識から生まれる、と言えて

たとえば

間違ったことを言ってしまった、と、お金を借りた、というのは根本では同じ負債を負ったと言えます

う~ん、確かに、そうか、な。

ここまで

この本に書かれていたことを私の主観でまとめたのですが

今日私が紹介したかったこの本

この本は

交換社会の中で私たちが心地よく生きていくヒントを与えてくれています

 

先の本が言うように

世の中をよくよく観察すると交換に溢れている!

貨幣の交換や

働く、ということも労働をお金に換える資本主義の中での交換ですし

高額な買い物=無駄使い?価値にお金を払うという考え方 | コラム | au ...

 

会話も交換、読書は、読むという行為によって知識を得るという交換、

同様に掃除する、食事の支度もそうですし、

自分の体を健やかに保つということもそれは日常の交換作用を滞りなく行うためともいえると思うのです。

そして

近内さんはこの本で

その交換には時として自分が沢山受け取ってしまった!!行為以上にいただいてしまった

と思う時があって、その

あり余り感がその人をメッセンジャー=贈る人にする というのです

これが贈与の始まりになる

キレイな景色を見たら写真を撮って誰かとシェアしたい

「なるほどおおお!」という情報は誰かに教えたい

これは贈与です、喜びですね。

それから

これも大切なことだと思うのですが

私たちは

贈ることによって受け取っている、

贈ることによって贈り返されている(返礼されている)

ということなんです

プレゼント交換】2000円以内で選ぶ!女子会やクリスマス会のおすすめ ...

つまり

贈る人にとって、贈ることが出来る存在があること

それ自体が貴重

だってその存在は

自分がギフトをするチャンスを与えてくれるだけでなく

ギフトを送ることによって自分へ贈り物を返してくれる存在だから。

もはや

どっちが贈り手でどちらが受け手なのか境が無くなるのです

私たちは

互いに受け取りあっている

これは触感のティータイムサロンでも話しましたが

相手に触れてゆっくりなでると

なでた自分の方が不安が減る

つまり

相手にに触れながら

相手に触れ返されている

自分が受け手のようにもなる

これと同様の感覚かと思います

撫でる・舐める・なでる・なめる | ヒヨリどんの猫日和II

 

贈与は交換を超えていくもの

交換は交換のままでは息苦しくなってくる

行為に対してそれと同等の価値しか見いだせないとしたら

「やりがい」や「喜び」って感じずらい

料理を作ることで思わぬ発見や反対に失敗があったり

交換と思われる行為の中には贈与に値するものがホントは沢山内在する

それは

予期しないところで、偶然やってくる

私たちに与えられた使命を果たす事(これって根本的には交換に結びつくもの)

その中で

贈与を受けたな、と思う瞬間がある

宇宙からのギフトを受け取るコツ | リズ山崎の引き寄せ体質の ...

 

その想像力こそが

その先の幸せな贈与を生む

 

これは先の難解な本の④の交換様式に入るものだと思います

って

これは私の私見なのですが。

①~③のどの交換様式にも属さない

交換だらけの世の中で私たちの心を豊かにするような贈与感をもたらすもの

この社会にいながらこの社会の大まかな仕組みに惑わされすにいることが出来る

そんな贈与感

それは今はまだ無意識内にある

でも

何かのきっかけで未来にやってくる

それは

そんな贈与感が在ると思えたところから

顕わになり始めるんだと思う

そして

それは

無尽蔵にあるものなんだと思う

 

 

 

 

 

いま生きる「資本論」

きちんと読み切ったのはこれが初めて

佐藤優

今は作家として著書が沢山あるひと。

もと外務省主任分析官だったけど背任と偽計業務妨害容疑で逮捕されて有罪となり

拘置所にいたという経験も。

そこで膨大に本を読んでその後作家に。

週刊誌にもよく連載があるので短い文章は読んだことがあります。

あとは2冊くらい読み飛ばした本もあったけど

これは面白くて難しくて頭ひねって 🙄 ・・・・・とにかく読み甲斐がありました

この本は

佐藤優の書下ろしではなく

「一からわかる資本論」

という彼の人気講座を活字化したもの。

佐藤の講義でのしゃべりの内容が文字になったものです。

マルクスの資本論て、どんな内容なのか読んでみたいけどその難しさすら知らない私でしたが

難解でとっつきにくい資本論を読み解いていくことには意味があるんだ!

ということがわかりました。

例えば

資本主義が生み出した価値観を知る

これには意味があります!

私たちの世界の根底にもなっている資本主義は

二つの商品によって成り立っています

その商品とは

労働力株式

私たちの労働力は商品として提供することでそこに価値が生まれる

でもその労働力は貨幣で作り上げることは出来ないものです

一人一人の人間の労働への準備、意欲、継続は貨幣によって左右しきれるものではないから(ある水準までは可能だけど)

それから

株式という、貨幣でもないものが、それを持っていることで利潤が発生するという、これまた商品

皆が株式を、利子を含む額面以上(または以下だとしても)の貨幣に相当する価値があと信じている

これはどちらも実体のない物だけど

これを強く信じて当たり前のもの、変えられないものと思い込んでいる

この信念によって資本主義は成り立っている

そのように解釈することが出来るのですね。

一万円札は

その実質は22円で出来る紙切れなのだそう

それを

皆が一万円の価値のあるものとして誰もが疑わないでいる

そういうものなんですね。

 

佐藤さんは6回の講座で資本論全3巻を読み解くという偉業をしてます

資本論て様々な解釈がされているようでどれを読むかが問題でもあるみたい。

その解釈の違いの説明も入ってます。

そうして資本論を客観的にみながら

資本論の中の重要点、いわば山のピークを飛行機で移動するように解説して谷間を外して最短距離でナビゲートしている

それから

数ページに数回、「このことを知るにはこの本とこの本がおススメ」とか

本の紹介数が半端なく多い!

また

この点は〇〇派と△△派でこのように解釈が異なっている

けど

自分このように考える派である、と持論が入ったり、

あと

自分の豊かな人脈(官僚から学者、作家からホリエモンまで)やこれまた稀有な経験(ロシアの様子や拘置所のご飯などなど)を踏まえて話したり

ブラックジョークいっぱいで会場がしょっちゅう(笑い)に包まれている

ホントに

知り尽くした人でしか話せないであろう自信がみなぎっている

知の巨人と例えられるのも大いに納得

資本論を読み解くという目的のひとつが冒頭にお文章にあったのでここに引用します

私たちにとって重要なのは

なぜ日本の社会の中で私たちが生きにくくなっているのか、それは読者の努力が足りないからではなく、資本主義というシステムに根源的問題があるという現実を総合知(科学)を駆使した理論によって理解してもらうことだ

この本を読むと、あなたの人生がどうして苦しいかについて、その原因の6割が解明されると思う。原因が分かれば、解決に向けた新たな現実的戦略を構築することが出来る。