私たちがモノを見るとき
隣にいる人も同じような景色を見ているのだろうと予想する
そして
「きれいだね~」
「おいしそうだね~」
という会話が成立するのだけど
本当に同じものを違わず見ているのか
それはわからない
脳研究者の池谷裕二さんによると・・・
目から入ってくる情報は、
大脳皮質の「第一次視覚野」に入る
そして
その情報は記憶とすり合わされて
「見る」
が成り立つ
細かく言うと
目の網膜でとらえた視覚情報は
デジタル信号として視神経を通じて脳の視覚野に送られる
これで「見る」が完了しそうだけど
この情報は意外と少なくて
目から直接入ってくる情報は
視覚野に入る全体の情報のうち
なんと
なんと
3%!!!以下!!
そのわずかな情報を手立てに
脳の内部で勝手に生み出された情報を処理して
見ている
網膜からの情報は少なく、経験に基づいて脳の内側から情報を補完することで
見える、が成立する
脳の記憶でバラだとわかる
色がわかる!
私たちは
見ているモノが
どこまでが網膜からの情報で
どこからが脳内記憶情報(思い込み)なのか区別がつかないそうなんです
見るって主観的な行為なんですね
視覚だけでなく
脳は外界情報とは無関係な脳の内部活動を行っていて
そこにエネルギーの90%を使っているみたい。
だいぶ無駄なはたらきが多いようなんです!!
通常脳は
おかしな情報を切り捨てて見ないものとしている、ってこともあえるようで
通常じゃなければ
幻覚が見えるってこともうなずける。
それは
網膜でなく
脳で見ているのですよね
以上、この本からの池谷さんの話でした
ちなみに
私たちが受け取る感覚情報は
4000億シグナルもあるけど
そのうち脳での認知は
4シグナル!
脳は外部情報を極端に断捨離してます
惜しみなく、、、、。
何を言いたかったかというと
私たちの行為ふるまいは
感覚によって左右されるものですが
感覚というもは
非常に限定されているということです
感覚は
脳で生み出されるもの
記憶の為せるものともいえる!
痛いも記憶、聞くも記憶、触れるも、美味しいも・・・
感覚と向き合うということは
記憶と対話していくことでもある
今の感覚と向き合うというマインドフルネス=瞑想には
そんな一面もあるということです