ティータイムサロン(聴覚)に参加してくださった方へ

昨日はティータイムサロン昼と夜で行いました。

決して無事行えた、というわけではなく

夜のスタートが10分ほど遅れてしまいました。

参加してくださった皆さまゴメンなさい

実は、夜のズーム終了後に京都にいく予定にしていたのを

積雪事情や家人の提案もあって、急遽

昼のサロン終了後、5時くらいに行こうと決めてノートパソコンの諸々の準備して京都のホテルからズームすることにしたのです

18時に出発して順調なら20時前には着けるだろうと考えましたが

関ヶ原の雪が思ったより少なかったものの滋賀に入ってからの降雪で思うように進まず

ホテル到着は8時20分。

その後急いで部屋に入ったものの

接続がうまくいかず、ホテルの方にも相談したりして

焦る焦る

皆さんのお顔が見れた時はほんと嬉しかったのです

大変失礼いたしました

無事今日は朝9時スタートの勉強会に参加することができました

 

さて、ここから本題なのですが

昨日の参加者の方で

「周囲の音を耳に入れようとすると、聞きにいこうとしてしまう(からうまく話すことができない)」

とおっしゃった方がいました。

確かに

普段とは違う意識で話すことは難しく感じられるのかもしれません

ただ

サロンでも言いましたが

「感覚とは受け取っているもの」です

音は入ってくるものです

絶え間ない音の振動を私たちは常に受けている

反射的に(不随意に)程よくキャンセルしながら。

ですが自分がいざ話そうとする時に

その受け取りをやめとうとしてしまうのです

音の受け取りをやめようとして声(音)を出そうとした時に体はどんな反応をしますか?

体のどこかに一瞬スイッチが入りませんか?

そのスイッチは声(音)を出すために必要なスイッチなのでしょうか?

普段は音を受け取っている

いつものようにそれをそのままにしながら話をしてみてください

余分に何かをするのではなく、しなくてもいいことをしない

これが提案なのです

夜慣れないベットで寝ていたらこれをどうしても伝えたくなり時間空きましたが再びホテルより文面を送っています

あともう一つ

自分の声って改めて聞くのが恥ずかしい

と思ったことないですか?

以前、何年も前ホームビデオをよく撮っていた時代に

自分の話や声や姿を見返すのが何だか憂鬱に思えたことが多々あります。

自分の声を聞ききながら話すということは

聞こえているけど

でも

なんだか聞きたくない

そんな無意識のキャンセルが働いているのだと思うのです

声ってその場限りで消えていくもの

消えて欲しいという思いもあり、だからこそ気軽に話ができるということもあります

でも

それもあえて聞いてみる

それも

ほんとうはいつも受け(聞き)続けているはずの音なんです

いつも相手が聞いている音。

それを

シャットダウンしない

そうしようとするスイッチはどうしてもそうしなければならないタイミングで勝手に入るものなので

入れなくてもいいのです。

こんなことが浮かんでます

サロンこれからの方にはネタバレそのものですが

あえて昨日受けてくださった方への補足としてお伝えしました。

 

今日は背骨の調整にあたっての学びでしたー。