今だけの会話を!!

昨日、友人と話をしていて気づいたことがあったのでシェアします

会話ってときに思わぬ方向にワープしていくことがありますよね

そんなこと話すつもりはなかった!とか

そんな情報もらえるなんて!とか

よくありますよね。

下恵土の教室に来て下さる方々とお話ししていると

戦国時代にとんだり、中国にいったり、本やYouTubeになったり、、、とよく飛びます(笑)

昨日もそれに似た感じだったんです

以前ブログに書いたことを思い出しました

この本を読んでの感想をつづったものです。

 

以下青字はブログからの引用です

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

コミュニケーションは一方通行のものでなく

〝自分が言いたいことを相手がいかに理解しているか〟に注意を向ける

と深まっていく。

それは

言葉に現れないものを観察する、ということですよね。

筆者は

会話はジェスチャーゲームだと言っています。

非言語」コミュニケーション(NVC):其の一「目は口ほどに物を ...

それから

ここ面白いところ、と思ったのですが

人間の脳には限界があって

記憶の容量も認知能力にも限界がある

その制約の中で私たちは会話している

そのため

聞くときは

聞こえてくる言葉の塊を小さな塊に区切って、塊ごとに処理してから、それをつなげて全体を理解する

逆に

話をするときは

漠然と頭にある大きな塊を小さな塊に分解してから口に出してる

のだそうです。

なんと素晴らしい脳内調理!

この調理はその時、その場でしか行えないもの

だから

会話って

その場限りで成立するもの、

今を逃したら二度と同じものとして成立しないものといってます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

話すときの脳のはたらきと

聞くときの脳のはたらきは違うんですね!!すっかり忘れていましたが。

以下再び引用です

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

人は自分の言いたいことを心の中で用意してそれを言葉にするのではない

(それなら再調理できそうだけどね、、、)

そうではなくて

その場で即興的に共同で意味をこしらえている

会話はたった今だけ成立するジェスチャーゲームだ

 

単語に本質的な意味があってそれが世界をすべて表してくれる、またそんな言葉ある、というのは幻想で

言葉って会話の中で突然に出てくるもの

その言葉は絶えず矛盾だらけの自分の世界の中から(瞬時に)呼び起こしてくるもの

その次の瞬間には水面下に沈んでいく

氷山の一角」の意味とは?使い方から英語や類語まで例文付きで ...

相手の世界から発起された言葉は自分の理解と合致しないかもしれない

でも

なんとかその場ですりあわせようとする

言葉を含めた2人の身体的やりとりで世界を創造しようとする

たったその時だけ立ち上がる世界を。

やはり

会話は結果のわからないゲームという例えもわかります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

自分が話す言葉は、自分の脳内の膨大なデータの中からその場に応じて編集されて表出するもの

でも

相手の脳はそれを理解するのには限界があります

同じ脳じゃないから当然ですね。

ときに

シャットアウトされたりエラーが起こっている場合もある

だからこそ会話では

相手のエラーに気づくことも大切です。

気づいたら編集しなおせばいい。

どうやったら伝わるか

聞くときも同じ、どういうことかのすり合わせ、およその合致点の探り合い。

相手の言っていることって、およそ大体こういうことか

即興で確かめ合ってる!

自分の脳を表出すると同時に相手の思考を身体を受け入れ続ける

それが

決して100%ではない相互理解になって

世界が創造されていく

その時、その瞬間瞬間に創造される二度と復元できない世界。

想定できない予期できない世界だからこそ

会話の楽しみはある

 

今日もそんな会話ができる日でありますように・・・・

 

 

 

家で過ごす日

多治見市では今日、朝から大雨警報が発令されましたね。

お盆休み、最後の一日という方も多いのでは、、、

こんな時は

晴耕雨読!ですよね

 

boy-reading-a-book-53-children-silhouette-decals_415 (2) – How to Teach ...

今、読んでいる本はこれです

出口さんの日本史を読むと

歴史って有力者の自己都合で出来上がっていくんだと思い知らされる。

人間の欲望にもターゲットを当てて

それを代弁するかのように語られるので面白くて、その時代に興味が持てます。

同じように

世界史も語っている方です。(長男はそちらも面白いと言ってました)

読書したり

あと

映画鑑賞(家で、です!)

昨日はゴッドファーザーがBSでやっていたのでほぼ、みました。

ゴッドファーザー(洋画 / 1972)の動画視聴 | U-NEXT 31日間無料 ...

キッチンでは

相変わらず朝から毎日のように玉ねぎをいじっています

玉ねぎサロンの準備もかねてます。

そうそう

福井に海釣りに行ってきた弟一家から大きなアジとサバをいただいたので

内臓をとって

ユーチューブに教えてもらいながら3枚におろし

皮をはいで、骨をきれいに取り除いて

“なめろう”にしてみました

ここにも玉ねぎを使ってます!

残りは

南蛮漬け

今回はこれも試食に持っていく予定です!

サバは

みそ煮ならぬ麹煮

ただの野菜炒めにも

玉ねぎマジックをきかせます

最後に

これは何でしょう??

こちらも試食に持っていきますね!

玉ねぎサロンは

16日(水) 14:00~ 養正公民館

17日(木) 10:30~ 下恵土地区センター

あと2回開催します

ご希望の方はお知らせくださいね!

 

会話はジャスチャーゲーム

この本を読みました

[モーテン・H・クリスチャンセン, ニック・チェイター, 塩原通緒]の言語はこうして生まれる―「即興する脳」とジェスチャーゲーム―

本の引用と自分の思ったことを紹介しますね

 

対話は相手がいることで成立する

もっというと

相手を理解しようとすることで成立します

自分の言う言葉をどこまでわかってくれるか

そして相手の言う言葉をどれだけ受け止められるのか

言葉一つ一つの意味を追って、その文章を解釈するだけでなくて

その時の互いの環境や価値観や経験を想像して

相手の存在そのものに触れにいこうとするものです。

会話をポンポン返せない】という人が知るべき1つの処方箋 ...

相手の価値観や環境なんてわかり切れない

言葉は氷山の一角です

その人の意識の中のほんの一部の表出に過ぎない

氷山の一角」の意味とは?使い方から英語や類語まで例文付きで ...

だから

わかり切れないこと前提で

会話は協力のもとに成り立っていくものなんですね。

これは

判断材料が多いほど理解も進みます

相手が何を知っていて何を知らないのか

今、どんな気持ちなのか、何を気にしているのか

とか。

 

米国では科学コミュニケーションを向上させる目的で即興劇が利用されているそうです

例えばミラーリングといって

二人一組になって代わる代わる、一方が始めた動作をできるだけ真似て鏡のように真似していく

俳優さんがやるレッスンみたいです。

真似する人と真似されやすい人の特徴 | WORKPORT+

最初は鏡の者は遅れをとるけど

練習を重ねていくと二人の動作はだんだん同期してくる

互いに相手の心を「読む」ようになるので

何となく次の動作が予測できるようになる!

こういった練習は

2人の俳優の間の協調性を生むだけではなくて

芝居を見ている観客の心理状態を俳優が気付きやすくなる、ということもあるそうです。

この取り組みを

アラン・アルダという俳優、作家さんが

科学者にやってもらったのだそうです。

アルダさんは

多くの科学者が熱意をもって自分の仕事に取り組んでいるにもかかわらず、それがうまく聴衆に伝えられずに苦労していることに気づき、

自分がやているミラーリングなどの即興劇を科学者に勧めた!おお~

科学者が聴衆の視点で世界をみていないのでは、と考えて

俳優がやるような練習をしたら

科学者はてきめんに他人の気持ちを読むのがうまくなったのだそうです!おおおおお~

上から目線でなく相手と同じ目線で話せるようになったって。

このアルダさんのメゾットは全米の大学や研究機関を中心に広く採用されているのだそうです。

 

コミュニケーションは一方通行のものでなく

〝自分が言いたいことを相手がいかに理解しているか〟

に注意を向けると深まっていく。

それは

言葉に現れないものを観察する、ということですよね。

筆者は

会話はジェスチャーゲームだと言っています。

非言語」コミュニケーション(NVC):其の一「目は口ほどに物を ...

だから

身振り手振りや表情を変化させながらのジブリッシュでも理解は進むはずなんです!

これが言いたかった(笑)

 

 

そらから

ここ面白いところ、と思ったのですが

人間の脳には限界があって

記憶の容量も認知能力にも限界がある

その制約の中で私たちは会話している

そのため聞くときは

聞こえてくる言葉の塊を小さな塊に区切って、塊ごとに処理してから、それをつなげて全体を理解する

逆に

話をするときは

漠然と頭にある大きな塊を小さな塊に分解してから口に出してる

のだそうです。

なんと素晴らしい脳内調理!

この調理はその場でしか行えないもの

だから

会話って

その場限りで成立するもの、

今を逃したら二度と同じものとして成立しないもの、といってます。

だから

人は自分の言いたいことを心の中で用意してそれを言葉にするのではない

(それなら再調理できそうだけどね、、、)

そうではなくて

その場で即興的に共同で意味をこしらえている

会話はたった今だけ成立するジェスチャーゲームだということなんです。

 

単語に本質的な意味があってそれが世界をすべて表してくれる、またそんな言葉ある、というのは幻想

言葉って会話の中で突然に出てくるもの

その言葉は絶えず矛盾だらけの自分の世界の中から(瞬時に)呼び起こしてくるものだから

その次の瞬間には水面下に沈んでいく

嬉しい、悲しい、楽しかった

は過去の一瞬のこと

思ったこと、感じたこと、見たことも

それを現す言葉もはかなく消え去る

氷山の一角」の意味とは?使い方から英語や類語まで例文付きで ...

相手の世界から発起された言葉は自分の理解と合致しないかもしれない

でも

なんとかその場ですりあわせようとする

そうして

言葉を含めた2人の身体的やりとりで世界を創造しようとする

たったその時だけ立ち上がる世界を。

やはり

会話は結果のわからないゲームという例えもわかります。

 

会話を考える

言葉を考える

ジブリッシュを考える

いい機会となりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本の紹介 運動脳

今日はこの本読みました。

有酸素運動をすると

こ~んなにいいことがあるよ!

ということが書かれている本です。

要点を自分なりにまとめてみました!

 

著者の運動おススメ強度は

ランニング等の有酸素運動 20分 余裕あれば30~45分

最大酸素摂取量70% 息が上がるくらいの強度で

週に2回~

この運動することで得なこと

①ストレス耐性を強くする

海馬が作用してストレス時に放出されるホルモン、コルチゾールが過度になることにブレーキをかける

前頭葉の働きが増して不安の引き金である扁桃体の活動が抑えられる

脳内の興奮を鎮めるGABAの作用が活発になり気持ちが穏やかになる

筋肉にはストレス物質を無害化する働きがある

また

ストレスがあると

・情報伝達機能

・脳の可塑性(変化する特性)

・短期記憶から長期記憶への変化

が低下するけど

運動するとこれらを逆に促進していくことが出来る、といってます。

 

②BDNF(脳由来神経栄養因子)の生成を高める

これは大脳皮質や海馬で合成されるたんぱく質。

脳細胞を損傷等から守る、初期段階の細胞の生存、成長を促す、細胞間のつながりを強化して学習や記憶力を高める、脳の可塑性を促して細胞の老化を遅らせる、など脳の健康に欠かせない物質。

③海馬の細胞新生が起こり、加齢による萎縮の進行が抑えられる

海馬は運動で最も恩恵を受けている

海馬の働きは記憶の定着以外に

今体験していることを過去の記憶と照合してとらえて感情を暴走させない、空間の認知能力、ストレスの緩和作用、思考のスピードを上げる、、、

などの働きがある。

④前頭葉の血流が増えて機能が向上

アイデア、創造力がアップする

 

その他

運動とともに大切なこと

新しい環境や環境を変えることが脳の細胞の新生を促す!

この体験を記憶するために海馬に新しい細胞を作る。その細胞は運動の経験という刺激を受けて生き延びる。

あと

ヒトは生存の可能性を増やす行為をするとドーパミンが放出されて満足感、多幸感を得られる

私たちの祖先は狩りをしてそれらを得ていた

今の私たちは運動することでそれを得ることが出来る

といってます。

 

どうでしょう?

運動のモチベーションになりそうでしょうか?

最後の指摘にある、運動と合わせて環境を変化させる、ということが脳へのより良い刺激になりそうです。

そして

脳の活性化によって自分が何を望むのか

その辺りが問題であるとも思います。

脳のために運動するものアリですが

結果として

活性化していた、くらいの感じが楽しさを生みそうです!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私の今日の散歩

自宅から春日井3山へ

弥勒山山頂からは

雲海が見えました

伊吹山も

下山してモンタナで休憩

帰り道

昨日オンラインでお目にかかったミホさんと出会いました!

ご夫婦で仲良く散歩

素晴らしい~

今日も

散歩は新しい刺激にあふれていました!

 

片づけの意欲につながる本

年末の大掃除の季節

この本を読んでから始めるとモチベーションが上がりそうです⤴⤴

物を捨てなさい、整頓しなさい、掃除しなさい

頭ごなしには言わない。

だけど

家の中、家の周りをきちんとしよう!と読後に思える内容です。

 

片づけられないことには、そこに裏打ちされる原因が心のどこかにある。

片付けとは

カタをつけるということ

捨てるとか、掃除するとか整理整頓する、ということではなくて

過去に決着をつけること

こんな風に言葉の持つ意味を知る、ということから始まるのです。

 

家は神社同様(神様が下りてくる)神聖な場所

神社ですべき大切な作法が

祓いと清め

神社で行われることを同様に家で行うことが「片づけ」

不要なモノを処分して掃き掃除する(祓い)

整理整頓と拭き掃除(清め)

祓い、清められた清浄な空間に身を置いておくことで心身も整っていく

う~ん

そういわれると、、、、

どうでしょうか?

 

あと

部屋の玄関、寝室、リビング、台所と部屋の場所別に9つに分けて

その場所を象徴する数字、そこが片づけられない理由、場所の持つ力、片づけのポイントが書かれています

例えば

和室の数字は【4】四輪、四方、四隅など安定した形の象徴

エネルギーは「基礎固め・安定・継続」

和室は用途がはっきりしない場合が多いから片付けにくい

ポイントは四隅を隠さないこと!

・・・・我が家の1階の和室、物置に近い💦

などなど独自の解釈をしています

 

家の中の場所の持つエネルギーがそれぞれ違うと知ったり

自分の心や体はその場所に影響されているんだ

と、少しでも信じるのなら

その場所を見る目が変わります

その場所を大事に思えます

 

ちなみに

玄関の外、庭周りはその家に住む人の未来を投影している、といってます

キャーですけど、私。

あと

すぐできること、といったら

寝室

寝室に余計なものを置かないこと

タンスや押し入れをキチンと閉めること

眠る場所は毎日死ぬ場所でもあるから寝具や寝間着は清潔な状態にしておくこと

ですって。

 

過去にカタをつけるのは

より良い未来を生きるため、前を向いて生きるため

だと最後のほうに筆者はいっています。

ならば

生きている限り

片づけは続くんですね~

じゃあ

どこまでやるか

どうカタをつけるのか

これは

自分の気持ちにカタをつけることでもあると思います。

片づけは自分自身と向き合う行為

そう思えると

取り組む姿勢が変わってきます!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これそのものが

現代の片づけ

 

そして

片づけられないモノにはそれなりの理由がある

片づけは

しなければならない、でするものではない!といいます。

家の片づけと心の状態、身体の健康状態は密接におつながっている

 

特殊を育てる!

今日の小泉のレッスンは参加者が4名。

いつもより少なめでした。

終了後、皆で話をしました。

その時、Mさんが

ここ十数年間にご自分の体に起こったことを教えてくださいました。

「今、ここにいるのは奇跡的なんです」

とおっしゃるその言葉に

深くうなずくことが出来るほど、様々な病気を克服してきています。

そんな状態を思わせないユーモアと明るさをお持ちの方です。

私はその話を聞きながら

ご主人の圧倒的な愛を感じ

そして

昨日読んでいた橋本治の本の内容を思い出していました。

ちょっとふざけたような内容に思えますが

それは

「禿げた自分の頭を題材にして、物事を考える方法」

なんです

橋本治は

苦悩している人間はハゲるんだ、とか言ってます。

ハゲないで白髪になるやつは、苦悩する回路が体に備わってないんだ、頭の表面だけで引き受けてるから、とも言っちゃってます。

まあ

彼が言うと、何となくそうかもしれないと思う。

そう思う者がある一定数いることを前提にしているかのようにこう言っています。

「真理は誰かとの共同作業だ」ってのが私の生きていく前提です。

要は

根拠はなくても(苦悩=ハゲの話もしかり)説得力がありさえすればいいんだ。

説得力なんて「ほらね」って見せちゃえばそこで生まれるようなものだと思うし、根拠ってのは (説得された者が)勝手に発見してくれるもですよ

彼は自分のハゲを材料にしているのだけど

(ハゲに限らず)すべての問題はわが身の中に入っていて、その我が身から、どれだけ問題を引き出せるかが勝負だ

だいたい自分の中から何を発見するかっていうのが一番難しいの。だから他人をみて

「あ、なぜあの人はハゲて、自分はハゲないんだろう」ってそういう考え方をして

そういうところから【自分】というもののヘンさというものを考え、育てていくしかないんじゃなかろうか

 

橋本マジックで

なんだか気持ちよく説得される感じがしました。

 

すべて問題はわが身の中にある

その特殊性を育てていこうよ

そこに根拠なんか無くたってイイ

根拠なんて語った相手が見つけてくれる

真理は、誰かとともに作っていくもの、変化していくものだから。

 

これは応援ではあるまいか?

と、説得された私は根拠を探しだす

この会話の時もそうしていたのかも。

 

私たちにはそれぞれの特殊性がある

その体、その境遇、その環境、、、

そんな特殊性(ヘンさ)を

自分がどう育てていくのか

そこに面白さがありそうです。

いや面白くまつりあげていいんじゃないか!もっともっと。

 

ちなみにMさんは

6年前、薬をやめてサプリをやめて

水素水と、ウォーキングとそしてヨガを継続されています!!

 

さぶ 人新世の資本論 を読んで

[本/雑誌]/さぶ 山本周五郎コレクション (文庫や    78-  1)/山本周五郎/〔著〕

さぶ

を読み終わりました。

登場人物の行動、態度、話っぷりの描写から

彼らの性格がよくよく想像できて

物語に一緒に取り込まれながら

「ああ、もう怒らない怒らない栄一さん」

「サブちゃん何でそんなに謙虚かなあ」

と心でつぶやきつつ読む。

彼らの人間模様とその変化がこの物語の醍醐味、と思いました。

そして

物語を際立たせてくれたのが巻末の文章

編者解説

これを読んで

さらに

なるほど、そういうことね!!と膝を叩きました。

特に最後の一文

「さぶに近づくのは私たちなのである」

って

そこで再び私は

物語に引きずり込まれて引き戸(おそらく)を空ける自分を想像してしまいました。

編者先生さすがですね。

もう一冊今日読み終えたのは

昨年のベストセラー

人新世の「資本論」(集英社新書)

これは新しい資本主義の在り方を提言する本です

https://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/1035-a/

資本主義の負の面を克服するためにはどうしたらいいのか

マルクスの資本論の深~い洞察を基に

自身の見解を語っています

 

人権、気候、ジェンダー、資本主義 すべての問題はつながっている

本当に価値あるものを産生することに目を向けるべきだと。

これは

社会の問題はもとより

自分自身への問いかけとなっています。

この本がこんなにも読まれていることは(2021新書大賞)

そんな一過性でないメッセージがあるからなんだろうな。

図書館で借りられますよ~。

 

追記

美しい、赤きゃべつって。

 

活字にハッとする

私の実家は静岡県清水市

今は静岡市に合併されました。

お茶と言えば“緑茶”

夏でも熱いお茶

が普通でした。

今でも入れることが多いです。

今朝の朝日新聞の天声人語を読んで

いれたくなりました。

そして

最後の一滴まで落としてみました

ん~~

イイ朝だあああああああ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この本半分まで読みました

初の山本作品。

下恵土のFさんのお薦めでしたので読んでいます

 

半分あたりでこの小説の肝にさしかかったな、と思っています

ここのあたりまで

長~い伏線の物語があり

それはそれで引き込まれます。

そして

昨日読んでハッ箇所があったので載せちゃいます

これから読む!という方は流してくださいませ~~

 

復讐に燃える英二の心が変化が始まるところ

「おまえは秋の風を感じたことがあるか?

木犀の香りを感じたことがあるのか?」

という問いに自答している。

そして

そのすぐあとのページ

寒さをたった今肌で感じようとしている箇所

寒さから逃れることなく。

このあたり

身体感覚の観察が始まっている!!

怒りの炎に燃え

その目ですべてを見ていた英二は

その盲目さを自覚し始める

そして

ここでしようとしていることは

自分の身体の観察

これ

マインドフルネスじゃないかあああああ

まあ

こんなに単純に事は運んでいるわけではなく

物語の中で核心はゆっくりとゆっくりと見えてくる

この後が楽しみです!

ネタばれすみませんッ

 

時間の比較社会学

時間があっという間に過ぎていく

坂を転げるように歳をとっていく

よく使う言葉です

これって今始まったことではなく

1000年以上前から

移りゆく時見るごとに心いたく昔の人し思ほゆるかも

と万葉集で大伴家持は詠んでいる(700年代)

移り変わって戻らない時間の意識を持っているんだ、このころから。

国々の防人つどひ舟乗りて別るを見ればいともすべなし

万葉集は「今この時」「孤の時の感覚」「時の感動」を読んでいて

続く古今和歌集は

「時間」を対象にし始めているというのだ!

未来にもまなざしが向いているって

春霞たてるやいづこみよしのの吉野の山に雪はふりつつ

花のいろは移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに

このような古代日本の時間意識の例から

原始共同体の時間意識とか

ヘブライズム、近代社会、ヘレニズムの時間意識の違いとか

色んな例をあげて

時間の意識の差異、変遷を挙げているのです

この本!

真木悠介は

本名は

見田宗介

今月亡くなったそうです

https://news.yahoo.co.jp/articles/a65570969e5f5991df1515f9de73c76d422f7469

弟子で同じ社会学者の大澤真幸さんが

追悼文を朝日新聞にあげていて

それを読んで

代表作を読んでみたくなったのです

それがこの本。

「時間の比較社会学」

私は大澤さんの本は対談を読んだことがあるのですが

その大澤さんが18歳の時この先生に出会って、その話を聞いて開眼したのだそうです

その文章には無駄がない、という評価通り

的確な言葉を丁寧に選んでいる感じがする文章です

だから

読み飛ばすことが出来ないし

3回くらい繰り返し読まないと進めない文が1ページに複数あるッ

時間がかかりました

でも

手元に置いておきたくなる本です。

 

以下内容です・・・

人生が短いと感じるのは

「時が永遠に続くものだ」という思いがあるから

それから

人生ってはかないなあって思うのは

今をなおざりにしている証拠。

これから起こる(であろう)結果に意味がある、今は未来の原因なんだと

つまり

今、存在する意味は常にそのあとの時間のためにある、との思いは

未来を想定した地点から今を考えることになる。

未来に万全に備えるための今

その未来の

行きつく先は

であるから

存在の意味、生きる事がむなしいと思えるのは当然でしょうと。

未来のための今ならば、過去は無意味で、すぐ過去になる今も無意味なものとなってしまう!

そりゃむなしい(´;ω;`)

 

コンサマトリー(現時充足的)な感覚を喪わないこと

過去は無意味なものでなく

❝存在のうちに累積していく❞と考えるならば

取り返しがつかない過去であっても、それは現在に生きていると思える

そして時に対して

それを時を超えた視座でジャッジするのでなく時のうちに充足する感覚を疎外しないようにすること

そこが

虚無から離れること。

私たちが時の恐ろしい呪縛から解放されている時(コンサマトリー)は

他者や自然の中で自我が溶解している時である

現在は未来の理想実現のためにある。今にそんな価値しか見いだせないほどに空虚になるのは

周囲の人間や自然と融和する感覚を失っている時だといっています。

 

以下、引用した方が伝わるので引用。

ここ、私が最もうなったところです!

存在のうちに喪われたものを、ひとは時間のうちに求める

存在のうちに喪われたものを、ひとは時間のうちに求める (2回繰り返し)

けれども時間は我々をただ別の存在へと導くだけだから存在のうちに我々が見出すものを拒んでいるものを、時間が与えてくれることはない。

時間がニヒリズムの元凶であるのではない。

ニヒリズムが元凶としての時間を存立せしめる

たった今存在する感覚を持つことが出来ないそれを、ひとは未来という時間の先に求める

今感じられない充足感を未来に得られるはずだと希求し続ける

でもそれはかなうことはない

行きつく先にも何もない、求めるものはそのさらに先に在り続けるのだから。

その姿勢なら時間の呪縛から逃れることはできないのだ(わたし的解釈です)

以下引用

死の恐怖や生の虚無とは知の地平の範疇ではなく、ひとつの生きられる戦慄である以上、我々をそこから解放する認識は、我々の知によって知られるばかりではなく、我々の生によって知られねばならないはずだ。

知がそれ自体として開放する力を持つということはない。知が生き方を変える限度においてだけ、それは開放する力を持つのだ。

生の虚無から脱するのは

知識だけでなく、生の感覚に拠るんだ!

今、感じる生の感覚

自我の融解、これは何だか難解だけど

静かに座って

今ここで向き合える感覚なのだと思うのです。

 

いま

一緒に呼吸を~~~

星のや富士涼しい森の中でアクティブに避暑を楽しむ「夏の森 ...

痛みのこと、再考

昨日、この本を読み終えました

熊谷さんは東大の先端研の准教授

もとは小児科医だったそうです

小児麻痺のため体が不自由で、つらいリハビリを幼いころに行っていて

その時の痛みの経験や

今もなお感じる痛みがあるようです

その、痛みをテーマにした4人の方との対談が本書です

熊谷さんはこんな方です

http://shochou-kaigi.org/interview/interview_85/

私は一番最初の大澤さんとの対談が印象的でした。

自分のメモ書きで、読みづらいけどポイントはこちらです

⓵人の痛みは共感できない

痛みをわかろうとする、共感する姿勢よりその共感を脇に置いて社会的サポートをするのがよい
痛みは人を孤立へと向かわせるけど実はそれこそが同時に人を他者へと関係づける力にもなる

東日本大震災の時に被災しながらも人をサポートする人が大勢いましたね・・・

②人は知識を信頼できない、他者との関係を信頼する

痛みは内部の事のようだけど、実は体の境界線を越えて他者との関係の中で痛みの強さ、弱さ、あるなしが決まる!
人が信じるのは知識でなく、他者を信じるもの。痛みの回復の方法を知識として知っているのと、それを信じているのとは違う
誰がそれ(知識)を言うのかが問題
当事者の自助という態度も肝心

たとえ痛みにおいて、人とのコミニュケーションが不能だとわかったとしても、それもコミュニケーションである

③痛みの緩和は予測からのズレで起こる
覚醒とは、思い通りにならない予測不可能性のものが突然浮上してくること
見舞いのための優しさが痛い、笑顔が痛い、という場合がある
痛いと言ったら手当てしてくれるという予測可能性が悪循環になる場合がある
痛みの回復は予測不可能な覚醒から起こる場合がある

著者は自分の予測に反して痛みが治ったと経験があるようです

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日朝日新聞のお悩み相談に、

マスクを生理的に付けることが出来ず自殺を考えるほどに悩んでいるという女性の切実な訴えがありました

それに対して回答者が

熊谷さんの取り組みを紹介していました

 

障害は内側のものではなく

社会が生み出しているもの

本当に

私たちは

私たち様に世界を作りあげている

その力のなんと強靭なことか

熊谷さんの経験と思考と、鋭い洞察力とそれを言葉に表現する力で

多くの人が励まされ、力を得ているはずです