【『サピエンス全史』をどう読むか】を読んで

この本を読みました

「サピエンス全史」を読んで著名な方々がその印象を語っています。

「サピエンス全史」私は全部を読んだわけではなく、途中は飛ばし読みでした💦

でもおよその概要がわかるので、この中に書いてあることも理解できました。

中でもお二人の考察が興味深かったです。

大沢真幸さんと福岡伸一さんです。

特に大沢さん、本の考察というより彼の持つ知識そのものと、その示し方が絶妙です。

その一つが

知への姿勢。

❛人間には知ることに対する本能的な欲望はない❜

❛知というのは人間が世界と付き合うにあたって安心したいということのあらわれ❜

❛無知を自覚することは人間にとって不安で、かなり苦痛なこと❜

物事を知りたい、知識を増やしたい!というのは食欲のような本能的なものでないようです。

確かに

本能的な欲望が満たされているときに、知ヘの欲望が湧く。

身体が危機的な状態の時に本を読もうなんて思わないし。

❛知というのは人間が世界と付き合うにあたって安心したいということのあらわれ❜

私は自分で知りたい欲が強い方だと思っています

でも

それはなんでだろう?と追及したことが無かった。

せいぜいそれが個性だと思っていた。

自分が知ることでいつか誰かの役に立つだろう

とか

いざというときにうまく行為できるだろう

とか

知ることそのものに快感がある

とか

そんな見解は持っていたけど

突き詰めていけば

そこに

【安心】があるから⁉️

 

私の中にずっとある知識への欲望は

身体が快適に動かせる方法をもっと知りたい、様々な体の状態の人にも対応できるような知識を増やしたい、ということ。

最近の知識への欲望は

神話の世界を知りたい、歴史を知りたい、英語力つけたい、などなど

コレって

知らないことによる不安を解消したいから⁉️

英語力は九州旅行でまたまた感じていたので。

タイのみんなは英語が堪能だったんです!

英語話せたらもうちょっと孤独感なかったのに(´;ω;`)

❛無知を自覚することは人間にとって不安で、かなり苦痛なこと❜

知りたい私は、【安心】へ向かおうとしていたのか!

言い当てられた感じがしています。

必要な真理はもう知られている、あるいは少なくとも自分は知らなくてもすべてを知っている人がいると思うことで人間はすごく安心するということがある。たとえばブッダはすべてを知っているらしいと思うと安心する。

確かに私は

この世の中で誰も知らない知識を得たいとは思わない

そんな大それたことではなくて

誰かのように知識を得たい

とか

誰かと対等に話せるようになりたい、憧れの人に少しでも近づきたい

とは思うけど。

 

大沢さんは

サピエンス全史を読んで考えたくなることが複数浮かんだようです。「この本は探求のターゲットをうまく見つけてくれるんです」、といってます

そしてこうもいってます。

(サピエンス全史のような本を読むということは)単に物知りになるということではない。こういう包括的な書物は、それぞれの社会や人生の決定的な選択に対して自信を持つことにつながります

しっかり選択をするためには世界がどう見えているかということがまずなければならないはずです。

現在、地球のどこにも我々と関係ない人はいなくて、空間的にも時間的にもものすごい広がりの中でいきているはず

私は

大沢さんの見解の文を読んで

『サピエンス全史』を読んだ時以上に

自分を客観視することが出来ました。

 

また大沢さんの本が読みたくなった。

安心のため、です(笑)