どんな世界も観えるはず

今週はレッスンの中に目のワークを入れてきました。

頭の後ろの視覚野で外側の景色を見ている意識をもつ

風景を見に行くのと同時に入ってくる風景を受け取ってもいる

座骨の間の接触感を感じる

10指を合わせるということも付け加えたりして・・・

これらのことをしながら周辺視野で見える世界を広くとらえていきます

自分の前面の空間や左右の空間から

さらに

自分の背後の空間まで見ようとする

視界には入らないけど観察しようとする

視覚を超えた力を使おうとするようなそんな感じ・・・

これをしてしばらくすると毎度背中の感覚が鋭敏になります

背中に呼吸が送り込まれるのがわかる

いつも繰り返されているのに、気づけない、それを拾える感じがします

背後の気配に私たちの祖先はきっともっと敏感だったに違いない

身の安全の為に備わっている、視覚に頼らない感覚

この取りこぼされそうに微細な感覚に気付けると呼吸が変わります

・・・・・・・・・・・・・・・

さて

昨日、今日で20代前半の若者たちと会話をしていて

将来への希望や迷いを耳にしました。

理想に近づくためにこの職場でいいのか、何が自分に適正なのか、とか。

そうそう

私も長い間自問自答してました。胸が痛くなるほどわかるなあ、その気持ち。

エネルギーが有り余っていて、どこに発露していいのかわからず持て余してしまう、、、そんな時って誰にでもあると思うんです。

迷うその気持ちにうんうんと同感しました。

私には彼らに与える答えは無いのですが

こんな彼らの考え方や言動も

目の使い方と関係するのです

何かを探しに行くように外の世界を見るのか、既に入ってきているものを見るのか。

自分は何を手に入れたいと思っているのか、既に手に入れているものは何なのか。

思いが目や体の使い方になり、行動になっていく・・・

 

今日のレッスンではこんな事をお話ししました。

 

「いやだなあと思い続けて長時間、何日も動いたり

めんどくさいなあと思いながらの行為を繰り返すすることは

脳がブレーキをかけているのに、無理矢理アクセルをふかして体を動かそうとしているということなので

頭はさえないし体は疲労しやすくなります」

と。

何を為すのかは重要で

それと同じように重要なのは

どう(思いながら)行為するか

だと思うのです。

脳を最大に生かしていきたいのです。皆と共に。

どう背後を感じるか・・・

そこには無限の自由が!!!

 

 

 

 

 

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