賤ケ岳へ始めて登山

今日も午前中に行ける山を考えて

【伊吹山】を目指しました!

4時に起きて食事の支度して高速でGO!

車中で伊吹山の登山道のイメージ膨らませたり

山頂で伊吹牛乳飲もうとか考えたり、、、

高速降りると途中でその伊吹山がドーンと見えた!

キレイだったから車から降りてパシャッ

これから行くよー

登山口到着して看板見てびっくり

なんと

3か月以上前から(´;ω;`)

ショックでした。

仕方なく、車中で調べて

【賤ケ岳】に変更。

30分で到着しました

賤ケ岳は賤ケ岳の戦いのあった場所。

登山口にはその時に活躍した7人の名がありました。

景色もイイんです

これ余呉湖だと思ったら

琵琶湖でした

おっきいなあ

余呉湖はこちら

山頂からは伊吹山もしっかり見えました

戦の終わった後うなだれる武士の姿。

手前の文面には

“戦いというものは勝敗をおけた次元で、厳しくそして哀しい”とあります

勝っても負けても哀しい

今も同じ。

戦没者のお墓

下山して余呉湖のそばの道路を通過

再び山道に入る

大きく周回して

も一度賤ケ岳山頂へ

琵琶湖見ながらの贅沢な下山

山頂へはリフトでもいけます

予定通り12時過ぎには帰宅しました!!

 

おまけ

今日庭に出たら

数年ぶりにシュウメイギクが咲いているのを発見👀

やったー!

週末の登山と陶器祭り

先週末も雨予報でしたね。

さらに

先週の木曜は高い山では雪が降ったようです。

穂高も。これは奥穂の様子。

稜線から山荘を俯瞰(2023.10.06 穂高岳山荘 )

ここに行くのは来年かなぁ。。。

というわけで

しっかりあきらめがついた私は土曜の午前中の貴重な晴れの合間に行ってきました

瓢ヶ岳⇒高賀山⇒瓢ヶ岳

瓢ヶ岳は美濃の辺りにあります。高賀山とも近く2つの山は歩いて行けます。ただここをつなぐルートは1時間の林道歩きをしなくちゃ、です(´;ω;`)

出発は6時過ぎ。車は2台目でした。

登山口、ここからスタート

すぐに森の中

単純明快な標識!

わ~ あのキラキラの向こうに何がみえるんだろう

ドキドキ すぐにテンションが上がる私。

沢を数回またぎます

ここを登りきると

分岐に到着!まずは見晴らし台へ行ってみよう

この山の中で3番目にきれいな景色が見える場所、なんですって。こんな感じ~

さて再び山頂めざし

到着!ひとりぼっち(笑)

高賀山まで行けるかな

おっと林道始まり

遠くに見える白いガードレール

あんなところまで行くんだ、、、(ってもっと先まででしたッ)

飽きのきちゃう林道歩きのコツは

景色を楽しむこと

あとは

後ろ歩き!スピードを変えて(振り向いてます)

林道と山道通過して高賀山到着!だーれもいない( ´艸`)

ここにも立ち寄って

下山で再び林道歩き

登ってっ来た瓢ヶ岳!ススキと一緒に秋らしく映えて見えました。

もう一度ここに登るぞ!

林道からもと来た登山道へ

も一度山頂

さっきまでいた高賀山見えました

下山中に見つけたお不動さん

この日一番の注目スポットでした

写真撮れなくて残念(´;ω;`)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

翌、日曜は午前中に陶器祭りにも行ってきましたよ

お正月っぽい

秋っぽい

和紙っぽい

来年の干支に目が行く

12支の中で唯一架空の動物。

可愛い~

今回の買い物!

来年の小さな準備、辰の置物、買っちゃいました!

 

屛風山、久々に会う方と。

中津川市に住む、みきこさんが

「私も山に行ってみたい」

と、リクエストがあったので日にちを合わせていましたが

やっと実現!

 

みきこさんは

私が静岡から岐阜にやって来て、初めてできた友人。

不慣れな土地で初めての育児が苦痛と感じるとき、

同じ年の子を持つ彼女の存在がどんなに助けになったことか!

それぞれが今の場所に越してからはあまり合わなくなってしまっていたけど

やっとタイミングが一致したので行ってきました!

屛風山へ!

 

歩いている間、ずーっと会話

「この日のために犬の散歩、毎日するようにしてきたのよ」

「ふーん、どのくらい?」

「えっと、1,000歩くらい」

「時間にすると?」

「ん~10分くらい」

「・・・・・・・」

(今日大丈夫かな笑)

「最近、休みの日は実家の畑や田んぼの手伝いしてるのよ、両親が体がキツそうで」

草刈り

稲刈り

サツマイモの収穫もぜーんぶ!

(おおお~なら、大丈夫だ!!)

両親の話

仕事の話

諸々、、、、

「わーおっきいね!!」

どこでも素直に感動しているみきこさん。

純粋な人。

両親の話は続き、、、

山頂へ!

「わー見晴しイイね~、この看板と一緒に撮って!」

話はいったん中断、、、

「定年になったら、今度は今までと違う仕事をしてみたいと思っているのよ、今度は人の生死にかかわらない仕事、、、 私、仕事時間過ぎてもその人の状態気になっちゃって、どうしても引きずるから。他の人は割りきってるんだけどね、、、」

みきこさんは愛のひと。

黒の田湿原に咲く花

この湿地でお昼

それで子供があーなってこーなって

え~あの子が、ね~!!

(ちなみに私のホームページはみきこさんの長男君にお仕事として依頼、管理してもらっています)

持ち寄りのお弁当でお昼

こうやって何度も子連れでランチしたね

「いつもパパっとご飯作ってくれたよね」

「一緒に行った潮干狩りの後、あさりにあたって食中毒になったんだよね、人生三大食中毒の一つだった」

「砂肝の食べ過ぎで虫歯になっちゃってさ、長いこと歯医者に通っているのよ。今日もこれから行く予定で」

「砂肝で!?」

「私はナッツ、虫歯出来そうなほど好き」

「私も~!」

「朝ね、ここでずーっと滝の中に入っている人がいてね、なんか心配になっちゃって」

話は下山後も続くのでした( ´艸`)

道の駅に寄って外のベンチでまた1時間ほど会話。

もし認知症になったら

自分の性格の話

ひととの相性の話

などなどなど、、、、

 

みきこさんは

初めて出会った時から変わらない、ゆっくりで穏やかな口調

何を話しても穏やかに受けとめてもらえる安心感、変わってなかった。

数年ぶりにあう場所

それが山であってよかった

どんなことも最後は笑ってしめられた気がして。

 

また山で、と約束して別れました!

 

 

35 年前に登頂していた!

学生時代の記憶ってこんなにも薄れてしまうものなのか、、、

大学が長野県だったのでサークル活動でなんちゃって登山をしていました。

穂高も登った記憶があるのですが

どの穂高かわからず

(穂高は西穂高、奥穂高、前穂高、北穂高があります)

先月自分が奥穂高と北穂高に登ってみて

「ああ、たぶんこの北穂だったんだろう」

と思っていました。

今日まで。

ちょっと確かめてみたくて古いアルバムをめくってみたら

なんと

奥穂高に登っていました。

先月が初登頂!と思っていたけど、、、

18歳の私ですッ(なんと35 年前!!!)

この小屋に泊まったんだった

そして

未踏と思っていた前穂高に登頂していた!

さすがに

槍ヶ岳の登頂2回は覚えているけど

↓槍山頂

そこまでのルートは全く記憶なし

ここからスタートして(中房温泉)

大天井でテント泊したようだった

連れていかれる登山は

記憶に残らないんだな~

明日

この中房温泉から大天井岳に登る表銀座ルートを辿ってきます。

初めて気分で(笑)

4回目、たぶん(笑)

大日ヶ岳 快適登山道で山頂3回

昨日、娘から

「白山に登った!」

と連絡がありました

一人で行ってきたそうです、、、

今日、私は

大日ヶ岳に登って来ました。

大日ヶ岳は2回目ひるがの高原が登山口です

6時にスタート

登山道が広々していて解放感があります

樹林帯を抜けて道が開けたところにある展望台に立つと

大日ヶ岳の山頂がみえた

山頂には大日如来が祀られています。7時半。

ダイナランドスキー場方面に下山

ダイナランドスキー場

一昨年ぶり

再び山頂の如来さまのもとへ

来た道を下山

道中の森がとてもイイ

とてもイイので

登山口まで下ったら車に置いておいたお弁当をリュックに入れて再び山頂を目指す

わーい

また森の中へ

登頂完了!

3回目の如来さん

この時が最も眺望がよかったです

下山道の途中

いっぷく平のこの木に腰かけて

ランチ

見上げるとこの景色

森にいる幸せ、、、

3回登頂したので

今回はこんな軌跡

下山後

両方いっちゃいました( ´艸`)

山を目指すということは

穂高から槍ヶ岳の縦走を終えて今日で一週間。

その圧巻の景色と、触れた岩の質感、落石がもたらす音、体中に吹きすさぶ強風にバランスを失う恐怖、ルート不安による焦燥感

まだありありと感じられます。

たった2日間の中で、数か月以上に匹敵するような感覚の刺激を味わいました。

そして

帰宅してからすぐ

この本を読みました。⇒可児市の図書館にあります

 

著者の宮田さんは

奥穂高の近くの穂高小屋のスタッフをしながら山で遭難救助に12年奔走された方。

穂高岳山荘 – 奥穂高岳の登山ガイド

この本には

宮田さんがレスキュー隊員として成長していく様子と

山小屋の日々の様子や遭難救助の現場の実際が記されています。

現場の話は非常に面白い。語り口も臨場感バリバリで読み始めたら止まらない!

リスクマネジメントとして心がけたいこと(登山道でのすれ違い方や自分都合の行動)

登山の時の「覚悟」とは何か

も書かれていて、身が引き締まる思いがしました。

以下青字は本文の引用です

「覚悟」

誰も山で死のうなんて思っていません。でもぼくやあなたが山で命を失うことは起り得ます。その「覚悟」は持つべきでしょう

何も死ぬことへの覚悟をしろというのではないのです。必要なのは生きるための「覚悟」なのです

それはしっかりとした事前の準備であり、注意深い行動であり、山への畏れであり、断固として無事に山から帰るという強い思いなのです。

「両極こそが魅力」

美しさと厳しさ、気高さと激しさ、畏怖と優しさ。

そんな相反することが穂高では矛盾することなく存在します。

そしてどうしようもなく穂高で起こる悲劇の数だけ、それに立ち向かう熱い思いと行いもあるのです

レスキューの実話は、私が今回歩いたルートやその付近で起きたことだったので他人事でない感じがしました。

ジャンダルム登頂時、私はまさにその現場に出くわしました。

見ているこちらもとても緊張しました。

 

映画のような救出劇の成功もあれば、救助という目的を手放す必要もある。

レスキューの実話は深刻で残酷なのに、宮田さんの語りにはどこかユーモラスも感じられます。

風雪の中、遭難者3人のうちの一人だけの命を何とか救助できたとき

「私もついでに助けてもらえませんかっ」

って

自己申告してきたおじさんの話は笑えました( ´艸`)

 

この本、

私はすでに2回読みましたが、2回目でも感涙(´;ω;`)

宮田さんの山への愛や登山者への愛、仲間への愛にあふれているから、、、

最後のほうに

亡くなったアルペンクライマーの友人への追悼文がありました。

その純粋さゆえに、その誠実さゆえに、彼ら「アルペンクライマー」にとっては、登ることがすなわち生きるということになるのです。

死ぬことを恐れて本当の意味で生きることの難しくなったこの世界で、彼らほど誠実に生きている人たちを僕は知りません。

誠実に命と向き合おうとすればするほど、その行いは激しさを増していってしまう。

そこには死という究極のリスクが存在します。それを承知のうえでなお登る「アルペンクライマー」という者たちはどうしようもない業の中にいるといえる

彼らの行いに共感する宮田さんの姿勢に

私はなんだか感涙しました。

それは自分の心のうちに

「アルペンクライマー」とは比べ物にならないレベルのものだけど

同じような“業”があって

それを宮田さんに受け入れてもらった

そんな感じがしたからです。

 

またいつか穂高に行こう!

 

 

 

 

 

身の安全は体がもたらす

北アルプスの穂高⇒槍ヶ岳の縦走から帰宅して2日経ちます。

なのに

2日とも夜、熟睡できずにいます。

実は北穂高小屋でもほとんど眠れませんでした。

あんなに快適なスペースだったのに。

体の疲労感はないけど、神経がまだ高ぶっている感じです。

今回の縦走路はあまり一般的ではないコースで、しかも危険度の高い場所を多く含んでいたので、数日前から緊張がありました。

体力勝負のコースはこなせても、岩場の難路は何があるかわからない。

なので準備にも気を使いました。

荷物の軽量化に努めながらも、怪我の場合の応急処置品を一連そろえたり、命綱であるスマホ(ルートを確認するために)の電源確保と地図のプリントアウト、山岳保険にも入りました。

初日の最大の難所となったジャンダルムでは二足歩行できないところが多いので

体位を様々に変えて登ります。

一歩進むたびにどの岩の隙間に指を差し込むか、足場をどこにするかを問われ続けます。

私は何とか無事登頂して戻ることができたけど

でも

怪我をされて動けなくなっている方が救助されるのを目の当たりにしました。

 

危険個所に行くのは自己責任なので

そんなことになるなら行かなければイイ

と、いうのは確かにそうなんですが

それでも行ってみたい、という人間もいます。

私もその一人(笑)

行くからには

「行けるだろう」「行けるはず」という気持ちも必要です。

ただ

決してそこに慢心や自惚れがあってはいけないけど(この長文ブログの最後にもそう書いてあります、謙虚であれ、と)

難所はここだけでなく

岩だらけの激下りや高度感あふれるところが過去最長に続きました。

こんな時

「行けるだろう」「行けるはず」「大丈夫、進める」

と思わせてくれる、その源は何なのか

気持ちの問題?

過去の経験?

それだけではない

圧倒的にそう確信させてくれるのは

“身体感覚”

なんです。

急な岩場を移動するときは

3点支持が大原則です

「三点支持」だけじゃない! 岩場・鎖場を安全に歩くコツ – 山と溪谷オンライン (yamakei-online.com)

三点支持」だけじゃない! 岩場・鎖場を安全に歩くコツ - 山と溪 ...

岩に触れる手の二点、足の二点のうち三点は動かさずに常に一点だけを動かす、という動きです。

この時に

指が岩に触れる感触、足先を岩の角に差し込む感覚が常にありますが

その感覚でその岩が浮石であるかどうか、体重を(命を)預けていい岩なのかを瞬時に判断します

常に感じるこの感覚こそが大丈夫のもとなのです。

その瞬間もたらされる感覚という情報からでしか安心は担保できない。

だから

更新し続けなければなりません。

常に身の安全を手足に聞き続ける

岩場や鎖場を安心して通過するために身につけたい岩登りの基本 ...

今の命の安全は今の感覚に寄るのです、先取りはできない。

穂高連峰の紹介 | 穂高岳山荘

昨日のレッスンでもこのことをお伝えしました。

 

これって

ヨガの時間と同じなんです

だから辞められない、山も、ヨガも!(笑)

 

 

今日は高社へ登って来ました

山頂を進んだらどこに出るかな、と思って進んだら

行き止まり!?

今日はここがゴールとなりました~

 

 

 

穂高⇒槍までの大サーキット

8月最後の平日の連休!

貴重な大チャンスを存分に生かしてチャレンジ登山してきました

今回は一泊二日の山行!

新穂高口から奥穂⇒ジャンダルム⇒唐沢岳⇒北穂高 で北穂高岳山荘で一泊

翌日

大キレット⇒南岳⇒中岳⇒大喰岳⇒槍ヶ岳から西鎌尾根を通って戻りました

こんな感じ

前日はなんと17時半に新穂高口に到着、この時間でないと駐車の余裕が無いのです。

車中泊して3時半に発

奥穂まで最短コースで行きます

早々にゴールが見えるけど

道はどんどんひどくなっていく

忍耐のみ!

マークも少ないのでたまに見つけてほっとする

こんなんもあった

スタートから3時間ちょっと最初の難関を何とかクリアしたとき、こんな景色に歓声!上高地も見下ろせました

奥穂ピークはすぐ

最難関の一つ、ジャンダルムへ

冷静さ、リズム、軸の移動、3点支持を自分に言い聞かせて動きました

登頂!

途中、けが人がみえて目の前でヘリで搬送されていきました。

「しばらくその場で待機してください」と言われてじっと待つ。

恐ろしい事故が相次いでいるところなので

ヘリの音を背中で聞きながら緊張感もって戻りました。

その後のピーク

この後の激下りが今回の不安要素の一つ

垂直に近いところもありましたっ

奥壁バンドは鎖の支持がないところ

こんなところでした

 

下を見ないで進む\(◎o◎)/!

北穂高着!

スパイダーマンがいた

北穂高岳小屋には12時半に到着

早すぎでしたが予約してあったのでここに泊。

この小屋の人気の秘密がわかりました

テラスからの展望がイイ

夕方、穂高連峰の影が対面の蝶が岳常念岳の稜線に移ってる

ワイン飲みながら雲が晴れるのを待つ人

同じ部屋の3人と話が弾む

これ以上ないシチュエーションでの夕食!

食後は北穂山頂で夕日堪能

スーパームーンは明日

でも十分大きい🌕

以下翌日です

皆より早く、5時過ぎ小屋発

 

さあ

あそこへ

いざ!!!

最初から大下り

あさイチの大キレットは体が追い付かないッ

しかも強風だった

飛騨泣きは飛騨側に落ちると助からないという場所

私は強風で心はすでに号泣状態

風にあおられて体勢とりにくい

この岩のてっぺんが

長谷川ピーク

大キレットの底辺あたりから行く山を望む

こんどは上り!下りより楽だ!

キレットを超えると別世界

なんて広々安定してるんだ!

の、

南岳

槍が近くなってきた

二つ山頂を越えて

いざ槍へ向かうの図

山頂すいてました

槍に到着するには様々なコースがありますが

山頂からそれを確認

表銀座、東鎌尾根

今来た南からの道

これから行く西鎌尾根

下山して西鎌尾根を行く

やはりイイ稜線

裏銀座方面の山も全部見えるし

振り返るとそこに、、、

アップダウンを繰り返してやっと双六小屋

携帯食!試してみた

水を入れとくとおにぎりになる!(一時間要)

鏡平で登った山が全部見えた!

 

長い長い下山道でしたが無事帰還

岩の殿堂の証

今回はこんなルートでした

おしまい

悩みのるつぼから

昨日の朝日新聞

週に一度、のコーナーです

相談者の悩みに著名人が交代で回答するものです。

時に

自分が回答者であったなら、と思ったり

時に

相談者と同じ目線に立ったり、

そんなんしながら読んでます。

今回はちょっと心に染みたのであげてみました

人生の意味は、私が問うものではなく

私は人生から生きる意味を問われている

「夜と霧」にあるこの言葉

再び思い起こしました。

人はこと切れるまで❛出会い❜(出来事)があり、出会いを通じて人生から❛生きる意味❜を問われ続けている。

生きていれば出会いがある、出来事がある。当たり前ですが、、、

だから

こと切れるまで、その出来事が自分にもたらす価値や意味を見つけ出すことができる。

死ぬまでその可能性が開かれている。

 

私たちは

常に出来事に翻弄され、それに反応し続けています。

それと同時に

いいこともそうでないことも

それをどう受け止める自分であるか

人生から期待されているのです、他の誰の人生からでもなく、自分の人生から。

こういう回答

なんだか

自分を楽にしてくれます、前向きにしてくれます。

どんな出来事も受けられそうな気がしてきます

こんな時があるから

土曜の新聞が楽しみなんです

さて

昨日の出来事は

①水キムチに冬瓜と梨を始めて入れてみたこと

②廿原までのモーニング登山&散歩&お茶

そして

今日は

白山行きが悪天候で延期

代わりに

猿投山へ

これらがどんな意味をもたらすものなのか

結論は・・・・・

わかりません(笑)

 

反省の日、でした。

夏休み

我が家は今日、一日だけ家族がそろって食事をとれる日でした。

滅多に声を聞かない次男も2泊の帰省。

誕生日が近いので朝からケーキを焼く。

畑に行って野菜を調達して

朝ごはんの用意と(自分の分、作りそびれたッ)

山で食べるお弁当の用意

ごはんのおともは

ココナッツカレーにしました

今日の登山は

遠見山~納古山

ホントは昨日の夕森山に行きたかったのです、涼しかったから。

でも、時間の余裕がなくて

近場の山に変更

これが、、、

失敗でした

遠見山までは順調

景色イイね、怖いけど

ここまでの上りで全身汗ッ

今日はとっても暑かった

ここからの道は平たんな道も多いのですが

アップダウンがあります。

最後は

長い上りの連続になります

気温も上がっていて全身汗びっしょり

二人とも見るからにキツそう

登り切った後

長女がかなりのペースダウン

後から聞いたら、吐き気がして意識がもうろうとしていたそうです

長男もかなりばてていました。

熱中症に近かったのだと思います

何とか山頂に到着

ここで休憩したけど

写真撮る余裕なし

食事をとってから

二人には横になって休んでもらった

私は自分の考えが浅はかだったと反省しました。

持ってきた水分が少なかったこと

二人とも昨夜遅くまで話をしていて寝不足だったこと

娘は特に疲労がたまっていたようでした

暑さでばてて当然だったのに予想出来なかった⤵

帰り、どのルートをとるのが最適か考えた挙句

“もと来た道を戻る”

事にしました。

 

山頂での休憩でやや生気を取り戻した娘も順調に下山

ゴールまで来てホッとしました

二人の背中に

ごめんね、する私(´;ω;`)

何とか下山できましたが

自分の無事以上に

同行者の無事は重大なんだと思い知らされました。

 

下山後

私もかなり水分をとりました。

身体が欲していたんですね

 

夜はスタミナupごはん

といえば格好いいけど

ただのバーベキュー(笑)

 

嫌いになりませんよーに。。。

ご自身はもとより

家族の熱中症にもお気を付けくださいね!