この本を読みました
養老孟子さんの視点にはいつも感心します
意識(心)の働きが世界を作り上げている
意識は
「同じ」という働きを優先する
昨日の私と今日の私は同じ私だと思える
1000円のものと同じ価値があると判断するからそれ相応(と思う)物を買ったり交換ができる
他人と自分は同じだと思えるから人を思いやれる
苦手なあの人はいつまでたってもそういう人だと思って変えられない
それに対して
感覚は
「違い」を感知するものである
変化があるから匂いを感じることが出来る
温かいと場所から離れるから外の寒さがわかる
同じ赤い色のりんごをみても隣の人と同じ色を感じているとは限らない
私たちは
感覚器官で常に体の内外の変化を感じてる!
でも
意識は
それら変わるを感じる私を、ずっと変わらない私とみなしている
幼児の頃から50過ぎた今まで私は同じ人間だと認識するのは意識の働き
体の内部はすっかり様変わりしていますが。
それに
意識は日々途切れるものですよね
寝ている時は私を忘れている
断続的なものなのに起きたら私は私として復活する
まるで
私の仮面をかぶるように装着できます
自坊的に、です。
私たちはそんな意識にしばられているともいえます
意識は
変わらない私、変わらない時間感覚、変わらない生活、変わらない世間を作りあげ
宗教を作り、神をも作りあげるのです!
こんな意識の呪縛から離れるためにはどうしたらいいか?
養老さんは
虫を追いかけるのだそうです
虫を追いかけることには
目的はないそうです
そうですよね
目的は意識が考えるわざです
そこから離れるには
変化を感じてみるということ
つまり
変化を感知する5感を働かせよう
ということです
目的は無くてもイイ、また一つでなくてもイイ
歩くこと
眺める事
集める事
何かを作ること
意識の外に出るには変化をとらえる感覚を観ていくこと
実は
その感覚の変化は
意識の土台になるものなんですね
何が意識を変えるすべになるか
意識という呪縛から離れる事ってどういうことなのか
それを探していくことが
成熟するということである、と養老さんはいいます
自分なりにそれを見つけていくこと
合理的でないことかもしれないし
経済的、社会的に有用じゃなくても利他の行為でなくてもイイ(もちろんそうであってもイイ)
それが
人生という作品を作っていくことだと
何だか格好よくいっています
そんな作品が長い人生をかけて出来あがるなら
それは
かっこいいと思う
誰もそう思わなかったとしても、です
私は
ヨガの時間を
まさに感覚を観る時間と考えます!!