東洋医学的な回答として

東洋医学を学んだ時に感じたことをレッスンの最初にお話ししています。

そしたら

今日だけで二人の方に感想をいただきました。

どうしても波長の合わない人と会うのがストレスになっていてその状態から逃げようか頑張ろうかずっと考えています

出来れば逃げたいです

とのことでした。

人間関係

これは

誰にとっても大きな問題ですね。

 

私は

自分の私見ではなく、東洋医学のルールにのっとって考えたくて

テキストを見直しました。

思い出しながら

それの答えに近づくといいな、と思っていくつか言葉をピックアップします。

 

★東洋の医学は「自分自身」に向けての内容です。

(決して人を変えるものではなく、自分の調子がよくなり、その結果周りもよくなる学問)

★負のストレスは必要不可欠、それに対して鈍感にならない、排除しない

★快を増やすより不快を減らすためには「価値観を広げること」

(もやもやは自分の(価値観の)問題なのだ!)

★一つの存在には必ず二つの相反する要素(太極)が含まれている、それを同時に考えることが客観視

(自分にとっての快はどんな状態?では、自分にとっての快でない状態とは?)

★太極が循環している状態を健康という

(体調がよかったり、悪かったり変化するのが健康)

(適・不適を感じられる)

(相手を受け入れ、会話が成立している状態)

★太極が対立している状態はストレスの占有時間が長くなる

(正解不正解にこだわらず、いい塩梅を探す、そしてそれは常に変化する

★我慢でなく忍辱(にんにく)をすべし

我慢とは自分を変えず、相手の意も聞かない状態

忍辱とは仏教用語

https://osyaka-sama.com/ninniku-to-gaman/

争いの心から離れられないのが我慢

心の平安を目指すのが忍辱

(異物を受け入れて同化するのが生きること、栄養代謝と同様)

 

 

こんなことが答えへのヒントになるかと思います。

(ヒントになればいいな)

 

感想いただきありがとうございました。

感想いただけたからこそ

それを受けて言葉を返すことができます。

会話(循環)を起こすことができます

この

循環としての会話が肝心!と学びました。

なぜか「会話が続かない人」の意外な共通点 | おもろい話し方 ...

出来れば3人で

出来なければ3人をイメージして・・・

 

東洋医学は易学(やさしくなる学問)からきています。

特別なものでなく

難解なものでもなく

日常生活で大いに生かせるものなのです!

一緒に役立たせていきましょう!!

 

会話のゲーム感

週末

「聞いてもらいたいことがあって」

という友人と会って話をした。

ご主人が仕事中に怪我をされたそうで、それについてのことだった。

彼女が話す

私が聞く

私が話す

彼女が聞く

会話が続く・・・・・・

 

彼女の話を聞くと

自分の過去の経験が蘇ってきて

それが次の私の言葉になっていく

あの時の思い、考えていたこと

それは

❛今❜の私に思いだすことの出来るもので

違うときに問われたら

また違う言葉になるのかもしれない

違う人と話したら

全然違う言葉になったと思う。

 

自分の頭から

その時、その場に応じて取捨選択した単語が生まれてくる

それが

彼女に通じるだろうと予測して、

スピードと音量を調節しつつ

話す。

 

なんだか

私が聞いてもらっているような気がするくらい

彼女の前で楽に言葉が出てきた。

流暢に話せたのではなく

流れるように言葉がでてきた。

彼女が聞き上手だからなのか

彼女が必要としていたからなのか

まったくの偶然か。

 

それにしても

会話中のその言葉って

その時だけ浮かぶもの。

偶然にも放たれるもの。

想定不能のキャッチボール

それが

会話。

そんなふうに客観視しながらの時間だったなあ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

週末に読了した本

未来の政治への提言を

それも超大胆な提言をしてます

でも

根拠をしっかりふまえて言い放ってます

も一度言いますが

大胆です!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日、

家から散歩スタート

1時間で帰る予定で出かけて


一時間かけてここまで来てしまった

弥勒山

山頂からの景色

御嶽山

急いで帰宅!

2時間超の散歩となりました( ´艸`)

 

 

東洋医学的に歩いてみたら・・・

今日も川をまたぎました

近くの土岐川です

恵那山もよく見えた

梅も満開

歩きながら

東洋医学的に歩くってどういうことかな~

と考えました。

東洋医学の理解度は

の理解で決まる

ので

陰と陽の太極を考えました。

歩きながらです。

足の裏の感覚に注目するのは陰だナとか

見える景色や

聞こえてくる音は陽で

それを

“入力される情報”として受けるのは自分(陰)だナとか

後ろ歩きして背中(陰)が前面(陽)より先に前進するようにしてみたり

色々、、、、。

 

そして

ふと思いました。

そうだ

過去と未来はどうだろう?

 

とらえやすいものは陽

とらえにくいものは陰なので

過去が陽で未来が陰

陽からしか陰は想像できないので

過去をみることで未来の予想ができます。

 

じゃ

陰と陽どちらにも振れていないのは??

 

それは

たった今

過去の最前線であり

未来の出発点でもある

それが

たった今

陽極まれば陰となる

陰極まれば陽となる

そんなまさしく極めつけ

両極のその境目こそ

たった今

MDAwMDAzODAwMA_MC4xMjQyMTkwMCA ...

今、何を感じ、

今、どうあるのか

いつもそこに答えを求めていけばイイ

 

今日も

身体に教わりました!

 

身体は

痛みや違和感、こわばり、引きつりなどでも

サインを出します

何かを教えてくれるのです

痛みのある部分が元凶ではなく

外因、内因、不内外陰を考えていくのが

東洋医学的な考えです

特に

心身のストレスや外圧(天気)に問題をみていきます。

身体は、欠けることなく既に完璧に出来上がっています

誰が作ったんだろう??

作者を知りたくなるような完成度です。

だから

サインが来たら

それは

大事なチャンスでもある!

 

今日、午後のレッスンに来てくださった方とそんな話が出来ました!

 

 

 

京都での学び

京都の朝。

予定より早い時間に着いたので

京都駅から京都市役所そばの研修会場まで徒歩で向かいました。

鴨川

今日はどんよりしてます。

楽しみにしていた東洋医学の学び

9時半から6時前まで

頭にどっぷり叩き込みました~

言いたいところなのですが

スタートから濃すぎる内容で

交感神経が興奮しっぱなし(笑)

先生の爆走についていききれなくて所々息切れ(´;ω;`)

4時半以降は

頭の限界を終えてる感じでした

帰宅して

理解のポイントを4つ書き出しました

これは自分の覚書ですので解読不能と思います。

この学問に触れることができてよかった。

東洋の学問は

(他者を扱うのでなく)「自分自身」に向けたものだから。

幸せとは

好きなことを増やしたり、友人を増やしたり、楽しいことをする

のではなく

ストレスに占有されてる時間を減らす

こと。

そのための秘訣が陰陽五行に含まれている

と考えるのです。

 

今日、

もやもやッとしたことのひとつに

扁桃体という脳の情動と関係する部位にとって

自分と違う価値観は負のストレスとなり

自分と同じ価値観は味方ではあるけどこれは正のストレスになる

つまり

「嫌い」もストレス 

「好き」もストレス

ってこと。

好きなことばかりをするとか

好きな人とだけ付き合う

ということは

それ以外を受け付けにくくする、他の価値観をシャットダウンする

という意味で自分でストレッサーを増やすことになるんですね。

そんなストレスに占有されすぎず

ストレスがあっても

そこに対する恐怖が薄まっていけばイイ

それは

ストレスから眼をそむけることではなく

自分の価値観を広げていくこと

会話をすること

なのですが

ここでのポイントが

身体の使い方なのです。

心の在り方は

身体の在り方

その逆も真なりです

 

来月、再来月と学びは続きます

今日は

ここまでのまとめです! ってそれも道半ばですが、、、

 

ヨガと年齢

“年齢を考える”

数日前、誕生日を迎えた時に

年齢の受け止め方

みたいなことをうんぬん考え、、、

まあ

いつも考えているわけではないのですが節目なので、です。

今週は

皆さんの想いも聞いています。

今日も色々なお話を聞くことが出来ました。

中でも

ヨガの事を〝年齢考〟に入れてくださったがいたので

紹介します。

前列のTさん

高齢のお母様のお世話をしつつ、遠方の家族の手助けにも奔走されています。

「ヨガをすることが自分の体力のバロメーターになっています、今の体力をできるだけ維持していきたい」

とおっしゃってました。

その後ろのKさん

「ヨガをすることで数年前のより若かった時よりも体の状態がいいです。

バランスが良くなったと感じます」

って。

ヨガをすることで身体年齢(感)は変化するかもしれませんね!

嬉しかったです。

 

御嵩の教室では

「私、70代までお化粧しなかったんですよ、でも孫におばあちゃん綺麗なほうがいいよって言われてお化粧するようになったんです」

と、Hさん。

中2のお孫さんは韓国コスメを推してくれるそうで

毎週ご自身でメイクアップして美しい顔で来てくださってます。

そんなきっかけがあったとは!!

おしゃれも若々しさの素ですね。

お隣のOさんは

「ヨガと畑仕事を始めてから8キロ痩せました」

との事。

去年より身体がより動くようになったのが見ていてよくわかります!

以上

報告でした~。

 

おまけ

今日も広見神社へ

先週同様

階段上り下り

可児市の図書館で予約の本を受け取ってから

多治見の東町に行く都合があたので

今日はそこの公園でランチ休憩しました

夕方は

義母のお遣いのために勝川まで往復しました🚙

 

明日は京都で~す!

今日のこと

・・・・午前中・・・・・

一年に一度の検診に行きました。

30分くらいで終了するかな、なんてタカをくくっていたら

2時間もかかってしまった。。。

採決の前に血圧と脈を測ったら

“高度な徐脈”

と診断されたのです。

去年もそうだったんだけど

さらなる徐脈になっていたッ

改めて循環器科にかかるのも面倒な気がして

進められる検査をしてみることにした。

短時間の簡単な心電図とって、心臓のレントゲン撮って

おまけに

24時間心電図もとることに!

なので今、私の胸部には計測装置がついてます。

「いつものように生活して、いつものように運動してください」

といわれました。

けど

明日も雨天でいつものようには動けそうもないので

今日は家でタバタ式トレーニングで有酸素運動しました。

久しぶりにしたら中々快適だったので

夜のレッスンでも行って

皆さんに付き合っていただきました。

明日もお願いします(^^)/~~~

虚脈の原因は検査しても9割はわからないそうです(´;ω;`)

 

・・・・午後・・・・・

レッスンの時にHさんが

「骨盤底筋群を使う動きをしたら便秘が解消しました」

と教えてくださったので

それをもとに皆さんと一緒に行ってみました。

皆さんもそんな例があったら教えてください!

全員でシェアしていきましょう

 

・・・・夕方・・・・・・

今日はこの本の続き読んでまたまたうなり声上げちゃいました。

観光がもたらす人類への恩恵がある

観光を哲学するってこういうことなのか!

 

今回読んだページは

ドフトエフスキーの著作からその思想を分析して

観光客に結び付ける

と、いう内容。

ドフトエフスキーの作品、少しでも読んでおいてよかった。

その日本語についていけたから。

東さんの知恵が稀有なものだと感じられたから。

こんな言葉があった!

子として死ぬだけでなく親としても生きろ。

多くの文章を積み上げて

最後に

この言葉に帰着するんだ~

と、感心。

 

・・・夜・・・・

夜、遠方のヨガの仲間とズームでダウンドックのポーズの研究会しました。

ポイントは

「足の裏」

まだまだ研究は続きます~

 

・・・今日、何度も玄関を通過してます・・・・

ここ数日の温かさですっかり開花!

香りがイイんです

 

誕生日に思うこと

今日2月19日は

私の誕生日でした!

54歳になりました!!

そんな節目の今日は

「年齢を考えた日」でもありました。

自分の頭の整理がてらここに留めておきます📝

①年齢は覚悟なんだ

年齢って社会性の中で強く意識されるものですよね。

社会の中で、市民の分類&管理のために記号として必要なものです。

選挙権とか年金受給に関わることとか色々。

そして

(社会の)誰かと比べることで年齢を意識します。

実年齢より若く見えるね、というのも比べる対象があるからです。

年齢って社会の誰かに示す名刺みたいなもの、肩書きみたいなもの、頭で考察するもの、

そして

社会に対峙するときの〝覚悟〟だと思ったんです。

一方

身体は社会性に支配されているわけではない。だから同じ年齢同士でも身体状態は千差万別です。

それは〝覚悟〟すべきものというより、“ゆだねる”べきもの

「まだまだ行けると思っていたけど疲れて断念した」

「ちょっとのことで転倒してしまった」

身体が教えてくれるサインにはまずは抗わず、耳を傾けていけばイイと思うのです。

②年齢を重ねられたことに感謝できるか、私?

感謝の反対は執着だよなあ~若さへの。

③どう過ごすかで差が出るんだ!

54歳!早っ!!って思うのですが

それって

もうこんな時間!

とか

もう一年たっちゃった!

とかと同じ感覚だと思ったのです

どう過ごすかで一日の印象が変わるのと同じ。

どんな日常を送っているか、そこに【知足】があるのかそれとも【不足】を思うのか

どうなんだい、私は!?

④新たな思考ができるチャンスが嬉しい!

今日も東浩紀のこの本に没頭しちゃいました。

観光客の哲学 増補版 (ゲンロン叢書)|white-wings2

今、読むから納得できる

こういうことがあると年齢上げてきてよかったなあ、、、と思える

こじつけか(笑)

本だけでなく人との会話とか出会いもチャンスですよね

 

以上

今日考えた〝年齢考〟でした~

 

おまけ

誕生日な私の今日の食事

3食とも独りぼっち(´;ω;`)

全然誕生日っぽく無いのが予想できたので

朝、ロールケーキを焼いて昼食後にいただき!

残りはプレゼントにしました。

残った生クリームは

アイスクリームに変身

卵黄のみを使ったので

お昼は白身&納豆なのでした~

 

おしまい

 

雨のスキー⛷️は❌だあ

週末は

気温が高く、晴れるところが多い

との天気予報。

目指す岐阜北部のスキー場は曇り予報☁️

曇りなら行くでしょ!

ひとり出発。

事故渋滞で40分のロス😭

気を取り直してゴンドラ🚟で上がるも

山頂付近はガスがかかって景色無し😭

さらに

雪面がよく見えない😭

ゲレンデの下の方は視界も広がるのだけど

それでも粘って滑った。

先回でわかった自分の課題を改めてたくて。

でもね

リフトに乗ると後半半分は雨に当たるようになって来て☔️

雪ならまだしも

雨は萎える⤵️

ウエアーも濡れ濡れ

ゴーグルも水滴だらけ💧

コレは

ひとりぼっちじゃなくても辛いわ

リフトでなく

ゴンドラだけを使おうとすると

込み込みの緩斜面を通過しなくちゃならないし、、、

仕方ない

今日は

撤退‼️

午前中で切り上げました。

ゲレンデで写真撮る気しなくて

駐車場🅿️から

“雨のスキー⛷️は❌だあ” の続きを読む

訂正力は身体で培う

可児のレッスンのあと

久しぶりに広見の神社の横の公園を散歩しました。

階段を行ったり来たり。

くだって

のぼる

何度か往復しているときに考えていたのは

「訂正する力」の事。

作為が自然になる

って

身体を使って理解するのが手っ取り早いなアと思ったんです

最初は

歩きたいよりも「歩かなくちゃ」が体を動かす

でも

いつの間にか

(もっと)「歩きたい!!」に変わる。

自分の意志でなく、体の内部の働きで

自然にそう変わる。

それから

ヨガをした後なので

身体の使い方も訂正し続けようとできる

レッスンで

テニスボールで足の指、足のアーチにあたるところののマッピングをしていたので

そこに意識を向けて歩こうとする

一歩一歩、作為が先行する。

意図して観ていく、を繰り返せば

無意識にも行えるようになるはず。

それが、

歩き方の訂正にもなるな、と思ったんです。

 

身体の訂正、動きの訂正

身体が許す限り行っていけばいい

可能な限り継続できればいい

これはレッスンでいつもやっていることでもあります。

 

そうだそうだ

身体で納得しながら

20往復もしちゃいました(笑)

小雨が気にならないほど快適でした!

 

その後

可児の図書館に行ったら

東さんの本が何冊もあってびっくり!!

3冊借りて

一冊予約しました

多治見の図書館には1冊のみだったのでついつい、、、

3週間で読めるかなあ~

 

おまけ

昨晩

Eテレの料理番組でやっていたのを今朝再現しました

ネギ塩だれで作るささみの一品

自分アレンジ満載(ー_ー)!!

料理力

常に

訂正中でーーーーす!

訂正は前向きにしていこう!

この本を読み終えました。

東さん、YouTubeでの話も面白いけど

著作もとても面白い!

東さんは哲学の専門家だけど

それにとどまらない知の宝庫みたいな人に思えます。

ウィトゲンシュタインとか哲学者や外国の思想家の引用だけでなくて、歴史上の人物、福沢諭吉とかルソーとか、作家とかがどんどん飛び出してきます。

明治維新から今の日本の政治問題にも介入します。

うま~くうま~くそしてわかりやすく引用して本題に結びつけています。

本題とは

「(過去を)“訂正する力”を持つことが大事だよね、私たち一人一人も、政治家も、社会全体も。

それが

私たちの未来を変えていくよね」

と、いうこと。

まずは「訂正する力の」哲学的な本質って何かを教えてくれます。

訂正なんてしょっちゅうしている事なんだけど

それってどういう力なのかを改めて考えさせられます。

まずは

訂正って人間社会の本質で

だからこそ訂正は終わらないってこと。

たとえば

誰かと対話するときに、相手に伝わるように言葉を言い換えるのも訂正の力。

対話は訂正の連続なのだから決して終わることがないって。

自分の思考をその時の状況に対応させて変化させるのも訂正の力。

だから

生きていく限り続くものですよね、確かに。

そして

訂正は過去をきちんととらえることで出来る。

辛い出来事を違うストーリーに変化させる力を私たちは持っている。

今までこう思っていたけど

それって

「実は・・・・・だった」

こういう訂正が出来る自由さ。

それが人間の本質。

稲垣さんてこういう人だと思っていたのに

実は・・・・なんだね

って言われたい。

そして

それを再び、何度も更新していきたい。

そして

自分の周囲にもそういう人たちを発見していきたい。

その方がワクワクします!

東さんは

人間は結局のところ誰のことも理解できず、誰にも理解されずに孤独に死ぬしかない。できるのは「理解の訂正」だけ。

「実はこういう人だったのか」という気づきを連続させるだけ。

と、いいます。

そういう前提は

なんだかホッとするものです。

訂正する力って自分を更新する力でもあるんだ!と思えて。

 

最後のほうでは

なんと

鎌倉仏教を代表する親鸞と日蓮を対比させているんです!

端折りますが

自然(すべて成り行きに任せる)

作為(頑張って国をなんとかするぞ)

の対比。

両極のどちらかに立つのではなく

どちらにつかないのでもなく

作為があるのに自然のままだと思わせる力こそが必要なんだと。

 

あれ?

いつの間にかそうなっている

ってのを生み出す力と考えます。

たとえば

遊びが仕事になる力

仕事が暮らしになる力

過去を変えたのに変えたと思わせない力

訂正する力は

そこにも宿っているというのです~

こんなふうにできたら最高です。

 

ご安心を!!

私たちにある力です!!