オンライン体操教室のご案内

来月から

新たなオンラインのレッスンが始まります。

その名は

「身体感覚を取り戻すオンライン体操教室」

このレッスンは3人のコラボレーションで行います

私が深く共感し、二人の先生に師事して3年ほど学んできたアレクサンダーテクニーク

このアレクサンダーテクニークの教師である土橋さん(男性37歳!)と

やはり独自の身体能力向上を目指すフェルデンクライスメゾット

私もこの3年で複数回レッスンを受講しましたがフェルデンクライスは微細な動きをしながら体を調整していく技法です

フェルデンクライスの先生は縄田さん(女性)

この強力で尊敬すべきお二人と3人で行います。

私はヨガ担当!

私のヨガは

これまで学んできたAヨガにこれら二つの要素が多分に入ってます。

それぞれの専門は異なりますが

抱く思いが共通しています

それは

自分で自分の心身の面倒がみられるようになること

これって

先日のブログにもかいた

唯我独尊

にもつながることだと思うのです

皆で

仏陀になりましょう(笑)

Jaipurcrafts, Multicolor, Budda Statues, Rs 10000 /unit Royal ...

今回の体操教室は

土橋先生の号令に二人が便乗しました

このタッグは非常にレアです!

オンラインだからこそ京都の土橋先生と山口の縄田先生のレッスンが自宅で受講できます

レッスンは日にちによって違う先生のレッスンを受講できます。

無料お試し期間がありますのでこの機会に皆さんも是非体験していただきたいです!

詳しいご案内は明後日になります

土橋先生の思いがこもったメールの文面をここにシェアしますね!!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こんにちは、土橋です。

身体の探求を始めて約20年。

一貫して探求してきたことは、自分自身で身体を整えていくこと。身体の力を活かしていく方法でした。

だから身体に関していくらかは、世の中の人に役立つことをお伝えできるのではないかと思っています。

身体の使い方を探求してきて思うことは、ほんの少しだけ身体に注意を向けると言うことをすれば、多くの身体の痛みや不調というのは自分自身で良くしていけるということです。

今は、パソコンやスマホなど目から入ってくる情報が多く、思考優位で、身体で感じることが少ない生活スタイルになっています。

多くの人が身体のことが置いてけぼりになっているのではないでしょうか?

常に頭で考えることを優先して身体の声を無視しつづけていれば、いずれ身体は悲鳴をあげるようになります。

身体感覚に対して無意識でいることが不調や痛みの原因になるのです。

そうならない為には、身体の声に耳を傾けて、身体で感じる力を取り戻すことです。

このことを多くの人に伝えたい、世に広めていきたいと思っています。

同じ考えを持つ身体のプロ3人で、

「身体感覚を取り戻すオンライン体操教室」を2021年3月からスタートします。

講師は、アレクサンダーテクニーク教師である僕土橋、フェルデンクライス講師・縄田理恵子、ヨガ講師・稲垣千枝子の3人です。

このオンライン体操教室は、「身体を激しく動かして引き締まった理想の体型を目指す」といったものではありません。ただ機械的に体操していれば身体が変わっていくというものでもありません。

自分の身体の動きや状態を観察して、身体と対話していくことで、自分で体の面倒をみられるようになる体操教室です。

詳細は、2月27日(土)7時~ に発表し、5日間限定で参加者を募集します。

もう少しお待ちください。

https://abfll.biz/brd/88s/alexander-kyoto/mail_cancel.php?cd=02erRc8DQBZb2b

 

押し花アートを見にいきました

いつもレッスンに来てくださっているKさんにお聞きして

押し花アートの作品展に行ってきました

今回は

多治見の織部ストリートの一角で。

https://www.oribe-street.com/2020/12/21/%E6%98%A5%E3%81%AE%E3%81%AA%E3%81%A7%E3%81%97%E3%81%93%E3%81%BE%E3%81%A4%E3%82%8A-2021%E5%B9%B42-17%E6%B0%B4-3-3%E6%B0%B4/

織部ストリートにこんな素敵な建物があったなんて!

今回は作品の数が多く

建物から見える外観と作品が気持ちよくマッチしていました

Kさんの作品を探しながら作品を楽しみました・・・

Kさんの可愛らしい作品たちの中に

こんな素敵な一枚も

色合いが美しい~

他の方の作品にも関心しながら

そして

先生の丁寧な説明にうなずき

花たちとのいい時間でした

桜の花も様々な形で枠の中に収まっていました

春の花と出会えるのも、もうすぐ。。。

 

 

合掌の意味

 

今日、このような質問をいただきました

今さらながら、の質問になりますがお聞きしてももいいですか?
ヨガの始まりと終わりに合掌をしますが、どんな意味があるのでしょうか?
合掌することは日常よくありますが、お祈りや感謝とはたぶん違いますよね?
どんなことを思って合掌するのかな?と思いました。

この答えは

こちらのページの解説が適当かと思います

https://manabiba.tv/column/yoga/269/

合掌するって

神様(右手)と私(左手)を合一する、調和する

そんな意味があるようです

合掌 一拝 | Yell World|エールワールド

 

この手の形(印)は呼吸法の練習をするときにいくつかとって行ったことがあります。

オッケーのように親指と人差し指の先端を合わせる印もあります

ヨガ哲学 - 日野駅徒歩2分癒しのアジアンヒーリングサロン

 

いずれの形も

梵我一如(神さまと自分は同一である)を表すんですね。

手と手を合わせることで左右の手のひらからのエネルギーの行き来が感じられて

気持ちが穏やかになります

インドから日本に入ってきた合掌という印

日本では

いただきますの時やごめんね、許してね、とか

ありがとう!なんかの時にも思わず手を合わせて感謝の意を示すけど

これは日本独特のようです

合掌 – ほっこりデザイン

インドからの伝統としては

大いなるものへの礼拝、自分をそれに捧げ、そしてそれと自分を合流、調和させる

という要素が強いです。

手で作る印だけでなく

ヨガのポーズは

我を滅して肉体と自然を同じものとする、同じものになっていくという意味があります

だから

山のポーズ、木のポーズなんてのがあったり

ヨガポーズ「山のポーズ(タダーサナ)」の効果とやり方 | YOGA HACK ...

動物の名が付いていたりします

下を向いた犬のポーズ - lemoutonの日記

太陽礼拝、月礼拝、お祈りのポーズのように

礼拝の意味を持つものもあります

伝統的なヨガのポーズは動く瞑想、動く礼拝でもあります

中でも

合掌=梵我一如

それは

永遠の至福に到達する

合掌 動物||ブログ|KYOTO GENKI PRESS(キョウトゲンキプレス)

そんなヴェーダの願望が込められています

福井へ

福井に行ってきました

娘の新天地となったので

春からの住まい探しをしに

ここもイイね~

先週は積雪が多かったようで

こんな景色が広がっていました

クマが出るから

暗くなったら一人で自転車は乗らない方がイイ

そんなところです。。。

 

初日で大体の目星がついたので

今日は

スキージャム勝山へ行ってきました

福井では冬の快晴は貴重だそうです

春スキーのような温かさ

汗だくで滑りました

雪もちょっと重かったですっ

 

 

 

友人のメールから考えた

 

昨日の夜、友人からユーチューブを見た友人からこんな内容のメールをもらいました


若い頃の千枝子の苦悩を知って、友達として何も出来なかった事を謝りたいと思いました。

私は大人になって、自分の思うようにいかない時期が色々続いてから、やはり幸せだと感じた事があまりなかったかなぁ。自分に自信がない事もあってか、気持ちに波があって、今でもどう生きていったらいいか分からないね。
ただ、やりたい事、好きな事、やらねばならぬ事、決心する事を行い、悶々として暮らしていくしかないですかね。

以後略

小学校からの同級生の彼女が

25年前の私の苦悩の時期のことをわずらって、謝りたい気持ちになった

私は

彼女にそのような気持ちにさせてしまったことを謝りたいと思いました。

当時の私に

どんな言葉をかけたら元気回復⤴となったのだろう

私にはそれが浮かびません

たぶん

誰も私のことを助けてくれないし、助けられないと思っていたと思うのです

彼女は、今の私がまぶしく見えると言ってくれるけど、当時の私は同級生やバリバリ働いている友人たちが別世界の人になってしまったかのようでした

自分の目で見るこの世の中を

自分の認識という目で見るこの世界を

他の誰かの力で変えることは出来ない

世の中矛盾だらけ…気づいた人に奇跡が起きだすPoint3

 

他人の寂しさや苦悩から真に救うことは出来ないのだと思うのです

ヨガをしているから

長く続けているからと言って体の不調がないわけではない

ずっと、そしていつでも心穏やかでいられるわけでもない

過去

息子が後遺症が残るほどの大けがをしたとき

どんなに自分がなり変わりたいと思ったか

気の毒過ぎて息が詰まりそうでした

でもそれも

自分の目で見る世界なんです

気の毒に思うことすら自分の色眼鏡なんです

障害のある人が不幸なのか

子供のない人は?片親の人は?

そうしてそうでない人が幸せなのか

共通認識はなくて、正しさもなくて

生きてきた環境によって作られたメガネがあるのみです

色眼鏡」の使い方や意味、例文や類義語を徹底解説! | 「言葉の手帳 ...

 

今も

親族の問題で話し合いがもたれるほどの状況です

何とかしたいという気持ちはあっても

人の認識を変えるということは困難です

そんなもどかしさ、歯がゆさを繰り返し繰り返し感じていくことは今後もずっとあると思います。

ただ

心はいつも安定したがっている

神秘的な力ではなく

体を丁寧に観て

体の中立を保ち直しながら⇒これもすぐ不安定になるので

それを向かい入れる。

繰り返し、繰り返し。

 

実は私は

相変わらず心を馬車馬のように走らせています

そういう馬車を持っています(笑)

今は

幸せの境地に向かおうとしていません

ただ

坐法を安定させるためのより有効な方法がないかと

その方向に向かって

行きつ戻りつしています

あともう一つ!

自分の安定は

自分の居る場の安定になります

皆さんは

誰とのどのような場で

そうしたいですか??

広くなくてOK。自分にフィットする《狭い部屋暮らし》のすすめ | キナリノ

あともう一つ

行為は義務でもある

それをこなすのもヨーガなんです。

悶々とばかりじゃなく

時には颯爽と

時には淡々と

色んな言葉がイイかもね!!

もう幸せを追わない

昨日のユーチューブでのライブトークで

「なぜヨガを始めたのか」

との質問を受けました。

ヨガを始めたのは偶然のきっかけです。

結婚して行った初めての土地で、しかも人生で一番の田舎!!

人脈は全くなく、友人もなく住み始めた場所で私は何とかそこに順応しようとしていました。

数年後

数少ない友人が誘ってくれたのがヨガの教室でした。

ママとお子様に嬉しい☆和室ヨガ教室 | 静岡市【ヨガ教室CARNA】縄巻 ...

さらに数年後

ヨガのことをもっと知りたい!と思ったのは

「自分が不幸だと思っていたから」

と、話しました。

ヨガの勉強はとっても面白く、

「ああ、こういう学びがあるんだ」と感動し、月に一度名古屋に通うのが楽しみでした。

内観を学んで自分の心根を客観視したり

心を穏やかにするために肉体を客観視する

人間五蔵説・・・簡単に・・・。: ヨーガな生活

すべて納得のいくものでした。

理論はわかる

自分の理知の判断がまずいからそれを修正すればいい

自分の執着を無くしていけばいい

それもわかる

わかるけど

わかると出来るは違うんです!

欲を無くすことは出来ないから

(貪欲な)「私」はいつまでたっても元気にそこにいて、それが死滅するってことを実践したり体感を持てないんですよね。

自分が幸せでないと感じていた私は

それまでも幸せを目指して色々な場を求めたり、人を頼ろうとしたりしてきました

幸せになりたいなりたあああああああい

そう思い続けていた

なぜか?

それは

自分は今、幸せでないから

夢 追いかけの画像63点|完全無料画像検索のプリ画像💓byGMO

それが前提にいつもあったということなんですよね

求めていたってことは

自分が幸せでないといつも認めていたということになる

それが分かったのはいつだったんだろう

その後

ヴェーダの先生のもとで勉強し始めて

また違った人間観、世界観、神様の存在を知り始めたことも大きかったです

https://biz.trans-suite.jp/15356

そこでは

「心を何とかしようとしない(操作できるものではないから)」

「私を含めすべてはブラフマンに拠っている(この世は幻に過ぎずブラフマンしか真に存在しない)」

「私(アートマン)は大いなる存在(ブラフマン)と一体化しているという状態が安心である」

こんなことを聖典を紐解きながら学びました

つまり

心は変わるものである⇒安心はない

変わらないのは

普遍に在るアートマン(神様)のみである⇒安心がある

だから

そこを思いなさいって

Har Har mahadev | シヴァ神, シバ神, インド

これはインドの神様シヴァ神

神の象徴です

象徴としての神様は他にも色々います

聖典も神を現す音なんだそうです

 

まあそんなことを教えてもらいながら

少しずつ心のおさまりどころが出来たのだと思います

・・・・・・・・・・・・・・・

今朝、ユーチューブを見てくれた友人からメールがありました。

彼女はヨーガ療法を3年間一緒に学んだ友人ですが

「幸せになってないって!共感です」

とありました。

私は返信で

もう幸せになろうとは思わなくて、今日から新しい歳なので不幸を笑い飛ばせる人間になろうと思います(笑)

と送りました

もはや自分が幸せだと思う必要もないわけです

たとえ幸せだとしたら、それを逃すまいと執着も起こるでしょう

心の働きとか性質って自分でなんともならないのだから

神様がそれを与えてくれたものなので自分で創造していないし

あるいは環境によって作られたものだからなおのこと抗えない。

だったら

不幸と感じやすい心の働きを抱えたまま安心する

いうことだっていいのだと思います

そこまで昨日は言えませんでしたがっ

自分でどうこうせず神様に委ねられたら

そこに安心はあります

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そう

今日から新しい年齢になりました

予想通り

いつもの一日

いつも通り歩く道

雪をうっすら讃えた恵那山が見えました。

夕食もいつものように、ワインは今日のみ!

スポンジだけ焼いてみました

 

ライブトーク遅れてすみません

本日、アレクサンダーテクニークのの先生とユーチューブでライブトークしました。

ユーチューブ上では初めての試みだったそうで接続に戸惑い、再度新たにURLをとるまで時間がかかってしまいましたそれを皆さんに再度送信してからのスタートとなりました開始予定より45分遅れッ

待ってくださった皆さん、聞き逃すことになってしまった皆さん、申し訳ありませんでした

送信したURLをクリックしてくだされば録画を見ることができますのでお時間あるときに開いてみてください

今回のユーチューブでのトークは来月から始まるオンラインレッスンの紹介を兼ねたものです。

これは今日の対談相手でオンライン体操教室提案者のアレクサンダーテクニークの土橋先生と島根のフェルデンクライスの縄田先生と私の3人の合同レッスンです

ちなみにアレクサンダーの先生のホームページはこちらです

https://alex-kyoto.com/

土橋先生のレッスンとその人柄に興味を持った私は、先生が開催された指導者コースまで受講しました。

おかげさまでよく京都に通いました!!

アレクサンダーの先生は、ほんわりしていていわゆる先生らしくなく包み込むような優しさがあるんですよね(主観ですが)

その辺はボディワーカーの面々とは違うところかな

土橋先生

接続再設定に30分ほど苦戦していましたが、焦った感じが見受けられず淡々と試行錯誤していました(いいのか悪いのか?)

体の余分な緊張をとって楽に動く

このことは先生を通じて何度も実感したことです

先生、これができてる、という意味では尊敬です。

ライブトークは私も初めての試みでした

もうちょっとああいえばこういえば

と色々浮かびますが

また教室でお伝えしますね~

感想を送ってくださった皆さんありがとうございました

 

ヨガの目的を改めて言葉にすると

木曜に

フェイスブック上でトークライブをします

それにあたって

「何でヨガを始めたのか」「ヨガする目的は何なのか」

改めて再考しようと思いました

いつも考えていることではあるけれど、新しく“今”言葉に置き換えておこうと思いました。

まず

ヨガを始めたのは、新しい環境に自分を起きたかったからです。

今から20年ほど前

私は

未就園の子を連れて、自分が何か出来ることを求めていました。

何でもよかったのかもしれません

その時に友人に誘われて行ったところがヨガの教室だったのです。

その後転居して別の教室に通うようになり、先生に誘われてヨガの講座を受けに行くことになりました

数人の生徒さんたちと一緒に。その時はヨガの勉強って面白そうだな~という感じでした。

何気なく始めたそこでの学びは

結局3年続きます。

講座は

ヨガのルーツやヨガって何なのか、ヨガをすることで何がどのように変化するのか

という座学が中心でした

無料イラスト セミナー 会議 講義 ピクトグラム

 

あと毎回、内観タイムがありました

例えば

「家族にしてもらったこと、してあげられたこと」を考えなさい

とか

「過去に、これ以上ないというくらい努力出来た経験は何だったか」

「身、口、意(つまり態度や言葉や気持ち)にわたって他人の何かを盗んだ、ということがあるか」

などなど色んなテーマを

15分くらい静かに考えるのです

そしてその後、まずは先生の言語化を聞き⇒ここで先生が何を話すか聞くのも楽しみでした

さらに二人一組ペアになってそれを言語化するのです

対話のイラスト素材 [19975450] - PIXTA

ここでよくよくその当時の苦境を語っていたように思います

そして

毎回課題が出てそこにも内観につながるような出題がいくつか出たのです

このレポートを描く作業

これも内観作業に近く、書くことでその時の気持ちの整理になりました。

宿題は嫌いだけど課題は苦にならなかった!

月に一度のこの講座は

本当に面白く、楽しいものでした。

こんな学びがあるのかと。資格や目的達成のためでなく、ただ純粋に学びそのものが貴重でした。

私が学んでいた場です!

https://www.yoganiketan.jp/yicytic2016.html

 

ヨガの始まりは5000年前のインダス文明の発祥の頃にさかのぼり

今から4500年前に栄えたモヘンジョダロという都市国家の遺跡から瞑想して座るヨガ行者のハンコが見つかっています

そして2000年前にヨーガ・スートラというヨガの教科書みたいな経典が書かれたのです

 

この教科書の冒頭、第1章第2節にはこうあります

ヨーガとは心の働きを死滅することである

この言葉は、強烈パンチでした!

そして

何をどうすればそれが達成できるのか

そして

それ、出来たらどうなるのか

注意点は何なのか

等が教科書には指示されているのでした

そこで大切にしていくことは

自己の客観視

8つの部門を観ていくのです

やってはいけないことをしてない?

するべきことは何かわかっている?出来てる?

というように自分の行為や態度や、気持ちの向け方を見直すのです

そして

肉体の客観視もしていきます

自分の肉体の感覚を観察

自分の呼吸を観察

そして

自分の意志、知性、記憶の客観視をしていく

これがラージャ・ヨーガ(ヨーガの王道)です

そうやってあらゆるレベルで自分を観察する

観察するということは

見ているものと見られているものを分けるということです

肉体は見られているもの、それを「私」がみている

呼吸を「私」がみる

そして

自分の認識、感情を「私」が観るというように

体も心も“見られているもの”として、それらを見ている「私」と分けるのです

認知を認知するということをメタ認知と言いますが、とにもかくにも分けて観察します。

内観はまさにこれメタ認知なんですね

当時学んだこれを読み直しました

 

ヨガは結ぶという意味がありますが

そうやって自分あ(私)が何に結びついているのか観察するのです

肉体に強く支配されているのか、お金なのか、家族なのか、物なのか

それとも

記憶なのか名誉なのか、幸福や健康という概念なのか

「私」が何と結び付いているか、

それは執着にもなりますが

何かと結ぶことは実は心の安定になるのです

船が港から離れていかないように、波があっても同じ場所に停泊できるように。

でも!!

実は「私」が結びつくこの世のどんなものも不変に安定した寄港地にはなりえないのです

唯一の例外を除いて。

それが何なのか

それは

無辺なるもの

との結び付きなのです

これと結び付くということは

もはや

心は死滅し、「私」が無くなっている状態

見るものと見られるものとの区別がなくなる境地

それが

サマーディー(三昧)

温泉三昧とかスキー三昧とかで使うざんまいの境地です

スートラにはこうあります

2章46節

坐法は安定して快適なものでなければならない

22章47節

弛緩に努め、無辺なるものに入定することで坐法は熟達する

2章48節

その時2極の対立物によって害されない

この3節もよく目にしました。

誰でも坐法は簡単にとれます

ただ

熟達した坐法がとれているか

安心して安全で、揺るぐことのない寄港地せ坐れているのか

そこが問題です!

熟達して坐る

私が学んできたこと、今後学び続けることはここを目指し、ここに集結するのかもしれません

 

Aヨガでは

動きを増やし、変化させることで自己の体の客観視をします

アレクサンダーテクニークでは反対に

今すでにしている動きを客観視することで無駄をやめて必要を選択します。

弛緩に努めるには動きの要素も必要ですので、これは私には体への双方からのアプローチとなっています

いずれの方法も

自分で動きを選択してその結果を観察するもの。

動きを変えて、観ての繰り返しです

こうやって

肉体を観ていくことは

心のはたらき方、認知を観ていくことにつながっていく

まさにヨガの一部門なのです!

安定した坐法

そこには二極(善悪とか幸不幸とか美醜とかの対極の概念)に害されることのないサマーディの境地があります

そんな風に坐りたい

坐ってみましょう

それが目的と言えます

 

 

 

zoom2つ

今日は

京都のアレクサンダーテクニークの先生と島根のフェルデンクライスの先生と共に

それぞれのレッスンのし合いっこをしました

朝、7時半から!!

フェルデンクライスは動きを強制したり調整したりすることなく

最小限の誘導によって動きます

自分のペースでスピードも大きさも変えていい。

正解や不正解はなく、動きを委ねられる感じです

そして

その動きの結果もあまり追求しません

変わりましたか?

変わらなくてもそれでいいのです・・・

って感じで。

大きな動きも激しい動きもなく

これだけでいいの?と思ってしまうくらいの物足りなさも感じることもあります

でも次第にその波に乗っていくようになり

終わってみると

「あれ?何か違うかもしれない」

やさしく知らないうちにそこに持っていかれる感じです。

アレクサンダーテクニークは

自身の軸や身体の支え方に注意を向けることで

体全体を使う動きに変わっていくので

体をより軽快に動かすことが出来ます

朝から嬉しくなるほど快調になりました!

このお二人と一緒に来月からズームでのレッスンを展開していきます

皆様にもまたお伝えしますね

その後はすぐに

理学療法士の先生によるズームセミナー

前月、参考になったので今回も参加しました。

今回は

膝関節と股関節が焦点でした。

よくある疾患と

それに対応した動き方を学びました

先生からはもちろん

同じzoomの参加者の先生たちの実践法も聞けたので

私も今までと違ったアプローチで試してみたい!ということが出てきました。

勉強になりました!

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おまけ

畑でブッロコリーが同じ株から再び収穫できました

この色が

蒸すと

キレイな緑色に!

 

おまけ2

今日は待望のスキー板を新調!!右側です

24時間乗っていても疲れない板なんだって!

早く乗りたい!!!!!

 

 

 

これも入力変化と言えます

久しぶりにお菓子を作りました

明日のバレンタインデーに備えて

甥っ子たちに

ラッピングして

お隣の坊やにもあげよう!

ああ

いい気分転換になりました!

明日からもまた動けそうです。

昨日の大きな動きは

最初のレッスンの場までの徒歩往復

またここで写真が撮れました!

一昨日の祭日は

木曽福島への一人スキー

再び(笑)

この日は御嶽がくっきりバッチリみえました

今シーズン6回目の木曽福島にして

やっと見れた御嶽山でした

 

小さく大きく自分の環境(入力)を変化させながら

向かうべきことにきちんと対応していけるようにしていきたい

もうすぐ齢が変わりますが

この齢はまた少し仕事の方向性も変わってきそうな感じがしています

どんな出力になっていくか楽しみです!