司馬遼太郎の本を読んで

この本

司馬遼太郎が歴史上の人物を主題にして書いたエッセイです

司馬遼太郎歴史のなかの邂逅〈1〉空海~斎藤道三 (中公文庫)

一つ一つは短めなので気軽には読めます

ただ

歴史に深く精通していて

文学の才能にも長けている筆者が書く文章には

ページ数以上の深みがあります

一行一行に唸る感じで読めるお得感(笑)

 

引用しちゃいますよ~

銭の効用を最も明快に把握した政治家として、日本史上、最初に平清盛がおり、次いで足利尊氏がいるということはゴシック活字で述べておきたいところである

これに比べると源頼朝などは別の条件の上に立った政治家で、土地支配の感覚はあっても貿易支配の感覚はなかった。

彼が教授であるとすれば、法学部教授であっても経済学部教授ではなく、この点彼が倒した平家政権の清盛は商人そのもののにおいがする

って

歴史上の人物の所業を大局的にしっかりわかっていて、その感覚を表したり

ゴシック体で述べたい、とか教授の比喩とかわかりやすい~

 

この地、美濃とゆかりある斎藤道三のことは

〝魔術師〟と呼んでる。

美濃にはぼろぼろの雑巾になれ果てたような足利秩序がなお生きている。

調律師のようにとぎすました耳と刃物のように切れる指先で美濃の人間軍の中に入りこみ、人間どもに様々な音を出させつつ音調を少しずつ変えてゆき、ついにまったく新しい音を出す楽器に変造してしまった。

その間、人を悦楽させ戦慄させ、犯し殺戮し、魅了させた。

それを後世のわれわれからみると、まるで魔術師のようにみえる。

調律師のたとえに道三が美しくはまってるう(⋈◍>◡<◍)。✧♡

 

義経のことは好きみたい。

義経は軍事的天才というたった一つの才能を持ったために有名になり、それがために劇的すぎるほどの生涯を送った。

才能というものは、その人を必ずしも幸福にするものではない。

しかし社会にとっては、幸福の要素になりうる。

仮に、義経のいない日本史を創造すると、色あせて見えるではないか。

前回の大河ドラマで義経役の菅田将暉の顔が浮かんでしょうがない私です(笑)

 

そして

この本の中で筆者が最大に賛辞していたのが

空海

まずはこの言葉

日本史上最大の秀才をあげよといえば、やはり空海であろう。

として

数々の彼の人間離れした頭脳明晰さを挙げてる

中国語の文才は唐朝第一流の文章家に匹敵するほどのもの

サンスクリット語の日本最初の習得者

などなど

そして

思想家として完璧だったと。

思想家としての空海は、天才とか何かというより、空海その人がすでに宇宙そのものであったということを思わざるをえない。

空海の生涯は、その卓越した論理的完璧さと同様、結晶体のようにむだがなく、端正でありすぎることに驚かさせる。

空海は62歳で入定(即身成仏)しますね

空海が自分自身を真言密教という宇宙体系の中に溶け込ませ、宇宙そのものにしてしまった人間として、

私自身の驚きを文学化する以外になかった。

司馬遼太郎には「空海の風景」という空海の生涯をおった著作があります。

彼が最大に評価する空海

そのさわりに触れた空海のページを何度か繰り返し読みました。

同じ人間なんだよな~($・・)/~~~

最後に空海が建立した東寺のことを書いた部分です

われわれは、京都の教王護国寺の仏たちを、ことさらにただの彫刻としてみてさえ、その造形の異様さに、人間というものはこれほどまで及ぶことができるものかと呆然とする思いがする。

しかもそれが単に放恣な造形的空想力でつくられたものでなく、その内面に緻密な思想があり、さらにその仏たちの思想群が、一つの原理へ帰納され、帰納されたものが同時に原理に発揚して、帰納と発揚が旋回しつついわゆるマンダラの世界を大構成しているということ

帰納と発揚が旋回って!?!?!?

そういう表現が出てくるものなんだなア

特別展「国宝 東寺ー空海と仏像曼荼羅」 | OBIKAKE(おびかけ)

頭の中が旋回しちゃう(笑)

ただ見るだけでも

そして

何度見ても

圧巻な東寺の仏像彫刻

東寺の歴史 | 新美術情報2017

 

来月その前に再び立てるかも!!

 

 

 

 

 

 

御嵩の皆さんと新年会

今日は

御嵩教室の方と食事会。

欠席の方もみえましたが

数年ぶりの新年会を行えました!

ヨガのレッスンでの身体の変化を聞けたり

お一人お一人の近況をじっくり聞けて

とてもありがたい時間でした。

2時間あっという間(笑)

どの方のお話も興味深かったのですが

Sさんは

家の中でも外でも自分の趣味を楽しめて

「今が一番幸せです」

とおっしゃっていて

その言葉が

なんだかとても印象に残りました

そして同時に

以前ブログにあげた

真木悠介の本の感想を思いだしました

以下その一部を修正して引用します(少し前にも引用したかもしれませんが再び)

 

人生ってはかないなあって思うのは

今をなおざりにしている証拠。

今、存在する意味は常にそのあとの時間のためにある、との思いは

未来を想定した地点から今を考えることになる。

未来に万全に備えるための今

その未来の

行きつく先は

「死」

であるから

存在の意味、生きる事がむなしいと思えるのは当然。

 

今、感じられない充足感を未来に得られるはずだと希求し続けたとしても

それはかなうことはない

行きつく先にも何もない、求めるものはそのさらに先に在り続けるのだから。

 

「若いっていいな」

との言葉に共感する時もある。

「前は幸せだった」

とか

逆に

「こんなに大変な思いをしてきた」

との言葉にうなずく時もある。

また

「この先きっといい未来が待っている」

と期待して努力できるのもいいなと思う。

でも

「今が幸せです」

との言葉に今日は最もグッときました!

そんな言葉が周囲に増えて行ったらいいなあ~!!

 

このポタージュを口にする

その瞬間にもそれはある(はず!?)

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私の食事近況

畑で

大根たちが

早く収穫してーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

と叫んでいます

しかも

大きな大きな大根たち。

お陰で私は

毎日大根を切っております。

昨日だけでこんな調子。

朝のみそ汁は毎日大根

浅漬けにも

甘酢漬けとたくあん

大根ステーキ

大根おろし

煮物もほぼ毎日

主食のようです(笑)

首と足裏のレッスン

先日のスキーの際

実は

スノボで滑っていた方と衝突したんです。

2回も。

2回目は板が2本とも外れる衝撃でした。

翌日、首に違和感が(´;ω;`)

なので翌日から

レッスンを通じて首の可動を増やすような動きをしました。

私事情でしたが皆さんの可動域も上がることを願って。

後頭部下の筋肉に触れることから始めました。

頭の中心を起点にすると楽に頭を動かせます。

ここです!

今日はすっかり復調しました!

それから

足の裏のアーチを意識して動く。

これも前週に引き続き行ってます。

昨日、

「足首が固いので何とかしたい」

という方がみえましたがそのような方にもいいかと思います。

さらに

足裏の使いかた、骨のマッピング、意識の持ち方、を変化させることも有効ですので

来週それも行っていきます。

 

さて

今日は快晴で暖かかったので

午後の養正でのレッスンの後に池田富士に登って来ました←この時間は滅多に行かないのですがッ

山に呼ばれてる気がして(笑)

 

池田神社付近に駐車して

廿原への道を行きます

池田富士は皆さんと散歩した道から見える山です

池田富士への看板

最初はこんな感じ

レッスンの後はサクサク歩けます!

山道に入って

山頂です

今日は山がキレイ!

右が恵那山

左の雪をかぶった山脈は中央アルプスです!

さらにその左に御嶽山が見えます

今日は白山まで見えました。

足裏への気遣いしながらテクテク下山。

1時間20分の快適散歩でした!

 

おまけ

昨日、小泉のレッスンに来てくださっている方が

「同じ教室の方に柚子をいただいたので、柚子ジャム作りました」

クラッカーに乗せて皆に持ってきてくださいました!

酸味と甘みとほんのりとした苦み

塩味のクラッカーと相性👍

ごちそうさまでした~

 

ちなみに柚子ジャムは種が決めてなんですって!

知らなかった~

初!スキー行けました

今シーズン初の

スキーに行ってきました!

今回は高鷲スノーパーク。

郡上市にあります。

高鷲インターから10分というアクセスの良さと

隣のスキー場(ダイナランド)にも隣接していてコースもバリエーションも多く

ゲレンデも広々。

ファミリー向けの工夫もされているし

ゴンドラがあって一気に山頂まで行ける。

人気のスキー場です。

そして

景色もいいんです

今日は見晴らしがよく

北アルプス・乗鞍・御嶽がきれいにきれいに見えました。

だからもう

リフトで上がるたびに

嬉しくて嬉しくて⤴

それに

昨日の積雪で雪質もバッチリ

圧雪してないところは

もふもふの雪

転んでもニコニコ(^.^)/~~~

そしてそして

今回は

息子夫婦と一緒

嬉しさ⤴⤴⤴

朝から

サンドイッチ作って臨みました

いつもの卵サンドと

始めて挑戦した

フルーツサンド

お昼の足しに(^^♪

 

さあて

今年は何回スキーに行けるかな???

前提条件をヨガで整えていきます

今日

御嵩の教室が始まる前と後に御嵩近辺をウォーキングしました

始まる前は

公民館からすぐそばの神社の階段を登ったり下りたり30分ほど

終了後は

御嵩城跡公園から御嵩の森を周回して1時間半ほど

歩きながら

昨日の夜のレッスンに来てくださった方の事を思い出していました

その方は

「レッスン中動くときに腹筋が無いな、と思った」

「誰かと会話をするとき、相手の話を聞こうとして自分が前傾姿勢になっているのを感じる」

と、言われました。

身体へ気づきがあったようです。

今日

私は歩きながらその言葉を思い出して

姿勢はとるものというより成っていくもの

姿勢は思いに左右されるもの

と思いました。

 

東洋医学でいうと

姿勢は結果

です

姿勢だけでなく今の身体の状態はすべて結果であって

結果があるということは

原因もあります。

仏教に基づく医学なので因果があると考えます。

原因には

外因(外部環境)と内因(感情)がありさらにそのどちらでもないものもあります(前提条件)

相手の話を傾聴しようとすると姿勢が変わる

それは

傾聴しようとする思いが姿勢を変えているのです

悲観的になるとそのような姿勢にもなる

逆も真なりで

どのような姿勢をとるかで感情が変化する、こともわかっています。

姿勢は原因に対する結果である。

なので姿勢を変えたいな、と思ったら内因を考えるのも一つの方法です。

まずは

前掲姿勢をとらなくても傾聴はできます。

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さらに

原因以前の問題、上図でいうと前提条件(土壌)が整っていると

感情に左右されにくくなります

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感情は突発的に沸き起こるものなので抑えることはできないし

抑圧するのがベストではないです

でも

前提の条件が満たされていれば

傾聴しても、相手の感情に振り回されずにいられます。

芳しくない結果をもたらす内因を軽減できるんです!

そんなことをレッスンの前後で考えながら歩きました。

レッスンでは

前提条件を整えるために動きました

注意!

遊んでいるように見えますが、違います

一応(笑)

身体のどこに注意をもつかがポイントです。

それどころじゃないタイミングも多々ありです( ´艸`)

 

身体の前提条件が満たされるとき

腹筋の不足感も解消します

お腹ポッコリ感もです!

 

 

え~

歩くときはもちろん

何にも考えない時間のほうが多かったのです

御嵩城跡公園に上がったら

白い白山の頂が見えました

追伸

昨日水曜の夜のレッスンは行いました

ホームページのスケジュールでは休みとありましたが

(10日スタートのはずが10日休みと記載してました)

ミスに気付かずごめんなさい、、、(´;ω;`)

古代人、目指す!?

昨日のこの本

現代思想入門

3回くらい読み直したけど

そのたびに新たに納得できる箇所があって

また時間をかけてしまう

今日はフーコーの言わんとしていることに再び注目

フーコーが大胆なところは

我々が今当然だと思っている「個人」の在り方は、歴史の中で作られた結果であって、そもそも「個人が個人であるとはどういうことか」自体が歴史の中で変わってきたのだ、と考えるところ。

個人が個人として新たに成立するタイミングがあった

それが

キリスト教世界のはじまり

昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです ...

ここで

「やってはいけないこと」をくくる罪の概念が生まれて、人は常に在罪感を心に抱くようになった

それ以前の古代は

心の問題として自分をとらえていなかった

というのです。

心がそのように作られていった、というのはかなり特異な視点かと思います。

誰もが

自己規制しながら生きているのは

誰かが見ているから

何者かに監視されているから

そして誰かに見つかったら自分にバチが当たると思っているからです。

視線を感じるその先に…猫が物陰からこっそり覗く心理|ねこのき ...

近代的な心の発生

そんなタイミングがあった。

そこから

正常異常

よいアイデンテイテイーそうでないアイデンティティー

秩序逸脱

様々な概念が誕生し始めます

さらに

人間は過剰さを持っている

エネルギー溢れる | 魔法の質問

本能的な行動をはみ出して行動する柔軟性がある

だからこそ出てくるこれらの多様性がある

私たちは心を成立させてきたのですね

 

闇を抱えるようになったと感じるのは

思考することで思考から逃れるものが生じていると感じるからで

意識・無意識とか理性・非理性という言葉がそうさせているとも言えます

本当の自分、とかもそう。

 

近代的「心」が発生する以前の古代人の自己抑制を

〝自己への配慮〟

というのだそうですが

フーコーはこの〝自己への配慮〟をポジティブにとらえていて

これはあくまで自己本位で罪責性に至らないような自己管理をする、ということ

としています

本の著者、千葉さんのフーコー的解釈も面白いです

千葉さんはフーコーが推す生き方は

新たに世俗的に生きること

と言い換えてます

簡単に言うと

変に深く反省しすぎず、でも健康に気を遣うには遣って、そのうえで

「別に飲みに行きたきゃ飲みに行けばいいじゃん」みたいなのが一番フーコー的。

こういう世俗性こそがフーコーにおける「古代的」あり方なのです

と言ってます

突き詰めて考えた方の結論

現代に生きる私たちが

新たなる古代人をも目指す!

 

皆さんはどう考えますか?

 

私の今日の享楽の一ページ

行きは雪をかぶった恵那山見ながら

 

土岐川をまたぐ

3時間後

帰りはこれと一緒

は?(笑)

おしまい

現代思想入門を読んで

  • 年末年始にとりこになっていた本を紹介します

長文ですがどうぞー

現代思想というものを理解するのにとても役に立つ!

はい

大いに役立つ、気がします(笑)

そもそも

現代思想って何?

って感じですが

20世紀を代表する3人哲学者、デリダ、ドゥルーズ、フーコーの紹介がまずなされます

この紹介の仕方がとても端的でわかりやすいのです!

 

この3人の主張を中心に進んでいくのですが

彼らの主張に、私たちの人生における問題意識を解いていくための共通の手がかりを探していこうとするのです

その共通点のすり合わせ方がなんとも面白い!

すり合わせはデリダの考え方

2項対立(必然と偶然・主体と客体・男と女、安心と不安・・・・)からの

【脱構築】がベースです。

でも

難しくないんですよ!

脱構築って2項対立のどっちにも振れすぎないで思考する、生きていくってことだけど

例えば

自己他者は2項対立だけど

自己都合と他者都合の間で私たちは常に物事を選択したり決断します。

そんなとき

自己中心になりすぎず他者へ配慮しながらも

それでもなお

どちらかに偏った決断や選択をせざるを得ないよね、それを自覚しようね、

という解釈が脱構築。

また

〝一切泡立ちのない、透明で安定したものとして世界をとらえるのではなく、炭酸で泡立ち、ノイジーでざわめく世界として世界をとらえるのがデリダのビジョン〟

2023年】炭酸水メーカーのおすすめ14選 コスパに優れているって ...

なんて

視覚的にも分かりやすく教えてくれます!

 

そして

ドゥルーズの主張

世界では

〝一見バラバラに存在しているものでも実は背後では見えない糸によって絡み合っている〟

関係性(つながり)と同時に無関係性(断絶)の繰り返しでもある〟

そして

〝世界は運動のただ中にある、あらゆる事物は異なる状態になる(生成変化の)途中である〟

という主張。

庭の夏ミカンも運動中ってこと

だから

「ホントの自分」を探求するより生成変化する自分を見ていこうよ!

そのために行動してみようよ!

と言ったり

接続ばかりじゃなく、断絶だってありなんだよ

と、言ったりしていて

私は実はそこになんだか包容力を感じました。

著者はこれを仕事術にも応用しているのです!

 

また

フーコーという人は

社会の脱構築

を主張した、という分類になります。

フーコーはさらに古代の人々の思考にも回帰していて、それを見習うべきものとして取り上げています、そこにも著者は注目しています!

 

そして現代思想への布石としてさらに3人の哲学者が紹介されます

それが

ニーチェ、フロイト、マルクス

彼らの2項対立の部分に焦点を当てているのです。

ここが一貫しています。

ニーチェは

理性(秩序)に対して非理性(混沌)の拮抗とそのせめぎ合い言った最初の人

フロイトは

意識無意識を探った人

マルクスは

労働資本の二項対立に搾取というメカニズムを見出した人

ここにショーペンハウアーやカントまで登場してきます

それらのエッセンスを紹介しながら融合していくのです!!

 

この本は

まるで

ミツバチが花の蜜を吸うように

それぞれの花の美しさを深堀するのでなく

美味しいところをかっさらってブレンドして

そうしてその独自に集めた蜜をエネルギーにして現実世界で快適に羽ばたこうとする

フリー写真] コスモスの蜜を吸うミツバチ - パブリックドメインQ ...

 

そんなイメージで読み進められるのです

そして3人の哲学者の主張を

私たちの今へのメッセージとして帰着させるのです

自分の生い立ちを深追いしすぎず、境遇を偶然の産物とみてそこにとどまることなく、たまたまここにある自分に出来ること(タスク)を見つけ続けていく

なんと前向きで簡潔な帰着でしょう(笑)

 

さらに

ラカンなど複数の哲学者が登場しますが

すべてエッセンスを組み込んでいきます

フリー写真] コスモスの蜜を吸うミツバチ - パブリックドメインQ ...

 

私が2項対立で葛藤しやすいのが

意味無意味

そして

有限無限

なんです、他にもあるけど。。。

深く考えることに意味がある

絶対的な存在があると信じていることは大切なこと

なんてことを思うことがありますが

思考を深めるということはその無限の泥沼にはまっていくことでもある

そんな私へのヒントになるような言葉もちりばめられていました!

*世界の意味を問わない、そこには偶然があるだけ

*意味は常に逸脱、多様化するから世界は常に全く別のものに変化する可能性がある

*人間の有限な感知能力を超えたものが世界にはある、そんな無限の謎に向かっていくのではなく有限なる行為をこなしていくこと

 

「淡々として有限を生きる」

この有限

これはまさしく身体が教えてくれることです。

無限は脳内で考えるイメージの産物でしかない

その脳内の無限ループを払拭させてくれるのは有限なる身体性なんだ

このことに

今朝2時間ほどウォーキングしていた時に気づきました。

呼吸も身体も有限

庭の山茶花と同じ

そして

身体がここに存在するのは偶然でしかない。意味はない。

運動し続ける内部の一瞬の仮固定としてただあるだけ。

そんな内なる有限性、無意味さを肯定すること

これは

無限意味を思う脳と、有限無意味である身体という2項対立からの脱構築だといえると思うのです。

 

哲学書って取り付く島のない難解なものが多いと感じますが、著者は彼の膨大な哲学に関する知識の中から選択して非常にわかりやすいストーリーに仕立てています

それを日常にも応用し、本にもしています

哲学に関する本をこんなに面白く読むことは私には珍しかったです!

 

また、です😁弥勒山

一昨日とほぼ同じコースを散歩。

一昨日と違うのは

一緒に来てくれた友人がいたこと

階段登り中!わかりますか?

あと

弥勒山からの見晴らしがイマイチだった

もう一つは

名古屋のビルを遠くに眺めて

約5時間後にはそのそばにいたこと

あ、

ここに寄ったのは同じ

素敵なしめ縄が飾ってありました〜

 

陶芸体験

多治見の東町に陶芸体験出来る施設があります

http://kds-kiln.co.jp/v-kobo/

工法も選べます

今日行って来ました‼️

私はろくろ回しを選んで

マグカップと湯呑みを作りました〜

 

出来上がりは

2ヶ月後

忘れたころのお楽しみです!

 

 

春日井3山と

今日は天気よし!

午前のフリータイムにウォーキングしてきました。

一人です。

8時半前、自宅からスタート!

昨日の雨が乾ききっていない路面

つるつる滑りやすいので注意⚠️しながら、、、

山道も滑るッ

廿原から弥勒山へ向かう

山の空気はひんやり気持ちいい

手はかじかんだまま(´;ω;`)

9時40分、弥勒山山頂到着!

白山や御嶽は白く雪をかぶった雄姿を見せてくれました。

おおおお~!

反対面からは名古屋市街から白い伊吹山も見えました

次の山頂へGO

もう一つの山頂まで行くよー

弥勒山に戻って

そこから廿原へ下る

くだった先には

モンタナ!!

今日はテラスで休憩

1時間読書して帰路へ

おっと

その前に

イチゴ発見!!

廿原のイチゴは新鮮で美味しいのです

1パック買ってザックに入れてからまたまた闊歩👣始まり始まり~

キレイだア

ちょうど1時間で

予定通り帰宅しました

イチゴは

残念ながら

少々つぶれておりましたッ