清水で時は円環してます

今週末、福井は大雪のようで

子どもたちとスキー🎿で集合‼️

が無くなりました。

実家に両親の顔を見に来ています

土曜の午後、多治見は小雪が待っていましたが

浜松過ぎたあたりから天気が良くなり

清水は快晴

友人とお茶してから

夕方、家の近くを散歩

夏みかんが鈴なり🍊🍊🍊

ホント

鈴だーーーー

久しぶりの場所

久しぶりの景色に

身体は高揚する

先へ先へとのぼれるだけ登って

足裏を観察していた時、

その時

ああ、これも『サイクルだ〜』という感覚になった

足裏が転がり続けることで繰り返されるリズムがある

転がり続けて、どこへ向かうわけでもなく

ただサイクルとしてそれを楽しむ

移動って

円形のものに任せて行ってる

車、自転車、徒歩での足の裏

船はどうかな🚢

スキーは⛷登って下るのサイクル

登り切ったら

下り坂が眺められて引き返す気になった

登りきったら下りがある

そのことも

サイクルとして感じて、なんだか納得して引き返す☺️

帰り道

清水港はうっすら夜景

 

そして今朝

朝から快晴

庭の梅の花と

お隣のさくらんぼの花🍒


朝からここで友人と話す

昨日も今日も

最後は色即是空の話になり

そんな話が出来る友人の存在ががありがたい

そして

今日も私のサイクルがスタート‼️

 

 

 

 

 

足裏Walk!

今月はのレッスンでは

足裏のケアをしていきたいと思っています

距骨は足首にある筋肉の付着のない特殊な骨

足の指のマッピングをしたり

足の骨3Dモデル - TurboSquid 1412323

関節を動かしたり

足裏のマッサージをして

足の裏が熱い!眠れない!原因は血行不良かも?対策も解説 ...

足裏にスイッチを入れます!

 

そこから

立った姿勢で足の甲を床に置いて足の骨の広がりを作ったり

足の裏を床に置いてそこへの乗り方を変化させるような動きをしていきます

足裏の感覚を高めることは

足裏の皮膚の状態をより良くしていくことにもなります。

また

足の骨に生じがちなトラブルの予防、改善にもなりますし

立った姿勢や歩行を楽にします!

昨日、今日と足裏を思いながら歩いています

上り坂の時

膝裏を後ろに送り出すようにして指の離陸を観察

階段も登りは後方の足を意識します

ここは可児の広見の公園です

下り坂の時は

前足裏の置きを意識するとスムーズ

階段の時も下りは前足ですね

足裏の使い勝手を考えつつ

階段を上ったり下りたり

坂道を何度も引き返して往復ッ

薄着でも汗かきました

 

季節がよくなったら

外でのwalkingサロンを計画します!!

スキーしてきました

  • 木曽福島スキー場に行ってきました
  • 日本海側は雪予報の日でしたが
  • こちらは朝方の気温こそ低めでしたが、、、
  • 天気は良かった‼️
  • 朝イチのゲレンデと御嶽山
  • 白山も見える山頂
  • 一緒に撮りたかったのですがこんなふう😮‍💨
  • ヘルメット⛑今日デビューでした
  • 今日は初めてスキー検定の場に居合わせました
  • さすが
  • スキーヤーオンリーの木曽福島。
  • 検定受講者も多く
  • 検定の場に一般客が遠慮するほどでした。
  • 私も受けてみたいなと思いつつ何度も観察しました😆
  • それにしてもホントにいい景色
  • 最後の一本は
  • 駐車場までの長いコースをノンストップで〜
  • 来月まで楽しめそうです

歩くたびに思う

小豆麹を作ってみました

スープジャーでも出来るなら!と思って

これを見て

https://www1.nhk.or.jp/asaichi/archive/211206/recipe_3.html

けど

小豆が少なくてなんか違う・・・

見本と

現実

麹が多いッ

甘さはあるけど

う~んこれじゃあ小豆麹というか

「麹あん」か。

パラパラしてる(´;ω;`)

甘さはあるけど、、、

これはリベンジします!

今日は久しぶりの場所を散歩

 

今日は

ひろさちや の本を読んだので

やはり頭は仏教モード

私は

私を取り巻く多くの

生命との縁起

ものとの縁起

時間との縁起

で成されている

縁起とは作用する力ですね

この縁起による作用の炎が消滅したときに

死を迎えます

炎があるので私があり、そして煩悩もあるのですよね

 

行った先ではビルが見えました

歩くたびに

仏教的になる私です

 

山で唯識を思う

ぎっくり腰の痛み

発症から3日後の午後にはだいぶ回復し、

週明けには痛みが無くなりました

本当にお騒がせいたしました

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今日は木曜日

可児のレッスンの後、鳩吹山に登ってきました

登山口まで続く道

この道が私の視覚に映り込んでくる

そのことで

私は私が存在することを意識できる

道を歩く振動感覚があるから

その感覚を手立てに

私は私の存在を確認できる

私は私を感覚情報によって作りあげている

私は

実は

どこにも存在しないのです(名詞としてはない)

私は

私の存在を識り(しり)続けている

その働きがあるにすぎないのです(動詞としてある)

『私』は意識の働きに支えられて、起こるものなのです

御嶽山が見える

そのことで

私は私を識するのです

目に入るものを通じて自分を作っている

 

寝ている時は私は私の感覚を感知できない

認識する対象がなければ

主体である識もなくなる

だから

私はなくなり

そして

朝、目覚めたとき受ける感覚が再び私を作りはじめる

スッキリ朝を迎えたい!目覚めがよくなる簡単な方法とは – RAYCOP

世界から受ける感覚によって私はその都度成り立っている

その都度成り立つものだから

実体はないのです

 

じゃあ

鏡の私は私じゃないのですか?という質問がありました

これは、厳密にいうと

⓵鏡に映った姿が視野に入った

②その顔が私だという意識(言葉)がはたらく

③それは私であると意識する

という順序をとっていますね

 

鏡に映った顔は

決して自分の目で直接見ることは出来ない、他人から見た私の映像です

これが目に入った時、

「他の誰でもないと断言できる、他者から見えるであろう私」

という言葉と共に私が意識に上がるのです

知ってた?鏡には「自己認識」の知育効果がある!赤ちゃんと鏡の ...こういう時もあったかな?

鏡に映った自分を見て

そこで初めて私は私を識するのです

「ああ、これが鏡に映った私だ」

という言葉がそこには介在します。

言葉のない幼いころは

その言葉がないから

私が起こらないのです

動物もほとんどがそうでしょう。

フリー写真] 鏡をのぞき込む猿 - パブリックドメインQ:著作権 ...

鏡に映る映像

それが見えるとともに

それが間違いなく私である!と結び付ける働きがあって初めて私の顔になるのです

その意識こそが私を私として成立させているのです

鏡を見て

鏡に映っているのは私だ(この時自分の方から鏡の私を見る方向です)

というより

見る事によって私を成立させているのです(鏡に映った私の方からこちらの私に向かう方向)

ちなみに鏡に映る私は、変化し続ける途上の一瞬のものです

 

他人が居なければ私は存在しないのですか?という質問もありました

身体感覚があれば私はある、と意識出来ます

なので

存在はする

ただ私たちは

人と接するときに

その人は自分ではない人、他者だという区別を言葉でしています

そのことで私を存在させているのです

他者という認識対象があるということは私の存在を強烈にします

そのことで自我も強まります

他者というのは必ずしも人間ではないです

この

他者によって(他者でない)自分を識できるのですよね

そんなことを思いながら山頂へ

私は存在しないんだ

とおもいつつ

車でお弁当

味覚も私を想起するのです~

無明から光をさがしていく

 

仏教では

この世界は常に変化していくものと考えます(諸行無常)

今日見た土岐川の流れのように

そしてその実態は

色即是空 存在するものは空(ゼロ)から因果の力によって発現している

空即是色 世界はは空であるがゆえに実体があるように存在することが出来る

ととらえます

空という原因が世界という結果になっていて

世界があるという結果は空が原因である

として

今の世界を因果の双方からとらえて実体のない空だとしているのです

インドで起こったゼロの概念、

これは

理解しがたい概念かもしれません

仏教の唯識論では

(自分は空なのだから)自分が存在し、実体があると思うことは無名であり、苦の原因である

無明による実体への執着をなくせば縁起の理が見えてくる

としています

縁起の理というのは

すべてのものは

関係性の中でその存在が確定するということ

私の存在の確定は、私以外の誰かによる私との関係性の結果として成り立つ相対的なものである

私以外の誰かが私を捉えるから結果私が存在する

私以外の多くの力によって私が成り立っているということ、です

普通の考えでは理解が困難ですが

無明の強さですー

すべて世界は同様に、世界をみるものによって作られている

これが縁起の理

池は

池と認識されることによって池になる

つまり

世界は見るものによってその都度形作られている

から

自分にも世界にも実体がない

誰かに光を照射されて初めて映し出される陽炎のようなもの、ということなのです

今日は永保寺周辺を散歩しました

唯心でいうと

お寺の像が目に入ってくる

そのときはじめて自分の世界にそれが現れる

石を踏む音が耳に入ってくる

世界にその音があることを確認できる

感じたことが世界になる

私たちは世界を言葉にして、認識する

言葉があるから存在を生み出せる

言葉にないものは存在させられない

 

沸き起こる感情は自分一人の意思によって起こるものではなく

他との関係性の中で生じるもの

怒りや悲しみは、そういう言葉があるからそのように感じる

そうやって

他者との関係性の中で意識ははたらく

これも

縁起の理なんだ。

 

唯心論だと

自分は自分以外の多くの存在による関係の中で自分であって

自分で自分の存在を確定することはできない

自分てなんだろう?

これは私が小学生時分から今も時々起こる疑問なのですが

縁起の理においては

自分は無いのです(無我)

自分は他者との関係の中で在るものだからです

 

無明さゆえに

私が怒る

私が悲しい

私の時間

私の体

などなどの執着が生じますが

そもそも自分てほんとに実在するのか?

いるかいないかわからないなら、この怒りはどうやって起こるんだろう

なーんてことを真剣に考えてみると

もしかしたら

変化があるかもしれません

もしかしたら、、、です

 

 

 

 

 

 

電車の音からヴェーダ聖典へ

今朝、布団の中で目を覚ますと

風の音がするのが聞こえてきました

風が木を揺らし、葉を震わせる音

風が窓に当たり振動させる音

不規則なその音をしばらく聞いていて

思ったのです

「ああ、私は今、(音の)変化を感じることが出来ているんだ」

と。

では

音は存在するものなのか?

私達の持つ耳の機能によってそれは音として成り立つのです

音の感知力は動物と人間では違うし、人によっても違います

私達一人一人がその機能によって、音を成立させ、聞いている

耳が音を生み出しているのです、この世界から。

視覚、嗅覚しかり、味覚、触覚も

この感覚器官をもって世界を作り上げている

感覚器官の限定の中で世界をみているのです

だから

感覚器官がなければ世界はありえない

風の音を聞いて改めて

世界は変化している、し続けているのだと強く確信したのでした

人間の身体も細分化していけば分子や量子でできていて

常に運動し続けている流動的なものです

変化し続けていて、捉えるものによって変わるこの世界は

実体がない、ともいえます

感じているのは、量子が止まっているかのように見える一瞬の今なのです

インドの聖典、ヴェーダでは、感覚器官に左右されるこの世界は

幻である

と、とらえます

実体がないのは世界と同様人の❛心❜、❛体❜もそう

実体のあるものはただ一つ

アートマ―(創造神)

であって

この

非実在(アサット)と実在(サット)を分別することが

識別知(ヴィヴェーカ)

として実在と結びつくことが信仰である、とされるのです

そして

それこそがヨガ(結びつけるの意)なのです

今朝

布団の中で風の音を聞いて

実体のないってこういうことか

なんだかとても単純に納得できたのです

この時

耳で音を捉えながら

変化する音を感じる私がいることも感じました

この場合の私は変化する私を客観視するような私です

これは私のうちのもう一人の私みたいな冷静な私です

冷静な私で観察することをメタ認知といいます

 

さらに言うと

ヴェーダでは

実体のない、幻に過ぎない心を修正する必要はない!

としているのです

潔いいッと思っちゃいます

道具に過ぎない心を何とかしようとするより

実体のあるものに心を向けよう、

マントラを唱えたり、行為を神様に捧げて

神様を信仰しよう!というのです

このような考えは

ヴェーダ聖典から数千年後に誕生した仏陀の精神性につながったものと思われます

それは

またの機会に

意識を変える方法って?

 

この本を読みました

養老孟子さんの視点にはいつも感心します

意識(心)の働きが世界を作り上げている

意識

「同じ」という働きを優先する

昨日の私と今日の私は同じ私だと思える

1000円のものと同じ価値があると判断するからそれ相応(と思う)物を買ったり交換ができる

他人と自分は同じだと思えるから人を思いやれる

苦手なあの人はいつまでたってもそういう人だと思って変えられない

それに対して

感覚

「違い」を感知するものである

変化があるから匂いを感じることが出来る

温かいと場所から離れるから外の寒さがわかる

同じ赤い色のりんごをみても隣の人と同じ色を感じているとは限らない

私たちは

感覚器官で常に体の内外の変化を感じてる!

でも

意識は

それら変わるを感じる私を、ずっと変わらない私とみなしている

幼児の頃から50過ぎた今まで私は同じ人間だと認識するのは意識の働き

体の内部はすっかり様変わりしていますが。

それに

意識は日々途切れるものですよね

寝ている時は私を忘れている

断続的なものなのに起きたら私は私として復活する

まるで

私の仮面をかぶるように装着できます

自坊的に、です。

私たちはそんな意識にしばられているともいえます

意識は

変わらない私、変わらない時間感覚、変わらない生活、変わらない世間を作りあげ

宗教を作り、神をも作りあげるのです!

こんな意識の呪縛から離れるためにはどうしたらいいか?

養老さんは

虫を追いかけるのだそうです

虫を追いかけることには

目的はないそうです

そうですよね

目的は意識が考えるわざです

そこから離れるには

変化を感じてみるということ

つまり

変化を感知する5感を働かせよう

ということです

目的は無くてもイイ、また一つでなくてもイイ

歩くこと

眺める事

集める事

何かを作ること

意識の外に出るには変化をとらえる感覚を観ていくこと

実は

その感覚の変化は

意識の土台になるものなんですね

何が意識を変えるすべになるか

意識という呪縛から離れる事ってどういうことなのか

それを探していくことが

成熟するということである、と養老さんはいいます

自分なりにそれを見つけていくこと

合理的でないことかもしれないし

経済的、社会的に有用じゃなくても利他の行為でなくてもイイ(もちろんそうであってもイイ)

それが

人生という作品を作っていくことだと

何だか格好よくいっています

そんな作品が長い人生をかけて出来あがるなら

それは

かっこいいと思う

誰もそう思わなかったとしても、です

私は

ヨガの時間を

まさに感覚を観る時間と考えます!!

 

 

 

 

 

ギックリ腰翌日

ギックリ腰翌日の昨晩

どうやったら痛みを起こさずに姿勢を変えられるか

色々に動きながら試しました

寝返りの練習みたいなこともしました

胸郭の動きが増してくると腰が楽に動くことに気がつきました

呼吸法も有効だし

背骨の動く順番も観ると痛みが減るんだなあとわかりました

すっかり気持ちよくなりました

そうしたら

昨晩は仰向けでぐっすり眠ることが出来ました

今朝は

股関節の動きも大事だということに気付きました

痛みの感覚は変化しています・・・

散歩もしたいと思えるようになり、夕方、40分ほど歩きました

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ここ数日でこの本を読みました

金融コンサルタントの方が書いた本ですが

不確実性に向きあうのは投資家だけじゃない

私たちは誰もが

不確実な中を生きている!

どうやったら

その予測不能な未来に最善に向き合っていけるのか

これは誰にも通じる問題ですよね

それへのヒントになるような記述もありました

わたし的にはここ!

写真撮りました

因果関係に過剰にしばられることはマイナスである

投資の話ですが、、、

そして

量子力学的に観れば

未来を予測するのは不可能である

これも投資の話関連ですが、、、

以前、時間の概念のところでも言いましたが

私たちの体の内部では時は円環していて

現在、過去、未来が同居している

でも

私たちの意識は

時が直線のように流れていくものだと認識するので

現在過去未来があって

原因があって結果があると考えます。

それは

そう考えると安心するからです

頭が混乱しないからです

でも

私たちの体を作り、宇宙を構成する量子レベルでは、

未来は予測不能

数式で表せない、予測できない(意識でとらえようと思うと、です)です

ダイエットのために食事を変化させたとして

変化させたから体重も変化するだろうと期待します

よね?

でもホントは体はそう簡単にコントロールできないだろうとどこかでわかっている

つまり

カオスだとわかるから

ダイエット頑張ったから100%体重が減ると確信できない

体重減っていますように、、と願いながら体重計にそおっと乗ります

自分の身体は予測不能、いわゆるカオスであることをホントは知っているから。

だから

不安になるし

逆に

信頼しようともします

私は

腰痛の原因は白菜漬けたことだと原因化しています

原因がある方が楽だから

そして

腰痛が回復するかどうかは不確実です

カオスを信頼するほかない

様々に自分なりに工夫しながら

あとは委ねるのみです

ただ

身体を放置するのは自分で納得できないから

様々に動きを試してはいる

でもそれが結果としてどんなふうに現れるのかはわからない

カオスは不安材料でしょうか

不確実性は恐怖ですか?

この不安とどのように付き合っていくか

それを見出していくこと

それが成熟することだと

養老孟子さんは言っています

それはまたの機会に。。。

 

ありがとうございます

ギックリ腰と付き合っています

過去にひどいのを2回したことがありますが、20代だったので忘れていることが多いです

いつもの動作に数十倍の時間がかかってしまいます

椅子から立ち上がる、洗濯かごを持つ、床に落ちたものを取る、などな恐々やってます

昨日の晩は

何がつらかったって

寝返りが打てないこと(´;ω;`)

10分以上かかってできずに諦め

やっぱり寝返りたくてまたトライしようとして

出来たり出来なかったり💦

あああ

こんな風にコロコロしたい

寝返り】赤ちゃんがねがえりに成功しました!生後5ヶ月、成長 ...

そして

今日、2日目は体の観察ができ始めています

同じ姿勢で長時間留まると、動き始めが痛む

反る動きで痛みが軽減する

腹圧上げるとそのあとの動きがスムーズにいく

こういう観察もっと増やしていけたらいいなあと思います

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

このような状態の私に

お見舞いの温かい言葉を沢山いただいてます

今日もお一人から電話をいただきました

皆様のお言葉、そしてお気持ちとても嬉しい!!身に沁みます~

ありがとうございます

Thank youだけじゃない【ありがとう】の気持ちを表す英語の ...