福井へ

福井に行ってきました

娘の新天地となったので

春からの住まい探しをしに

ここもイイね~

先週は積雪が多かったようで

こんな景色が広がっていました

クマが出るから

暗くなったら一人で自転車は乗らない方がイイ

そんなところです。。。

 

初日で大体の目星がついたので

今日は

スキージャム勝山へ行ってきました

福井では冬の快晴は貴重だそうです

春スキーのような温かさ

汗だくで滑りました

雪もちょっと重かったですっ

 

 

 

友人のメールから考えた

 

昨日の夜、友人からユーチューブを見た友人からこんな内容のメールをもらいました


若い頃の千枝子の苦悩を知って、友達として何も出来なかった事を謝りたいと思いました。

私は大人になって、自分の思うようにいかない時期が色々続いてから、やはり幸せだと感じた事があまりなかったかなぁ。自分に自信がない事もあってか、気持ちに波があって、今でもどう生きていったらいいか分からないね。
ただ、やりたい事、好きな事、やらねばならぬ事、決心する事を行い、悶々として暮らしていくしかないですかね。

以後略

小学校からの同級生の彼女が

25年前の私の苦悩の時期のことをわずらって、謝りたい気持ちになった

私は

彼女にそのような気持ちにさせてしまったことを謝りたいと思いました。

当時の私に

どんな言葉をかけたら元気回復⤴となったのだろう

私にはそれが浮かびません

たぶん

誰も私のことを助けてくれないし、助けられないと思っていたと思うのです

彼女は、今の私がまぶしく見えると言ってくれるけど、当時の私は同級生やバリバリ働いている友人たちが別世界の人になってしまったかのようでした

自分の目で見るこの世の中を

自分の認識という目で見るこの世界を

他の誰かの力で変えることは出来ない

世の中矛盾だらけ…気づいた人に奇跡が起きだすPoint3

 

他人の寂しさや苦悩から真に救うことは出来ないのだと思うのです

ヨガをしているから

長く続けているからと言って体の不調がないわけではない

ずっと、そしていつでも心穏やかでいられるわけでもない

過去

息子が後遺症が残るほどの大けがをしたとき

どんなに自分がなり変わりたいと思ったか

気の毒過ぎて息が詰まりそうでした

でもそれも

自分の目で見る世界なんです

気の毒に思うことすら自分の色眼鏡なんです

障害のある人が不幸なのか

子供のない人は?片親の人は?

そうしてそうでない人が幸せなのか

共通認識はなくて、正しさもなくて

生きてきた環境によって作られたメガネがあるのみです

色眼鏡」の使い方や意味、例文や類義語を徹底解説! | 「言葉の手帳 ...

 

今も

親族の問題で話し合いがもたれるほどの状況です

何とかしたいという気持ちはあっても

人の認識を変えるということは困難です

そんなもどかしさ、歯がゆさを繰り返し繰り返し感じていくことは今後もずっとあると思います。

ただ

心はいつも安定したがっている

神秘的な力ではなく

体を丁寧に観て

体の中立を保ち直しながら⇒これもすぐ不安定になるので

それを向かい入れる。

繰り返し、繰り返し。

 

実は私は

相変わらず心を馬車馬のように走らせています

そういう馬車を持っています(笑)

今は

幸せの境地に向かおうとしていません

ただ

坐法を安定させるためのより有効な方法がないかと

その方向に向かって

行きつ戻りつしています

あともう一つ!

自分の安定は

自分の居る場の安定になります

皆さんは

誰とのどのような場で

そうしたいですか??

広くなくてOK。自分にフィットする《狭い部屋暮らし》のすすめ | キナリノ

あともう一つ

行為は義務でもある

それをこなすのもヨーガなんです。

悶々とばかりじゃなく

時には颯爽と

時には淡々と

色んな言葉がイイかもね!!

もう幸せを追わない

昨日のユーチューブでのライブトークで

「なぜヨガを始めたのか」

との質問を受けました。

ヨガを始めたのは偶然のきっかけです。

結婚して行った初めての土地で、しかも人生で一番の田舎!!

人脈は全くなく、友人もなく住み始めた場所で私は何とかそこに順応しようとしていました。

数年後

数少ない友人が誘ってくれたのがヨガの教室でした。

ママとお子様に嬉しい☆和室ヨガ教室 | 静岡市【ヨガ教室CARNA】縄巻 ...

さらに数年後

ヨガのことをもっと知りたい!と思ったのは

「自分が不幸だと思っていたから」

と、話しました。

ヨガの勉強はとっても面白く、

「ああ、こういう学びがあるんだ」と感動し、月に一度名古屋に通うのが楽しみでした。

内観を学んで自分の心根を客観視したり

心を穏やかにするために肉体を客観視する

人間五蔵説・・・簡単に・・・。: ヨーガな生活

すべて納得のいくものでした。

理論はわかる

自分の理知の判断がまずいからそれを修正すればいい

自分の執着を無くしていけばいい

それもわかる

わかるけど

わかると出来るは違うんです!

欲を無くすことは出来ないから

(貪欲な)「私」はいつまでたっても元気にそこにいて、それが死滅するってことを実践したり体感を持てないんですよね。

自分が幸せでないと感じていた私は

それまでも幸せを目指して色々な場を求めたり、人を頼ろうとしたりしてきました

幸せになりたいなりたあああああああい

そう思い続けていた

なぜか?

それは

自分は今、幸せでないから

夢 追いかけの画像63点|完全無料画像検索のプリ画像💓byGMO

それが前提にいつもあったということなんですよね

求めていたってことは

自分が幸せでないといつも認めていたということになる

それが分かったのはいつだったんだろう

その後

ヴェーダの先生のもとで勉強し始めて

また違った人間観、世界観、神様の存在を知り始めたことも大きかったです

https://biz.trans-suite.jp/15356

そこでは

「心を何とかしようとしない(操作できるものではないから)」

「私を含めすべてはブラフマンに拠っている(この世は幻に過ぎずブラフマンしか真に存在しない)」

「私(アートマン)は大いなる存在(ブラフマン)と一体化しているという状態が安心である」

こんなことを聖典を紐解きながら学びました

つまり

心は変わるものである⇒安心はない

変わらないのは

普遍に在るアートマン(神様)のみである⇒安心がある

だから

そこを思いなさいって

Har Har mahadev | シヴァ神, シバ神, インド

これはインドの神様シヴァ神

神の象徴です

象徴としての神様は他にも色々います

聖典も神を現す音なんだそうです

 

まあそんなことを教えてもらいながら

少しずつ心のおさまりどころが出来たのだと思います

・・・・・・・・・・・・・・・

今朝、ユーチューブを見てくれた友人からメールがありました。

彼女はヨーガ療法を3年間一緒に学んだ友人ですが

「幸せになってないって!共感です」

とありました。

私は返信で

もう幸せになろうとは思わなくて、今日から新しい歳なので不幸を笑い飛ばせる人間になろうと思います(笑)

と送りました

もはや自分が幸せだと思う必要もないわけです

たとえ幸せだとしたら、それを逃すまいと執着も起こるでしょう

心の働きとか性質って自分でなんともならないのだから

神様がそれを与えてくれたものなので自分で創造していないし

あるいは環境によって作られたものだからなおのこと抗えない。

だったら

不幸と感じやすい心の働きを抱えたまま安心する

いうことだっていいのだと思います

そこまで昨日は言えませんでしたがっ

自分でどうこうせず神様に委ねられたら

そこに安心はあります

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そう

今日から新しい年齢になりました

予想通り

いつもの一日

いつも通り歩く道

雪をうっすら讃えた恵那山が見えました。

夕食もいつものように、ワインは今日のみ!

スポンジだけ焼いてみました

 

ライブトーク遅れてすみません

本日、アレクサンダーテクニークのの先生とユーチューブでライブトークしました。

ユーチューブ上では初めての試みだったそうで接続に戸惑い、再度新たにURLをとるまで時間がかかってしまいましたそれを皆さんに再度送信してからのスタートとなりました開始予定より45分遅れッ

待ってくださった皆さん、聞き逃すことになってしまった皆さん、申し訳ありませんでした

送信したURLをクリックしてくだされば録画を見ることができますのでお時間あるときに開いてみてください

今回のユーチューブでのトークは来月から始まるオンラインレッスンの紹介を兼ねたものです。

これは今日の対談相手でオンライン体操教室提案者のアレクサンダーテクニークの土橋先生と島根のフェルデンクライスの縄田先生と私の3人の合同レッスンです

ちなみにアレクサンダーの先生のホームページはこちらです

https://alex-kyoto.com/

土橋先生のレッスンとその人柄に興味を持った私は、先生が開催された指導者コースまで受講しました。

おかげさまでよく京都に通いました!!

アレクサンダーの先生は、ほんわりしていていわゆる先生らしくなく包み込むような優しさがあるんですよね(主観ですが)

その辺はボディワーカーの面々とは違うところかな

土橋先生

接続再設定に30分ほど苦戦していましたが、焦った感じが見受けられず淡々と試行錯誤していました(いいのか悪いのか?)

体の余分な緊張をとって楽に動く

このことは先生を通じて何度も実感したことです

先生、これができてる、という意味では尊敬です。

ライブトークは私も初めての試みでした

もうちょっとああいえばこういえば

と色々浮かびますが

また教室でお伝えしますね~

感想を送ってくださった皆さんありがとうございました

 

ヨガの目的を改めて言葉にすると

木曜に

フェイスブック上でトークライブをします

それにあたって

「何でヨガを始めたのか」「ヨガする目的は何なのか」

改めて再考しようと思いました

いつも考えていることではあるけれど、新しく“今”言葉に置き換えておこうと思いました。

まず

ヨガを始めたのは、新しい環境に自分を起きたかったからです。

今から20年ほど前

私は

未就園の子を連れて、自分が何か出来ることを求めていました。

何でもよかったのかもしれません

その時に友人に誘われて行ったところがヨガの教室だったのです。

その後転居して別の教室に通うようになり、先生に誘われてヨガの講座を受けに行くことになりました

数人の生徒さんたちと一緒に。その時はヨガの勉強って面白そうだな~という感じでした。

何気なく始めたそこでの学びは

結局3年続きます。

講座は

ヨガのルーツやヨガって何なのか、ヨガをすることで何がどのように変化するのか

という座学が中心でした

無料イラスト セミナー 会議 講義 ピクトグラム

 

あと毎回、内観タイムがありました

例えば

「家族にしてもらったこと、してあげられたこと」を考えなさい

とか

「過去に、これ以上ないというくらい努力出来た経験は何だったか」

「身、口、意(つまり態度や言葉や気持ち)にわたって他人の何かを盗んだ、ということがあるか」

などなど色んなテーマを

15分くらい静かに考えるのです

そしてその後、まずは先生の言語化を聞き⇒ここで先生が何を話すか聞くのも楽しみでした

さらに二人一組ペアになってそれを言語化するのです

対話のイラスト素材 [19975450] - PIXTA

ここでよくよくその当時の苦境を語っていたように思います

そして

毎回課題が出てそこにも内観につながるような出題がいくつか出たのです

このレポートを描く作業

これも内観作業に近く、書くことでその時の気持ちの整理になりました。

宿題は嫌いだけど課題は苦にならなかった!

月に一度のこの講座は

本当に面白く、楽しいものでした。

こんな学びがあるのかと。資格や目的達成のためでなく、ただ純粋に学びそのものが貴重でした。

私が学んでいた場です!

https://www.yoganiketan.jp/yicytic2016.html

 

ヨガの始まりは5000年前のインダス文明の発祥の頃にさかのぼり

今から4500年前に栄えたモヘンジョダロという都市国家の遺跡から瞑想して座るヨガ行者のハンコが見つかっています

そして2000年前にヨーガ・スートラというヨガの教科書みたいな経典が書かれたのです

 

この教科書の冒頭、第1章第2節にはこうあります

ヨーガとは心の働きを死滅することである

この言葉は、強烈パンチでした!

そして

何をどうすればそれが達成できるのか

そして

それ、出来たらどうなるのか

注意点は何なのか

等が教科書には指示されているのでした

そこで大切にしていくことは

自己の客観視

8つの部門を観ていくのです

やってはいけないことをしてない?

するべきことは何かわかっている?出来てる?

というように自分の行為や態度や、気持ちの向け方を見直すのです

そして

肉体の客観視もしていきます

自分の肉体の感覚を観察

自分の呼吸を観察

そして

自分の意志、知性、記憶の客観視をしていく

これがラージャ・ヨーガ(ヨーガの王道)です

そうやってあらゆるレベルで自分を観察する

観察するということは

見ているものと見られているものを分けるということです

肉体は見られているもの、それを「私」がみている

呼吸を「私」がみる

そして

自分の認識、感情を「私」が観るというように

体も心も“見られているもの”として、それらを見ている「私」と分けるのです

認知を認知するということをメタ認知と言いますが、とにもかくにも分けて観察します。

内観はまさにこれメタ認知なんですね

当時学んだこれを読み直しました

 

ヨガは結ぶという意味がありますが

そうやって自分あ(私)が何に結びついているのか観察するのです

肉体に強く支配されているのか、お金なのか、家族なのか、物なのか

それとも

記憶なのか名誉なのか、幸福や健康という概念なのか

「私」が何と結び付いているか、

それは執着にもなりますが

何かと結ぶことは実は心の安定になるのです

船が港から離れていかないように、波があっても同じ場所に停泊できるように。

でも!!

実は「私」が結びつくこの世のどんなものも不変に安定した寄港地にはなりえないのです

唯一の例外を除いて。

それが何なのか

それは

無辺なるもの

との結び付きなのです

これと結び付くということは

もはや

心は死滅し、「私」が無くなっている状態

見るものと見られるものとの区別がなくなる境地

それが

サマーディー(三昧)

温泉三昧とかスキー三昧とかで使うざんまいの境地です

スートラにはこうあります

2章46節

坐法は安定して快適なものでなければならない

22章47節

弛緩に努め、無辺なるものに入定することで坐法は熟達する

2章48節

その時2極の対立物によって害されない

この3節もよく目にしました。

誰でも坐法は簡単にとれます

ただ

熟達した坐法がとれているか

安心して安全で、揺るぐことのない寄港地せ坐れているのか

そこが問題です!

熟達して坐る

私が学んできたこと、今後学び続けることはここを目指し、ここに集結するのかもしれません

 

Aヨガでは

動きを増やし、変化させることで自己の体の客観視をします

アレクサンダーテクニークでは反対に

今すでにしている動きを客観視することで無駄をやめて必要を選択します。

弛緩に努めるには動きの要素も必要ですので、これは私には体への双方からのアプローチとなっています

いずれの方法も

自分で動きを選択してその結果を観察するもの。

動きを変えて、観ての繰り返しです

こうやって

肉体を観ていくことは

心のはたらき方、認知を観ていくことにつながっていく

まさにヨガの一部門なのです!

安定した坐法

そこには二極(善悪とか幸不幸とか美醜とかの対極の概念)に害されることのないサマーディの境地があります

そんな風に坐りたい

坐ってみましょう

それが目的と言えます

 

 

 

zoom2つ

今日は

京都のアレクサンダーテクニークの先生と島根のフェルデンクライスの先生と共に

それぞれのレッスンのし合いっこをしました

朝、7時半から!!

フェルデンクライスは動きを強制したり調整したりすることなく

最小限の誘導によって動きます

自分のペースでスピードも大きさも変えていい。

正解や不正解はなく、動きを委ねられる感じです

そして

その動きの結果もあまり追求しません

変わりましたか?

変わらなくてもそれでいいのです・・・

って感じで。

大きな動きも激しい動きもなく

これだけでいいの?と思ってしまうくらいの物足りなさも感じることもあります

でも次第にその波に乗っていくようになり

終わってみると

「あれ?何か違うかもしれない」

やさしく知らないうちにそこに持っていかれる感じです。

アレクサンダーテクニークは

自身の軸や身体の支え方に注意を向けることで

体全体を使う動きに変わっていくので

体をより軽快に動かすことが出来ます

朝から嬉しくなるほど快調になりました!

このお二人と一緒に来月からズームでのレッスンを展開していきます

皆様にもまたお伝えしますね

その後はすぐに

理学療法士の先生によるズームセミナー

前月、参考になったので今回も参加しました。

今回は

膝関節と股関節が焦点でした。

よくある疾患と

それに対応した動き方を学びました

先生からはもちろん

同じzoomの参加者の先生たちの実践法も聞けたので

私も今までと違ったアプローチで試してみたい!ということが出てきました。

勉強になりました!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

おまけ

畑でブッロコリーが同じ株から再び収穫できました

この色が

蒸すと

キレイな緑色に!

 

おまけ2

今日は待望のスキー板を新調!!右側です

24時間乗っていても疲れない板なんだって!

早く乗りたい!!!!!

 

 

 

これも入力変化と言えます

久しぶりにお菓子を作りました

明日のバレンタインデーに備えて

甥っ子たちに

ラッピングして

お隣の坊やにもあげよう!

ああ

いい気分転換になりました!

明日からもまた動けそうです。

昨日の大きな動きは

最初のレッスンの場までの徒歩往復

またここで写真が撮れました!

一昨日の祭日は

木曽福島への一人スキー

再び(笑)

この日は御嶽がくっきりバッチリみえました

今シーズン6回目の木曽福島にして

やっと見れた御嶽山でした

 

小さく大きく自分の環境(入力)を変化させながら

向かうべきことにきちんと対応していけるようにしていきたい

もうすぐ齢が変わりますが

この齢はまた少し仕事の方向性も変わってきそうな感じがしています

どんな出力になっていくか楽しみです!

 

 

 

脳の可能性は無限です

先日行ったティータイムサロン

テーマは背骨でした

 

まずは

脊柱の形状を考えました

・背骨は体の中心を貫く

・背骨には弯曲がある

・背骨の位置

このことを思うだけでも動く感覚が変わってきます。

そして背骨はその場所によって動きの特性がある。

それを知れば、無理な動きは軽減しやすくなります。

そして

なぜ背骨の調整が必要なのかをお伝えしました。

その後は

背骨のワーク。

なぜそう動くといいのか

どんな意味があるのか

どんな効果を期待しているのか

少しでも理解があると

動きが変わる

このほんの少しの調整でいいのです

そして

歩いてみたり

軸を感じて相手と対面したりもしました

それも

はたから見たらわからないような微細な変化です

でも

動く感覚の変化を実感できる方が多いです

ほんのわずかな脳へのインプットの差異が

動作として小さな変化を起こし

その小さな変化は

「おお!違う!」

意外とインパクトのある感覚の変化となるのです。

 

動作が変われば脳への入力が変わり

それが変われば出力はさらに変化します

動作が変わるということは

見方が変わる

接触感が変わる

深部感覚が変わる・・・というふうに

5感への入力変化が起こり

その変化こそが

新たな出力の材料なのです

つまり

出力を変えるには入力を変えるほかないのです

何を見るか

何を聞くか

どう動くか

このことで私たちは無限に変わる可能性を秘めているのです

ヨガのレッスンでもそれは行っています

サロンでもそんな感覚を味わっていただきたいと思います。

今日もメールでの感想いただきました

昨日は友人の体験レッスンに対応して頂きありがとうございました🙇‍♀️
彼女の身体のメンテナンス始動への一助になった事と思います。
「有意義な時間を過ごせた」と言ってもらいました☺
それから、遅ればせながらの追伸です。
2日の教室での、その時の体感の変化をお伝えします。
 ① ホールから3階の研修室への移動時、階段の上りが軽く感じられました!背骨が身体を上げてくれたような感覚?です 
② 『サロン』の後半、背骨を意識して歩いた時に身体が揺れない感覚でした。
  私の歩き方は、子供の頃から上体を揺らして歩く
  ようで(自分では自覚がなかったのですが)よく
  家族から指摘されていました。 それが揺れを感じないで、真っ直ぐな姿勢で歩けた感覚がありました。初めて体感し、私  の中ではプチ感動!
リアルタイムでその時に言えず、今頃になって伝えようとしたら、ぐだぐだと長くなってしまい申し訳ありません🙇‍♀️💦💦
でも、②の感覚がこれから蓄積して行けたなら良いなぁと思っています😊
まだまだ何度も忘れては、後戻りしてしまうのですが‥😥
遅まきながら、長々とすみません。
歩きの感覚が
入力を変化させることで変化する
たとえそこにどんなに長い習慣があったとしてもそれは変えられるんですね
数年ヨガをしてくださっている方だからこそ
入力⇒出力がスムーズだっのかもしれません
脳の持てる可能性を一緒に引き出していきましょう!
おまけ
レモンの時期
いただいたレモンとオレンジとミカンを焼酎につけてみました

ニンジンの奈良漬け

畑でとれたというニンジンをいただきました

立派!!

冷蔵庫にあった奈良漬けの残りの漬け床に漬けてみよう、と思い

ショウガと一緒に小さめに切って

漬けてみました

4日後の今朝

取り出して切ってみました

ショウガはまだまだ辛みが強く残っていました

このしょうがの辛みは好きなので

朝ご飯に。

今週は数日間一人なので

あさ、昼、晩3食ともほぼ同じものを食べてます

一汁一菜

これで十分です

これは今朝

一人だと好きなもの&簡単なもの

こうすることの贅沢。

かす汁に畑の野菜やぶりのあらを入れて、これで3食ともまかないます。

お昼は卵納豆とお汁

夜はこれに、作り置きの大豆の五目煮も。

しばらくのらくちんご飯を楽しみます

 

 

スキースクールで背骨を習う

今日はスキースクールに入りました

昨年も一回入ったのです

木曽福島スキー場は

スキーヤーオンリーのスキー場

ボーダーがいないのでスキーヤーにとっては居心地がいいのです

そして

だからなのかスキーを愛する人が多いような気がする

そして

スキースクールも充実しているようなのです!

真っ赤な上下のウエアーをまとったスクールの先生方は

ゲレンデでも目立つ存在!

他のスキー場よりたくさんいると思います

そして

先生たちとてもかっこいいんです

いつも目で追いかけてしまう

スクール中も、先生方の練習中も!

https://kisofukushima-ski.com/service/school/

・・・・・・・

というわけで今回も!

午後の2時間受講しました

今回の先生は私より少しだけ年上の女性

この先生は

細かい手足の動作の指導より

イメージのほうを重きに置く先生でした

そのほうが私たちに伝わりやすい思われたからかもしれません

「大きな木を抱っこするように」

「私のほうに飛び込んできてね、大きく手を広げて待ってるから」

それから

ほめ上手な先生

「できるんですからやってみて」

「皆さん中級じゃないですよ、上級ですよ」→決してそれは・・・

「よくなったけどもっとかっこよく見せるにはね・・・」

言い回しがおかしくて噴き出すようなこともありました

去年の先生とはまた一味違う良さ。

この写真

ストックの持ち方を習ってます

「一回ついてやれやれお疲れさんじゃなくて、私の手のひらを押しに来て

さぼらせないのよ」

って。

先生、いろいろ面白い!

そして

この先生の指導の中こんな表現が!

それは目の使い方と

そして

おしりの穴の使い方!

「目ね、目がどこを見ているかは肝心よ、行った先の木をズーっと見ているのよ

これはね私も何度も言われたことなの」

そして

股関節の屈曲を多用している私に対して

「あのね、これ覚えておいて

おしりの穴を閉めとくの、緩めると骨盤が沈みすぎちゃうから

ここ常に注意してね」

って。

背骨のサロンに出てくださった方、おわかりでしょうか

一昨日私が皆さんにい伝えしたことです!

つまり

背骨

ってことです

うまく滑らなきゃ!!!と思って気張っていたら

あらら

大切なことを思い出させてくれました

先生の指摘に即座に

「はい!」

と返答

お尻の穴に気を付けて滑ったら

今回私の中では一番褒めてもらえました!

う、うれしかった、素直に

先生

やっぱり素敵だあ~